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「本当にやりたいこと」をめぐる冒険(1255字)

「本当にやりたいことをせよ」と耳にすることが増えた昨今、とりわけ35歳前後の「ミッドクライシス」と呼ばれる年齢になると、キャリアコンサルやコーチングが「自分らしさを取り戻す」手助けをしますと誘ってくる。

しかし、「本当にやりたいこと」という言葉の曖昧さが、実際には多くの人を戸惑わせるのではないだろうか。それはただの転職や起業のような行動の選択ではなく、もっと内面的な、自分の奥底に眠る何かを問うている気がしてならない。

たとえば、「上司から解放されたい」という思いで起業を考える人がいるとしよう。しかし、それが本当にやりたいことなのかと問われると、そう単純ではない。心の奥にある「支配から逃れたい」という欲求の投影に過ぎないかもしれない。

そもそも、無意識の欲求が私たちの選択に絡みついていることを、私たちはしばしば見落としている。それは他者を加害者にして自分を被害者に置きたがる欲求、あるいは、誰かに承認されたいという飢えた気持ちといったものが背後に存在するかもしれない。

心理学的に見れば、こうした無意識の欲求は、しばしば幼少期の体験や親との関係に起因するものであり、そこに根差す感情が今の行動や選択に投影されていることがある。たとえば、達成されなかった父親との葛藤や、母親への愛情を求める気持ちが、表向きには「何かを成し遂げたい」という意志となって現れることがある。つまり、「本当にやりたいこと」というのは、自分で認識していない暗い欲求や満たされなかった渇望である場合がほとんどなのではないか。

そうした欲求に気づくことなく、ただ「本当にやりたいこと」を探すことは、しばしば別の自己欺瞞を生む。今度は「自己実現」を理由に他者と自分を比較し、外部の期待や他人の目に囚われたままの選択をしがちになる。結局、自分の本心を掘り下げることなく、「やりたいこと」という言葉に身を預けてしまうと、それが新たな葛藤や不満の原因になることも少なくない。

「本当にやりたいこと」を見つけるためには、単なる環境の変化ではなく、自分の内面にある生々しい欲望や矛盾を直視する必要がある。自分の心が何を望んでいるのか、自分はどんな人物であるのか。そこには、他人を攻撃したい気持ちや、自分を被害者として扱いたい欲望、他者への依存心や自己否定の感情といった、言葉にするのもためらわれるような感情が潜んでいることもある。それらに目を向け、それらを否定せずに認識していく作業こそが「自分を知る」という意味での旅なのだと思う。

これは、自分の弱さや醜さに向き合い、それを受け入れていく苦い過程である。自分が抱えるさまざまな欲望と出会い、それをひとつずつ自覚していくこと。これは少なくとも「本当にやりたいこと」よりも価値の高いものだと信じたい。「自分の内側に潜む暗い部分を見つめること」、これこそが本当の意味での自己理解であり、それを自分で肯定していくことが、私たちにとっての「冒険」だ。
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