【ロック少年・青年・中年・老年小説集】「中年からのバンドやろうぜ1…〈肥満とブルーズ、減量とロック③〉~白く光っていたキースムーン~」
コグレユキオは準大手の出版社の契約社員として、
いまはプロキャリアを積み始めていた。
会社に入って2年がたつ。
勉強は元々好きだった。
いずれフリーランスになることも考えて、
ユキオは漢字検定の1級を履歴書に書きたいという野望をもった。
今の会社に採用されたときは、まだ漢検2級だった。
半年前にやっと準1級をとったが…
1級はまったく歯が立たないレベルで途方に暮れたのが本当のところだった。
しかし、幸か不幸か、人間関係に苦労するたちのユキオは、
この会社にずっといられないだろうという、
漠然とした思いを持っていた。
それが、モチベーションとなり、
漢検1級を目指して、日々勉強に励んでいた。
準1級の範囲はせいぜい3000字で、それを8割とったとして、
2400文字を覚えた計算。
1級の範囲はさらに広く、6000字以上という話だった。
漢検は各級8割正解で合格。
6000字の8割で4800字と考えても、あと2400字…いまある情報と同じ文字数を新しく覚えなくては合格できない。
卒倒しそうだったが、1日に20字くらいに目を通しながら、少しずつ覚えようと考えた。ユキオの計算ではだいたい2級のレベルからは早くても3年はかかる。準1級まで1年半だった。あと2年以上は確実にかかるだろう。
そうなると、35歳だ。それまで、会社にいられるだろうか…
そんなことを考えているころに、Fからの連絡があり、
久しぶりに再会してスタジオに入った。
いまの恵まれた環境をつかってキャリアをアップしたい。
勉強したいのに、バンドをやることは頭になかった。
しかし、彼の言葉が刺さっていた。
「太りましたね」ということではなく、
「バンド時代はかっこよかった」
という言葉がささり、
あれから心のどこかでさざなみがたったままだった。
Fとの再会から…数か月が過ぎた。
痩せようと思いながら、
結局さらに太る生活は続いた。
生活が良くなったこともあって、
いままで食べられなかった少しいい食べ物も食べるようになって。
キャリアアップのための学習は続いた。
本業の知識をつけるための講座にも通った。
しかし、Fとの再会以降、
なんだか物足りないものを感じるようになっていた。
かといって、バンドをやりたいとも思わなかった。
近頃はブルースを中心に音楽を聴いたり、
本を読んだりしていて、
もうブルースに関係していないロックは聴いていなかった。
ある日、ブルースのCDをみに、レコード店に行った。
その時に、あるチラシが目に入った。
「ワイト島1970」
映画のようだった。
その関連のビデオも発売されるようだった。
ジミヘン、ドアーズ、Who…
ジミヘンは聴いても、ドアーズもWhoも聴いていなかった。
興味も昔のようにはわかなかった。
しばらくたったころ、
パルコ系の劇場で上映が始まった。
なんだか気になったので、ユキオは見に行くことにした。
客席は予想外に人がいた。
話題になっていたのか?
後ろのほうの席、通路側にちかいところに座った。
近頃、心が動かなくなってきた。
何に対しても心がわきたたなくなっていた。
つまらない日々だったが…平和で、
社会人としては充実していて、
金銭的にも不安がない落ち着いた日々ではあった。
ただ、つまらない。
何がつまらないかもよくわからず、
ただ、不満のような煙のような感情が、
抑え込まれた下腹から、
時々胸の方に上がってくる…
そんなイメージがあった。
映画が始まった。
おもしろい。
1970年はヒッピー幻想が崩壊していた時期だ。
ウッドストック、オルタモントの悲劇、
そういうイメージで時代に合わなくなった、
フラワー的なものと商業主義的なものが、
はっきりと画面にとらえられているのが、
とても面白く感じた。
映画が始まってしばらくすると…
あ!
Whoの映像だった。
ヤングマンブルース…
白人ロックはストーンズ以外、ほとんど聴いていなかったが…
白いtシャツとジーンズのキースムーンを見て、
衝撃を受けた。
キースムーンが光って見えたのだ…
ピートタウンゼントとの息がぴったりだ。
音が…音のかたまりが…
ユキオのもとにやってきた。
ユキオは…かつてWhoと出会い、そのすごさに打ちのめされていた…
Whoに夢中になっていた自分が再起動していることを感じた。
4人のエネルギーがすごい。
演奏の巧みさというより、
エネルギーが放射されている。
サンボマスターのいう、
エネルギーの放射を、
ユキオは感じ取った。
これは、すごいものを見た…
からだから汗が噴き出し、
どこかにひっぱられるような意識の拡大を感じた。
これがWho独特のあの感じなのだ!
Whoのライブの全盛期は1970年から1971年あたりだと…
ピートタウンゼントのインタビューで彼が自ら答えていたことを、
実感できた。
これを体験していないのに…
Whoというバンドをどうこう判断できるわけがないじゃないか!
自分への怒りのような、Whoを見損なっていた自分への怒り…
そんな感情と…光の中にいるような…
キースムーンの映像に…
ユキオは打ちのめされていた。
映画が進むと、その内容のおもしろさにも没頭できた。
あの時代、1970年の頃のおもしろさ…
まだ、自分はぜんぜんロックの本質をわかってないのではないか?
そう思うと同時に…
体に力がみなぎるのが分かった。
ロックへのあこがれ、ロックからのエネルギー、
ああ、忘れていたけど…まだ、全部見ていなかった!
気づいてよかった…
ユキオはそう思いながら、
映画に没頭した。
ラスト近く…
なんと、またWhoだ!
え! ネイキドアイ…
まただ…おまえはそこにいると…
ピートタウンゼントが自分につきつけてくる。
ステージライトを客席に向かって当てている。
やられた…
曲が終わると、体がぐったりした。
汗が噴き出し、呼吸が早かった。
ディソレーションロウが流れる。
映画が終わると…すぐ外に出た。
すぐにWhoのビデオを予約した。
キースムーンは光っていたな…
帰り道…ユキオは目の奥に、頭に、イメージに焼き付いた映像を反芻しながら帰った。