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意思決定と世界観の関係

河津桜が咲き誇る早春の里を見渡す丘の上で微笑む大黒様。ちょうど一年前、まだコロナがこんなことになるとは思ってもみなかった平和だったあの頃。今日と同じようにとても暖かい日だったような気がする。 

 暖かさにあふれた気持ちでいれば、自然と日々の出来事や周りの人々の振る舞いに暖かさを感じ、右に曲がるか左に曲がるかを選ぶ時にも、たとえそれが単なる勘であったとしても、結果暖かい方を選び、間違っても冷たい方は選ばないだろう。なぜなら暖かさの匂いや雰囲気、世界観を知っているから。

 何か自分の力ではどうにもできない運命を呪うような状況になって、全てが冷徹で、誰もが振り向きもしなかったとしたら、右に曲がるか左に曲がるかを選ぶ時には、冷たい方の道を選んでしまうだろう。なぜなら、自分には運がなく、運命を呪うような状況にあるという世界観に浸かっているから。自分は運命的に全ての出来事が冷たい道だと思い込んでいるから。

 結局のところ、毎日の生活は、日々のちょっとした意思決定の結果で積み重なっているのであって、どっちを選んだところでその結果をどう意味づけるか、というだけのことなのかもしれない。意思決定の正誤ではなく、世界観の違い、

 この世の中に自分一人だけが生きているのであれば、意思決定は自分一人のことだけで決めていれば良い。自分の世界観にあう意思決定をしていればいい。意思決定の結果を世界観の方に寄せたって良い。ところが、世の中は、自分1人だけで回ることなんて皆無なので、どうやったって誰かとすり合わせが必要。反対向きになれば、それぞれの道を行くというのもありがちなことだ。

 今日の会議の中で、この後に確実に起きるだろう負担が増す困難について、当事者にあらかじめ伝えておくことがいいことなのか、伝えるにしてもどう伝えたらいいのか、ということが議論になった。

 結局のところ、当事者がどのようにその出来事を捉えて対処するかはその人の世界観によるのであって、我々ができることは、その出来事のずっと前から、世界は暖かいところなんだと、その人が心から思えるような世界を創り、その人の意思決定の結果、選んだ道が暖かだった体験を積み重ねるような機会を提供することしかないのだろう。

 我々の意思決定は、暖かさにあふれたチームであり続けよう、ということであり、世界観でメンバー同士が繋がる集団として機能したいということなのだ。大黒様は我々の意思決定を温かく見守ってくださるだろう。あの高台の陽だまりから。


 

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