西国三十三所 巡礼

 掲題の巡礼については、個人的にあまり食指が動かない。
もちろん寺社仏閣は好きである。京都に限らず遠くにも赴く。しかし、この巡礼だけはあまり気が進まない。

 その最大の理由は、「観音巡礼」と呼ばれるシステムの個人的な定義がハードルが高すぎるからだ。観音巡礼と呼ぶからには観音様に直接お参りするのが筋であるはず。ご朱印もらって「はい!次!」とはならない。いやそれを否定するわけではないので、念のため。

 やはりお参りして、ご朱印をもらうからには直接観音様を見てお参りし、そしてご朱印をもらいたい。あとなるべく順番通りに進めたい。と思うのが個人の感想である。

 すると、3番札所の粉河寺でどうしても止まる。

 この粉河寺、一切観音様の開扉がない寺である。そう今の今まで1000年以上歴史の中で一度たりとも見た者がいないのである。こういう秘仏の場合、御前立尊がつくられ、巧妙なレプリカがあるはずなのでが、それすらも大みそかの日に信者のみの掃除の場でしか開扉されない。

 いやいや、それ何の意味があるの?

 百歩譲って、10年おき、30年おきと言うのはわからなくもない。過去に開扉の歴史があり、長年封印されているのもわからなくもない。

 しかし、誰も見たことがない上に、誰もお参りできないとか、仏像の意味があるのだろうか。むしろなぜそれを仏像にしてしまったのか・・・。

 やる気にならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?