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とーます模話のこざこざシリーズ 3「遠くへ連れていってくれる音②」

逃避のための音…それを見つけた話を書いた。

〈遠くへ連れていってくれる音〉は、コードでいうと、

D D/C  D/B  D/B♭
D/A  D/G  D/F♯  D/F  

のように書かれるコードを組み合わせて、意識を飛ばすのだ。

コード理論とか、音楽的な理論なんて…まあ、私にはそんなに意味はなかった。理屈関係なく、弾けば飛べるのだから。

実際に弾くときは、
D D/C
を繰り返しているだけでも飛べる。

ピートタウンゼントのように、1弦を開放弦にして、
Dadd9にしてD D/Cと繰り返しているだけでも飛べる。

好みは、D  D/B♭ D/Cというパターンで、よく曲をつくった。

これらのパターンは、メジャー7thを入れたりしながら、さまざまなパターンにできて、そして確実にとべる。

くるりの岸田さんや、かつてのはっぴいえんどやエンケンさんもやっている。くるりのロックンロールこそ、とべる仕組みを理解した傑作でもある。

とべるといっても、それは「仕組み」であって、それに世界観を加え、
芸術性だったり、文学性だったり、情感、意志、意識、感情など…さまざまなものを作品として織り込むことで、その「仕組み」の効果はかわってくるであろう。


ただ、この「仕組み」は、危険なものでもある。

限度をこえると、精神に意識に影響を与えすぎてしまうように思う。

とぶってことは「次元の扉」にアクセスすることだからだ。

ヒロトさんが、そのことに触れたであろう発言をしていた。
彼は、よく知っているんだと思う。
それは、禁断の入り口でもあるだろう。

ロックを宗教のように考える人はいるだろう。
ほかならぬ私がそうであったから…。
だから、同じ体験者として、
「覚悟をしたほうがいい」
そう、伝えたいと思っている。

かつて、私にとっては日常はとても重く、
つまらないものだった。
とぶ音がなければ、生きるのはとてもとても
つらかったのだ。

いまが幸せではないが、
もう、とぶ音は
なくてはならないものではなくなった。

使い方が重要なのだ。
ジェファーソンエアプレインや
ビートルズやバーズ、
ジミヘン、ストーンズ、
Who、スモールフェイセズ、
キンクス…
どれもがすばらしい世界だった。

すべては「入り口」であった。
通り抜けたアザーサイドを間違えないで、
いつか、たどりつきたいところがある。

いまは、堪えるしかないが…いつか、
きっとたどりつけるのだと、
信じている。