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老年期少年小説 「誰もいなくなったのはなんで?〈5〉」【向き合うことができない②】

20代から、著名な心理学者の著作物などを読んだり、
スピリチュアルだとか、精神医学的なもの…食事に配慮したり、
自然に親しむなど…なんとかこの苦しい「いきづらさ」から
逃れるための努力をしてきた。


しかし、実際の人生の経過、結果はひどいものであった。
自分に向き合っているつもりが…実際には自分の問題をすりかえて、
周りに原因があると思い込んでいたりした。

しかも、困ったことに…自分が加害者であったり、問題の発端をつくった
人間であるにもかからず、自分は被害者で、問題の原因を誰かに押し付けていたのだ。


しかも、本当に自分は被害者だと思い込んでいたことも少なくなかったのである。

この年になって、恥ずかしい気持ちがあるが…最近になってやっと受け入れ始めたことがあまりにも多いのだ。

例えば、なぜ自分は被害者だというパターンに持ち込もうとするのか…
それは、自分が被害者になることで、自分が利益を得る、生き延びることができると…思い込んでいたのだ。

いや…いまだに、残念ながら無意識で自分が被害者であると思い込もうとする思考パターンが実際にあることを最近理解したのだ。

現実にはどういうパターンとして現れるのかというと…
例えば、自分のために意見を伝えてくる人間を「敵認定」しやすい傾向がある。

よかれと思って注意してくれている人や、よりよい結果になることへの助言をしてくれる人、私を大事に思ってくれているからこそ苦言を呈してくれる人、私との議論をしてお互いをわかりあいたいと思って意見を伝えてくる人…残念なことに…そんな人たちに対して「敵である」という感情がわいてしまうのだ。

子どもじみているが…事実なのだ。
そんな人間が、心を通じ合えるわけもないし…関係を築けるのは難しいことは当然である。

ただ、そんな感情は…冷静に考えれば、心の反応、癖でしかないし…おとなであれば…子どもじみた感情に流されることもないはずなのだが…どういうわけか…パニック状態に陥ってしまうこともあるし…健康状態でよくないときに特にあるのだが…感情に乗っ取られてしまい、生きづらい状態を招くことがある。


そういうことが多かったこともあるので…私は他人との関係を避けるようになったし…自分を信用できず、自己嫌悪を深める事態を恐れた。

しかし、逃げるという習慣が、自分への信頼をさらに傷つけ、自分がますます嫌いになっていった。


そんな自分の心の状態を放置した結果…私は他人への尊厳をもって接することの気持ちが育たなかった。

自分への尊厳をもって接することをしなくなればなるほど、他人への敬意も持つことが難しくなっていき…気づいたころには…周りには人間への尊厳を大切にしない人間を見る機会が増えたように思う。

悪意は失意や絶望の日々の中で、次第に増大していった。
増大する悪意を私は恐怖し、仕事などで抑圧して、自分がそのような非人間的な存在だということを悟られないように努力した。


ところが、抑えれば抑えるほど…私の悪意は、ある期間をすぎたころにほころびをみせた精神状態の抑えつけた防護壁から漏れ出、そして暴発した。


次第に、感情は自分らしささえわからなくなり、
悪魔のような感情をまるで自分の真実のように信じたりするようになった。

本来の自分はどこにいるのかもわからない。
しかし、その埋もれた感情は表に出たくてどこかで泣いているようだった。

日々の絶望感は、埋もれてしまった本当の自分が訴えていたSOSであったのかもしれない。


結果さえ出せば、なんとか収入を維持できる仕事があったおかげで、
逃げ回り続けながらも…私はなんとか、社会生活を送ることができていた。

しかし、結果的にそれが、手遅れに近い「いきづらさ」の引き延ばしを招いた可能性もある。


自分を変えなければ生きていけない…そういう状況だったら、自分を成長させざるをえないからだ。


理由がわからない絶望感の日々、悲しくても泣くこともできない。

そんなとき、泣くことができるものが時々現れて…私を救いに来てくれたように思う。

音楽や、本、アート、物語…「いきづらさ」から抜け出すまでは行けなかったが…
なんとか生きることを続けることができた…人間関係からは逃げたとはえ…。

しかし、結局、音楽にせよ、本にせよ、アート、物語にせよ…メディアを通じた人間との交流であった。

逃げている人間関係だが…本当に求めているものは…人間であった。

救いを求めて、私は間接的に人を求めたのだ。