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見ているもの

「美容院は休業要請の対象にならないと思いましたよ。だって、小池さんの頭に、白髪がめったにないでしょ。いやいや、ゼロじゃないです。何度か白髪が見えた時、ありますよ。お手入れしてるに決まってます。美容院に行けなくなったら困るじゃないですか。」

昨日、ちょっと人前に出る用ができ、あんまりひどい髪を何とかしてもらうため、なんと8ヶ月ぶりに美容院に行った時の会話。

さすがに美容師さんは、テレビ画面の小池さんの頭に、数本の白髪を見つけていた。同じ画面を見て、何人の人が小池さんの白髪に気がついただろう。

時々家の近くを散歩する。郊外で田圃が広がって、その中のあぜ道を選んで歩く。空が青い。雲は一日として同じ形をしていない。足元から鳥が飛び立つ。サギ、スズメ、カラス、シジュウカラ、野バト、他にも名前のわからない鳥たち。

本日も散歩の途中でいろんな鳥やに出逢った。珍しくイタチも見かけた。ところがこれらを上手に写真に収めることができない。数メートル先にいるのに気が付かず歩いている。あっと思って、iPadのカメラを向けたときには、相手はもう飛び立った後。

今日のイタチは、私の歩く道の前方にいた。あっと気が付いた時は、すでに遅し。ガサガサっと草むらに潜り込む音と、鮮やかなオレンジ色のお尻が動いて消えるのだけが、チラッと視野に残った。

その数秒前には、こちらを向いた全身がそこにいたはずである。前を見て歩いていたにもかかわらず、どうして見なかったんだろう。鳥も同じ、歩く道の十数歩先から、急にきれいな色の鳥が飛び立ったりする。飛び立つまで気が付かない。前を見ているのに、見ていない。

アフリカのマサイ族なら、こんな間抜けな歩き方はしないだろう。マサイ族は草むらに鳥を見つける。美容師さんは小池さんの頭に白髪を見つける。私はどちらも見つけない。「見る」と一言でいっても、その内容は実は人によって全然違うのかもしれない。

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