夫の遺品整理

夫が突然死んでしまって、何年もそのままだった部屋。
亡くなった時のままでした。
あれから約6年経ち、7回忌を迎えるころにやっと、遺品というか、夫の物や色んな物を整理しはじめました。

遺品整理するまで心の整理がつかなかったのもありますが
捨てるという概念が備わっていなかったので、それらをどうしていいのかわかりませんでした。
心の奥底では、ありえないとはわかっていても、もしかしたら帰ってくるかもしれないという思いもあったからです。

服についたタバコや汗の匂いもそのまま
その日着ていた血まみれの服もそのまま
読みかけの雑誌も脱ぎ捨てたジャージも
何もかもそのままでした。

洋服が大好きだったのでたくさんありましたが、値札のついたままのものを見ると、ものすごく切なかったです。
着たかっただろうな、と思うからです。
読みかけのゴルフ雑誌を見ては、行きたかっただろうと思い
チャージしたばかりのプリベイドを見ると、死ぬなんてこれっぽっちも思ってなかったんだなって・・・

匂いがしなくなるまではそのままにしておこうとずっと思ってました。
匂いが消えるころ、自分も立ち直ってるのではないかと思っていたからです。


何もかもそのままだったその部屋に入ると、まるで夫がいるかのような感覚があったけど、でもそれはあまりいい感じではなく、辛く悲しくなる感覚だったように思う。
きっと私自身が重かったからだと今はわかります。

そこにいると物凄く疲れるしとにかく気怠く感じていた。
恨みつらみや文句言ってましたから。
なんで死んだのか。
子供たちもおいて、なぜ死んだのか。
借金はどうする?
生活費はどうするの?
と悲しいプラス腹立たしさでとにかく重かった。

そんな時あるテレビ(多分再放送)を見て釘付けになりました。

ある女性がご主人の遺品整理をした様子だったんだけど、遺品整理するまでの葛藤や悲嘆の様子、そして部屋のビフォーアフター。

衝撃でした。とにかく衝撃で、これだ!と思いました。
同じような経験者の体験談はとても参考になります。
どうやって悲しみを乗り越えてきたのだろうと食い入るように見ました。
(でもこのどうやって、というのはこれだという答えはないのですよね。)

なにも手放せないでいたのに、たった1つの物だけを残して他は全て処分されていました。
そして、その女性の表情が、明らかに変わっていました。
とてもいきいきされていて、それが私には刺さったのです。

心が動きました。
いつまでもこんなんじゃ嫌だと猛烈に思いました。

そして、夫のものを片付けることに決めて着手したのです。
何日もかかって遺品整理を終えました。
来る日も来る日も仕分けして捨てるの繰り返しです。
初日は、これは使うかも、これはとっておこう、そんな具合であまり進みませんでしたが、これじゃあ何も変わらんやん!と思い、亡くなった人の物ではなく、もし今いたらどうしたか、そんな風に考えたりしながら進めました。

粗大ゴミに出したり、買取業者へ宅配依頼したり、ブックオフへ行ったり、寄付したり、リサイクルコーナーへ持参したりと、とにかく出す作業を繰り返し、ついに終わりが見えました。

大量の物に溢れていた夫の部屋が空っぽになりました。
言いようのない達成感でした。
それと同時になんともいえない爽快感もありました。
なんていうか、次に進めるという感じ。

値札がついたままのTシャツ
1年は365日なのに、それ以上の数の靴
洗濯物のカゴの中に入っていた私が洗濯するはずだった衣類
お気に入りのコート
趣味のゴルフ道具や色々
大切にしている子供たちからの手紙

捨てがたたいものはもちろんあった。

何もかも本当にいいのだろうか、と心の奥の奥の奥の方で思っていた。

でもその物のアルジはもういないし、生きている私たちはその物の多さと管理で疲弊している。

基準は私や子供が使うかどうか。
未来の我が家にそれがあることをイメージ出来るか。
そして、感情を物に乗せないこと。

はっきりいってとてもしんどかったです。
言うほど簡単じゃない。
払拭しようとしてもしても、あの頃はよかった的なことや、なんでこんなことしてるのだろうとか、色々思いが巡るからです。

一つ一つ手に取ってきちんと、大切に残すものと、お別れするものを判断したから後悔はありません。
残したとして、すべて持っては逝けない。
死ぬときは手ぶら。
私が死んだ時だって、残っている物が多いと子供たちがとても困る。
夫の物ぐらい、私が片づけておきたいという思いも強かったです。

遺品整理を終え、そこからは私の「捨て活」が始まったのです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?