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とーます模話のこざこざシリーズ 8「無から何かを創り出すということ②」

もう20年以上も前の話。

あるカルチャースクールの講座を見に行った。
細かいことは覚えていない。
そこで、あるプロのハーモニカ奏者の先生に会った。

教室の見学のつもりが、たまたま先生が来ていて、
ハーモニカを吹いてくれた。

その音の大きさにまず、しびれてしまった。
アンプもなにも通していないのに、
レコードからきこえるような信じられないような響き…
いったい、どんな風に吹けば、
こんなに分厚く、大きく、管楽器のように吹けるのか…

気が付いたら、帰りに受講手続きをして帰っていた。


ここでは、ハーモニカ教室のことは触れない。
そこで、音楽について考えさせられることがあったのだ。
その話をしたい。


先生の好きなミュージシャンは、
チャーリーパーカーだった。
ブルースハープを吹いていて、
ジャズのしかもビバップの?とは思った。

しかし、たしか…リトルウォルターはチャーリーパーカーの演奏を、
ハーモニカでやったプレイヤーではなかったか?

ある時、先生に雑談でなぜチャーリーパーカーが好きなのかを、
聞いてみたような気がする。

あまり覚えていないが、先生は
「純粋音楽」
のような話をされていたように思うのだ。

どういうことかというと、
ダンスミュージックでもなく、何かのための音楽ではなく、
純粋に音楽のための音楽ということだったと記憶する。

先生は、ブルースから出発して、ジャズを勉強していた。
キーボードをやりながら、授業でもハープをやっていた。

チャーリーパーカーがめざした音楽が、
純粋音楽という話を、どこかで読んだ気がする。

チャーリーパーカーが開拓者といわれ、天才といわれるゆえんは、
純粋音楽というものをめざしたところにあると、
いろんな本を読んでいるうちに頭に記憶されていた。

はっきり言って意味は分からない。
自分なりに解釈すると、
セザンヌが絵画で目指したものに近い気がする。

写真の役割を画家がやらなくていいなら、
絵画は何かのかわりではなく、
純粋に絵画の中に世界を創り出すという概念と同じく、
チャーリーパーカーも、ダンスのためでなく、
教会のためでもなく、軍隊のためでもなく、
純粋に音楽のために音楽を創り出すという…
そういう意味だと、
自分は解釈した。


チャーリーパーカーは、自分は全く興味がなかった。
セザンヌは興味はあるが、
セザンヌの影響を受けた、ある意味、
純粋絵画ではないもの…ナビ派やゴッホのような、
絵画のための絵画ではなく、

絵画をこえてあらわれる絵画表現、
音楽でいえば、
音楽理論だとか、音楽のための音楽ではない、
音楽をこえてあらわれる音楽表現…
自分にはそれしか、興味はなかった。


ハーモニカの先生の影響で、
一度チャーリーパーカーを聴いてみた。

そのとき感じたのは、
無限に広がる虚空のようなイメージだった。

感情はなく、ただ鳴っている音。
確かに音楽産業とは無縁な、
純粋音楽というものであるかもしれないと感じた。

しかし、何かが違った。
自分が求めている音は、遠くで鳴っている音だ。

しかし、虚空にただ鳴る音とは違うのだ。

その音は、自分が宇宙の一部であり、
宇宙の一部が自分であるという、
感覚を取り戻すことができる音なのだ。