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ちいさいおうちの意味

 写真は数年前に行ったオランダのロッテルダム 。街中に哲学があふれ、人々はみな楽しそう。学会参加のために勇気を出して一人で行ったのだか、英語は通じるものの看板がオランダ語で苦戦した。アムステルダムからロッテルダムまでのヨーロッパ特急の乗り方もわからず、よく帰って来れたものだ。
 一人で不安そうな顔をしていたからかもしれないが、すれ違う誰もがにこやかに声をかけてくれた。(ま、そんなのりで某国でスリにあった友人もいたが・・・)登山をしているとすれ違う人と笑顔で「こんにちわ」は当たり前だが、山を降りたら途端に「こんにちわ」がなくなるのが日本。なぜ、誰もが皆、楽しそうなのか、気にはなっていたが追及できないまま数年過ぎた。思い返せばこの辺りから哲学に傾いたのかも。



 オランダに行ったあたりから当地の在宅医療制度に興味を持ちはじめて、ビュードゾルフ、ティール組織、地域活性、地方創生へと興味が移っていった。そんな意識の変遷から参加を始めたワールドカフェ。そこでのおススメで高橋平蔵氏のドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか」の目読を始めた。(電子書籍になっていないので通勤耳読できずリアル読書の意味)
 ドイツでは、どんなに小さな街であっても地域の人が自分の地域を誇りに思い、育てていく。人々が街出て刺激し合う相互作用。人口は少なくても街は発展し、人々は皆幸せに過ごす。オランダも同じような感じだったので理解がすすむ。

 私自身は東京都下の中央線沿線の長閑な街で育った。駅まで5分くらいの距離だけど当時は林があり空き地があり川があった。それが、だんだんとアパートができ、マンションができ、駅ビルができ、知らない人が増えた。坂の上のわたしのうちは、この絵本のようになった。

ちいさいおうち

 私が育った街には、気が付いたらプロパー住人は誰もいなくなっていた。お隣も、お向かいも、きょんちゃんも、そうくんも。一緒に育った友達は人混みに紛れてしまった。この街から出て行ってしまった。駅前には人はあふれている。新しい住人が高層マンションに引っ越してくる。
 駅ビルができて、マクドナルドができた時は嬉しかった。でも、本当にそれでいいのか。発展ってなんなんだろう。この人たちはどこから来たの?あなた達が生まれ育った街は今、どうなっているの?

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