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#56教会通り@荻窪

教会通り@荻窪東京に出てきて初めて住んだ街が荻窪だった。杉並区本天沼というところにあったアパートに住んだ。風呂はない四畳半の部屋だった。
このアパートは4月から10月まで住んだ。その後、中野坂上や東中野に3年ほど住み、再び荻窪に住んだ。次は杉並区荻窪4丁目という場所で、天沼陸橋という交差点の近くだった。
そのころはすでにフリーライターになっていた。ひとり暮らしで食事はすべて外食だった。
昼食時はふらふらと、荻窪駅方向へ歩く。12時から13時は混むので、13時をまわってから家を出る。

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北口方向だと、教会通りの飲食店へ行くことが多かった。久しぶりにその教会通りを歩いてみたのだけれど、かなり変わっていて驚いた。


教会通りの入り口には現在、みずほ銀行があるけれど、昔は第一勧業銀行で、僕はすぐにこの銀行で口座をつくり、以来、この口座をずっと使っている。
逆側にはパチンコがあって、教会通りからパチンコ屋の地下一階に下りていくことが出来たと思うのだが、地下へ下りる場所もないので、記憶違いだったかとも思った。
その先に古本屋があって、長いひげを生やしていた田辺一鶴さんがやっている古本屋さんがあり、その先にハンバーグ屋さんがあり、そこへはよく行っていた。メキシカンバーグというちょっと辛いハンバーグや目玉焼きがのっかったハンバーグをよく食べていたな。
その先、左側に福龍という町中華があった。ここもよく行った。老夫婦と息子さんでやっていたと思う。何を食べたのかはあまり覚えていないけれど、まかないを厨房で順番に食べている姿をよく覚えている。町中華の人たちはどんなまかないを食べるのかと見ていると、なんと冷奴だった。ご飯に1パックの豆腐を取り出す。ネギと生姜をすったものをのせて、醤油をさっとかけてそれをおかずにご飯を食べているのだ。中華じゃないんだと思った。
その先には長寿庵というそば屋があって、やしろ食堂がある。この2軒はいまもある。やしろ食堂はよく行っていたが、長寿庵は1回か2回程度だったかな。というのも、ここへ行くまで蕎麦屋は何軒もあったからだ。大阪から東京にやってきた80年代、荻窪にはずいぶん蕎麦屋があって、僕は東京というのは蕎麦屋の多い町だなと思った記憶がある。しかし、いま荻窪を歩いてみると、そんな蕎麦屋の多くがなくなっていた。
それからもう一軒、教会通りに町中華があって、光陽楼という名前の店だが、今は四面道に移っている。
教会通り、また歩いてみよう。


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