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10)④祭祀と道徳

    祭祀
    道徳
    武士道
    仏教

 わが国に於る祭祀や神社の真意と道徳の根源、そして武士道の精神と、日本に渡来した仏教をどのように日本的精神で醇化していったのか等を著しています。


        【口語訳】

    祭祀と道徳

《祭祀》

 明治天皇の御製に、

  「神風の伊勢の宮居の事をまづ
         今年も物の始にぞきく」

と仰られてあるのは、
わが政始の御儀をお歌いになったのであって、この御儀には、総理大臣が先づ前年中 神宮の祭祀の滞りなく奉仕なされた旨を奏上します。

ここにわが国政治の最も重要なものとして、
祭祀を位置付ける大御心を拝することが出来ます。大日本史の神祇志に、

  「それ祭祀は政教の本づく所。
 敬神尊祖、孝敬の義天下に達す。
    凡百の制度もまた是によって立つ。」

とあるのは、
祭祀と政治と教育とが根源に於て一致する
わが国の特色をよく明らかにしています。

わが国は、現御神アキツカミにまします天皇の統治なさる神国です。
天皇は、神を祭祀なさることによって天ッ神と御一体となり、現御神としての御徳を明らかになさるのです。

なので天皇は特に祭祀を重んぜられ、賢所・皇霊殿・神殿の宮中三殿の御祭祀は、天皇御親らこれを執り行います。

明治二年、神祇官内に神殿を建てて、天神地祇御歴代皇霊を奉祭なさり、同三年、天皇は鎮祭の詔ミコトノリを渙発カンパツし、

  「朕チン恭しく惟オモイみるに 大祖業を創め 神明を崇敬し蒼生を愛撫す。祭政一致由来する所遠し矣。朕寡弱カジャクを以て夙ツトに 聖緒を承け、日夜怵惕ジュッテキ、天職の或は虧カくることを懼オソレる。乃スナワち祗に 天神地祇 🟥八神曁オび 列皇神霊を神祇官に鎮守して、以て孝敬を申ぶ。庶幾くは、億兆をして矜式キョウショクするところあらしめむ。」

と仰いました。
臣民はこの大和心を承け奉って、同じく祭祀を以て肇国の精神を奉体し、私を捨てて天皇のご安泰を祈り奉り、また国家に報ずる精神を磨くのです。

このように天皇の神に奉仕なさることと臣民の敬神とは、いづれもその源を同じくし、天皇は祭祀によって弥々君徳を篤くなさり、臣民は敬神によって弥々その分を尽すの覚悟を堅くします。

 わが国の神社は、古来祭祀の精神及びその儀式の中心となって来ました。
神社は惟神カンナガラの道の表現であって、神に奉斎し、報本反始の誠を致すところです。

 御鏡に関する神勅は、神宮並びに賢所の奉斎の由って来る本であり、神社存立の根本義は、日本書紀の皇孫降臨の条に於ける天ッ神籬及び天ッ磐境に関する神勅にある。🟥
即ち高皇産霊ノ神タカミムスビノ神が、
天ノ児屋ノ命アマノコヤネノミコトと 太玉ノ命フトタマノミコトに、

  「吾は則ち天ッ神籬及び天ッ磐境を起樹てて、当に吾孫の為めに斎ひ奉らむ。汝天ノ児屋ノ命、太玉ノ命、宜しく天ッ神籬ヒモロギを持ちて、葦原の中ッ国に降りて、亦吾孫の為めに斎ひ奉れ。」

と仰せられた執心に副い奉るのです。

 神社に斎き祀る神は、皇祖皇宗を始め奉り氏族の祖の命以下、皇運扶翼の大業に奉仕した神霊です。

この神社の祭祀は、わが国民の生命を培い、その精神の本となるものです。

氏神の祭に於て報本反始の精神の発露があり、これに基づいて氏人の団欒ダンランがあり、また御輿ミコシを担いで渡御トギョに仕へる鎮守の祭礼に於て、氏子の和合、村々の平和があります。こうして神社は国民の郷土生活の中心ともなります。

更に国家の祝祭日には国民は日の丸の国旗を掲揚して、国民的敬虔の心を一にします。

すべての神社奉斎は、究極に於て、天皇が皇祖皇宗に奉仕し給ふところに帰一するのであって、ここにわが国の敬神の根本があります。

 祭には、穢ケガレを祓って神に奉仕し、まことを致して神威を崇め、神恩を感謝し、祈願をこめるのです。

神に向う心持ちは、わが国に於ては親と子との関係という最も根本的なところから出ています。

即ち罪穢ザイエを祓つて祖オヤに近づくことであり更に私を去って公に合し、我を去って国家と一となるところにあります。

 その穢を去った敬虔な心からの自然の発露としては、西行法師の

  「何事のおはしますをば知らねども
       忝カタジけなさの涙こぼるる」

という歌があります。

 神社は国家的存在であるのを根本義とするものですから、令に於ける神祇官以来、国家の制度・施設として有して来たのであって、現在に於ける各派神道、その他の一般の宗教とはその取扱を異にしています。
 明治天皇の御製には、

  「とこしへに民やすかれといのるなる
      わが世を守れ伊勢のおおかみ」

と仰せられ、又、祝部行氏も、

  「神垣に御代治まれと祈るこそ
         君に仕ふる誠なりけれ」

と詠んでいます。

こうして皇大神宮はわが国神社の中心であり、すべての神社は国家的の存在として、国民の精神生活の中軸となっています。

 わが国祭祀の本旨は以上のようなものですが、これを西洋の神に対する信仰に比すると、その間に大なる逕庭ケイテイがあります。

◆西洋の神話・伝説にも多くの神々が語られていますが、それは肇国の初めより繋がる国家的な神ではなく、また国民・国土の生みの親•育ての親としての神ではありません。

●わが国の神に対する崇敬は、肇国の精神に基づく国民的信仰であって、天や天国や彼岸や理念の世界に於ける超越的な神の信仰ではなく、歴史的国民生活から流露する奉仕の心です。

従ってわが国の祭祀は極めて深く、かつ広き意義をもつと同時にまた全く国家的であり、実際生活的なのです。

《道徳》
 以上のような敬神崇祖の精神が、わが国民道徳の基礎をなし、また文化の各方面に行き亙って、外来の儒教・仏教その他のものを包容同化して、日本的な創造をなし遂げました。

わが国民道徳は、敬神崇祖を基として、忠孝の大義を展開しています。
国を家として忠は孝となり、家を国として孝は忠となる…ここに忠孝は一本となって万善の本となります。

は、明浄正直の誠を本として勤務をはげみ、分を尽し、以て天皇に奉仕することであり、この忠を本として親に対する孝が成り立ちます。
それはわが国民が、祖先以来行って来た古今に通じて謬アヤまらざる惟神カンナガラの大道です。

 「教育勅語」には国民道徳の大本を教へ給うて、

  「朕チン惟オモウニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ 世々厥ソノ美ヲ済セルハ 此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源 亦 実ニ此ニ存ス」と仰せられ、又、
 「斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ 古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕チン爾ソレ臣民ト倶ニ拳々服膺フクヨウシテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾ショキフ」

と宣わされています。

 わが国に於て明浄正直の誠が重んぜられたことは語事に見え、宣命に示され、冠位の名ともなったことによって明らかです。

宝基本紀等に「冥加は正直を以て本と為す」と言い、また倭姫ヤマトヒメノ命世記には、

  「黒き心無くして丹き心を以て清く潔く斎り慎み、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻る事も、万の事違ふ事なくして、大神に仕へ奉れ 元を元とし、本を本とする故なり。」

と述べておられます。
これは即ち明浄正直の精神を明らかにするものであって、左右相混ぜず、右を右とし左を左とし、各々その位を正し、その分を明らかにして寸毫も違わず、一切の歪曲を許さず奸悪邪曲を容れない心です。
この寸毫も違はない正直とその正直の働きとを以て、始めて元を元とすることが出来ます。

北畠親房の神皇正統記は、この精神を承けて正直を強調し、その著となさった元元集の名は、右の文を直接の典拠とすると思われますが、
国民道徳として特に心すべきことは、この左を左とし右を右とし、それぞれのものをあるべき情態、正しき姿にあらしめ、以て元を元とし本を本とすることです。

《武士道》
 わが国民道徳の上に顕著なる特色を示すものとして、武士道を挙げることが出来ます。
武士の社会には、古の氏族に於けるわが国特有の全体的な組織及び精神がよく継承されていました。故に主として儒教や仏教に学びながら、遂によくそれを超えるに至りました。

即ち主従の間は恩義を出て結ばれながら、それが恩義を超えた没我の精神となり、死を視ること帰するが如きに至りました。

そこでは死を軽んじたというよりは、深く死に徹して真の意味に於てこれを重んじた…即ち死によって真の生命を全うせんとしました。

個に執し個を立てて全を失うよりも、全を全うし、全を生かすために個を殺さんとするのです。

生死は根本に於て一であり、生死を超えて一如のまことがあります。
生もこれにより、死も又これによります。

然るに生死を対立せしめ、死を厭うて生を求むることは、私に執著することであって武士の恥とするところです。
生死一如の中に、よく忠の道を全うするのがわが武士道です。

 戦国時代に於ても、領主はよく家長的精神を発揮して領民を愛護しています。
これ又武士道の現れでなければなりません。

武士の心掛は、平時にあっては家の伝統により敬神崇祖の心を養い、常に緩急に処する覚悟を練り、智仁勇を兼ね備へ、なさけを解し、物のあわれを知るものたらんと努めるにあります。

武士道の大成によって力のあった山鹿素行・松宮観山・吉田松陰等は、いづれも敬神の念に篤い人人でした。

この武士道が、明治維新と共に封建の旧態を脱して、弥々その光を増し、忠君愛国の道となり、また皇軍の精神として展開して来たのです。

《仏教》
 仏教はインドに発し、シナ・朝鮮を経て我が国に入ったものですが、それは信仰であると共に道徳であり、又学問であります。

しかしわが国に入っては国民精神に醇化ジュンカされて、国民的な在り方を以て発展しました。

古くは推古天皇二年春二月に、天皇は皇太子及び大臣に三宝興隆の詔を下し給ひ、その詔ミコトノリによって君恩と親恩とに報ずるために寺塔が建立されました。

君親の思を報ずるために寺を建てるという仏教伝来初期のこの精神は、やがて南都仏教に於て鎮護国家の精神として現れ、天台宗・真言宗に至ってはこの標幟を掲げ、その後臨済宗の興禅護国論の如き、又日蓮宗の立正安国論のような主張となり、その他、新仏教の組師達も斉ヒトしく王法を重んじました。

それと共に、その教理的発達にも大いに見るべきものがありました。

真言宗が森羅万象を大日如来の顕現とし、即身成仏を説き、天台宗が草木国土も悉皆仏性をもち、凡夫も悟れば仏であるといい、解脱を衆生に及ぼすことを説くところに、天照大神を中心とする神祇崇敬及び帰一没我の精神一視同仁、衆と共に和する心に相応ずるもののあるのを観ます。

南都仏教のあるものに於ては、解脱に差別を説いているのに、平安仏教以後、特に無我に基づく差別即平等、平等即差別の仏教本来の趣意を明らかにして、一切平等を説くに至ったのは、やはり差別即平等の心をもつわが国の氏族的・家族的な精神、没我的 全体的精神によって摂取醇化されたもので、例えば親鸞が御同朋御同行と呼びかけているのがこれです。

浄土宗・真宗は聖道門に対する易行道の浄土門をとり、還相回向を説き、時宗は利他教化の遊行をなして、仏教をして国民大衆の仏教としました。

親鸞が阿弥陀仏の絶対他力の摂取救済を説き、自然法爾を求めたところには、没我帰一の精神が最もよく活かされていると共に、法然が時処所縁を嫌はず念仏して、ありのままの姿に於て往生の業を成ずることを説いたところには、日本人の動的な実際的な人生観が現れています。

また道元が、自己を空しうした自己の所行が道に外ならぬとし、治生産業皆これ報恩の行となす没我的精神、実際的な立場をとる点に於て同様のものをもっています。

この精神は、次第に神儒仏三教一致等の説ともなって現れるに至りました。

天台宗以下、釈尊よりの歴史的相伝師承を拠り所とし、聖徳太子に還ろうとする運動を生じたところには、歴史・伝統を尊重する精神が見られます。

この様にしてわが国は大乗相応の地とされて、仏教を今日にあらしめ、国民的な在り方・性格が自ら顕現しています。
この様に同化された仏教が、わが文化を豊富にし、ものの見方に深さを与え、思索を訓練し、よく国民生活に浸透し、又国民精神を鼓舞しているのであって、彼岸会・盂蘭盆会のような崇祖に関連する行事をも生ずるに至りました。


    〜〜漢字の読みと意味〜〜

祭祀/神や祖先をまつること、祭事、祭り
神祇 ジンギ/天の神と地の神、天神地祇
神祇志/『大日本史』の志類の一つ23巻、青山延于 らによる編纂を栗田寛が補成したもの1893年刊、神祇の沿革,神社,社殿,神宮,斎服などについて記述している
現御神 アキツカミ/この世に人間の姿で現れた神
天神地祇 テンシンチギ/天の神と地の神
 ミコトノリ/天皇の仰せ
渙発 カンパツ/詔勅を広く天下に発布すること
蒼生 ソウセイ/国民
寡弱 カジャク/力や徳が少ない、か弱い
怵惕 ジュッテキ/恐れ危ぶむこと
虧くる カくる/欠くる
懼る オソる/恐る
八神 ハッシン/天皇の守護神として宮中の神殿に祭る八柱の神のこと
曁び オヨび/及び
庶幾 ショキ/こいねがう
億兆/国民
矜式 キョウショク/つつしんで手本にすること
服膺 フクヨウ/常にとどめて忘れないこと

肇国の精神

竭くす ツくす/尽くす
惟神 カンナガラ/神と共に生きる生き方
報本反始/天地や祖先などの恩に報いること人が天地や祖先など、存在の根本に感謝し報い、発生のはじめに思いを致すこと
賢所/日本の天皇が居住する宮中において、三種の神器のひとつである神鏡(八咫鏡)を祀る場所、現在の皇居においては宮中三殿の一つ
天ッ神籬アマツヒモロギ/神の降臨の場所として特別に設ける神聖な場所
天ッ磐境 アマツイワサカ/神が降臨する神聖な場所
神勅 シンチョク/神のお告げ
皇祖皇宗 コウソコウソウ/天皇の始祖=天地創造神と、当代天皇にいたるまでの歴代の天皇
皇運扶翼 コウウンフヨク/皇国スメラクニ日本を助ける
渡御 トギョ/天皇•みこしなどが出かけて行くこと、おでまし
逕庭 ケイテイ/かけ離れの程度、へだたり
冥加 ミョウガ/神仏から知らず知らずに受ける加護、おかげ
寸毫 スンゴウ/ほんのわずか。ごく少し
奸悪邪曲 カンアクジャキョク/心がねじくれていて悪いこと、邪悪
神皇正統記 ジンノウショウトウキ/南北朝時代、南朝公卿の北畠親房が著した歴史書
元元集 ゲンゲンシュウ/北畠親房の編著、延元2 (1337) ~3年の成立、神道と神宮の両部に分れており天地開闢編から神宣禁誡編までの13編
忠君愛国/主君のために忠義をつくし、自国を愛すること
皇軍/天皇が統率する軍隊
醇化 ジュンカ/まじりけのない純粋なものにする悖る モトる/(道理などに)そむく、反する
南都仏教/奈良時代に平城京で栄えた六つの仏教宗派
悉皆仏性 シッカイブッショウ/山川草木どんなものでも仏性を宿している
還相回向 ゲンソウエコウ/ 念仏して極楽に往生した者が再びこの世に還ってきて衆生を教え導き、ともに仏道を実践すること。 また極楽からこの世に還って衆生を導く能力を阿弥陀仏が往生者に与えること
盂蘭盆会 ウラボンエ/お盆
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