#17 「怒り」の矢印を向けられたとき
前回の記事から少し期間が空いてしまった。
このところ、一難去ってまた一難って感じのままならない日々を過ごしている。
心落ち着くタイミングがなく、いろんなネタが保留状態だ。
こんな状態だけれども今日は、いま現在心のモヤモヤの大部分を占めている「向けられた怒りへの対応」について書きたい。
私は日常生活「怒り」を覚えることがあまりない。
基本的にマイペース。自分のしたいことには忠実で意思もある。
だけど「能動的に突き進む」と言うよりは、起こった出来事を受け入れながら、その場その場でどうするべきか考えながら生きている。
そして、このタイプは往々にして他の人の怒りを買いやすい。
私は今までの人生のいろんな場面で「怒りやすい人」に会ってきた。
「怒り」にもいろんな種類があると思うけど、私によく向けられる「怒り」の根源ってその人の自分自身への厳しさや不安だったりすることが多いように思う。
「私はあなたのためにこんなに動いているのに」
「こんな大変な状況でよくそんなにのんびりしていられるね」
なんてよく言われる。
私の中にその「怒り」の感情があまりないというのは自分や他者の不完全さを認めているということである、と思っている。
その上で最善を尽くすようにしているのだが、「完全であるべき」派の人からすれば私のこの姿勢は「諦め」や「怠惰」と映り、時に怒りが煮えたぎる思いになるのかもしれない。
最近、仕事中にこの感情をある人に抱かせてしまいトラブルが起こった。
この手のトラブルは往々にして身に降りかかってくるので、「あーやっちゃった」って感じで最大限にブルーになった。
感情に振り回されても無駄に落ち込むだけなので、事実と感情を冷静に捉えて、自分が反省すべき部分と相手の問題であるので気にする必要がない部分を私なりに切り分けることで負のループを断ち切った。
どちらが悪いということではなく、私と相手の性質も違えば相性も悪かった。
だから衝突が起ったのだ、と。
まさかここオーストラリアでこの問題に直面するとも思っていなかったが、現実に起こり心がかき乱され、誰もハッピーにならないことになった。
人生どこで何が起こるかわからない。
この一件から数日たち一緒に働いているスタッフから「あの後大丈夫?」なんて気遣ってもらって「バッドラックだったけど今は大丈夫」って笑って返せるくらいになった。
それでも、この「怒り」への対処法が考えついたわけではない。
また人生のどこかのタイミングで別の人から同じ怒りが私に向けられるのだろうか。
向けられる側の人間として今後苦しくならないようにどうするべきなのか。
これを考える中でまだモヤモヤしている。
同時に、この経験をすればするほど、同じ「怒りを向けられやすい人」の気持ちが痛いほどわかるようになる。
このタイプにとって「言い返す」ことはとんでもなくチャレンジングなことなので大抵の場合、怒りを吸収して終わってしまうから。
「強く生きる」ってなんだろう。そのためにどんなことができるのだろう。
その問いはいつまでも続いて行く。
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