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11)⑤国民文化

    文化
    学問
    教育
    芸道

 わが国の文化•学問•教育•芸道は、肇国の精神の発露発展であり、それぞれの真意や特色などを述べています。


        【 口語訳 】

   国民文化


《文化》
わが国の文化は、肇国の大精神の顕現です。
それを更に発展させる為に、外来文化を摂取醇化して来ました。
しかし支那の明時代の革命思想は、わが国体と根本的に相容れず、菅原道真の「和魂漢才」の真意はこのような批判に於てです。

文化とは、国家•民族を離れた個人の抽象的理念の所産であるべきではありません。
わが国の文化の一切は、国体の具現で、常に肇国の精神が厳存しており、それが国史と一体を成しています。

 わが国の文化は、一貫した肇国の精神を持つと共に、各時代に於て異なる特色を表しています。
しかし創造は常に歴史を振り返り、いにしえに帰ろうとする復古の精神は、新時代を創る力となりました。
従って復古なき創造は、真の創造ではありません。伝統の上に新時代を創造(むすび)してゆくのが、真の発展の姿です。

《学問》
 わが国の学問は、歴代の天皇のご奨励によって発展して来ました。
儒教•仏教などの大陸文化を摂取して保護奨励し、万葉集•古今和歌集なども奨励なさいました。
学問を保護奨励なさったのは、肇国の精神を広げ、国運を興し、国民の幸福の増進に大み心を注がれた為です。

聖徳太子は皇道を高める為、憲法17条を制作し、抽象的な理法ではなく、具体的に伝統精神の上に踏み行うべき道として示しました。それによって多岐に渡る学問•文化は統一され、復古と創造、伝統と発展の中に進歩を遂げて来ました。

国史について聖徳太子は、天皇記•国記を著し、天皇の勅命によって古事記•日本書記を編纂しました。歴史の編纂は、六国史を成立させ、民間でも大日本史が作られました。

国学は江戸時代に勃興し、古典の研究に発した復古の学問であり、国史と共によく国体を明らかにし、国民精神の宣揚に大いに貢献しました。

 わが国のあらゆる学問は、その究極を国体に見出すと共に、皇運の扶翼を任務とします。

江戸期に医学•砲術その他が伝来した時、非常な困難を排してその研究に当たったのも、又、
明治維新後、西洋の学術百般の採用に専念し、努力したのも、皇運を扶翼する国民の道に立っての事でした。

しかし非常な勢いで外来文化を輸入したので、
中心を見失いがちです。
明治天皇の五箇条の御誓文の中のお言葉に、

「知識を世界に求め大いに皇基を振起すべし」

とあるように、常にこの思いを根本の目的として、学問の本旨を逸脱せず皇運扶翼に努めましょう。

《教育》
 わが国の教育もまた、国体の顕現を中心とし
肇国以来の道にその淵源がある事は、学問と同じです。


いにしえのわが国の教育は、祖先以来の朝廷への奉仕の歴史伝承が教育の内容でした。
代々 家職を継ぎ、朝廷に奉仕する由来を述べて子孫を教育し、奉公の念を厚くしました。
後の武士の教育に於ても、伝統による家庭教育を重んじて、家門の名を守るべき事を教えました。

 近世の国民教育は、神道家•国学者•儒者•仏教家•心学者らの活動によるものが多く、こうした人々の貢献は、和歌•俳諧•算道の諸芸諸道の祖として、その道の起源を神に求めています。

教育とは、慈しみ育てるという意味で、人間に備わる自然の慈愛を基いにして、道に従って人を育てることです。

●わが国の教育は、明治天皇の「教育勅語」にあるように、国体に則り、肇国の精神を奉戴して皇運を扶翼することをその精神とします。


◆従って個人主義教育学の唱える自我の実現•人格の完成などは、単なる個人の発展完成のみを目的とするものとは、全くその本質を異にしています。
即ち、国家を離れた単なる個人的心意•性能の開発ではなく、わが国の道を体現するところの国民の育成です。

個人の創造性の涵養、個性の開発などの教育は自由放任の教育に陥り、わが国の教育の本質には適しません。

 ●教育知識と実行を1つにするものでなければなりません。
知識のみの偏重に陥り、国民としての実践に欠くる教育は、わが国の教育の本旨に悖ります。
知行合一してよく肇国の道を行ずるところに、わが国の教育の本旨があります。

●諸々の知識の体系は、実践によって初めて具体的なものとなりその処を得るのであって、理論的知識の根底には、常に国体に連なる深い信念と、これによる実践が伴わなければなりません。
そして国民的信念と実践は、理論的知識によって益々正確に発展するのですから、わが国の教育に於ても、理論的•科学的知識はいよいよ尊重奨励されますが、同時に国民的信念と実践を
離れず、わが国の文化に資する
ようでなければなりません。

即ち、諸学の分化発展を図ると共に、綜合に留意し、実行に高め、知識を実践して本領を発揮すべきです。

 明治天皇は、明治12年「教学大旨」に、

  「教学の要、仁義忠孝を明らかにして知識才芸を究め、以て人道を尽すは、皇祖の教え
国典の大旨を上下一般の教えとする所なり。
然るにもっぱら知識才芸の身を尚問い、文明開化の末に馳せ、品行を破り風俗を傷負う者、少なからず。然るゆえんの者は、維新の始首として陋習を破り、知識を世界に広むるの卓見を以て 一時西洋の所長を取り、日新の効を奏すと言えども、これ流弊。仁義忠孝を後にし、いたずらに洋風を競うに於ては、将来の恐るる所。
終いに君臣父子の大義を知らざるに至らんも測るべからず。これわが国の教学の本意に非アラざるなり。」

と仰っています。
よくよく時世に照らして深く思いを至さねばなりません。

《芸道》
 わが国の道は、古来の諸芸にも顕著に表れています。
詩歌•管絃•書画•聞香•茶の湯•生華•建築•彫刻•工芸•演劇など、皆その究極に於ては道に入り道より出でています。

道の表れは、一面に於ては伝統尊重の精神となり、他面に於て創造発展の行となります。
従って中世以来、わが国の芸道は、まず型に入って修練し、至って後に型を出る という修養方法を重んじました。

●それは個人の恣意を排し、まず伝統に生き型に従う事によって、自らの道を得、のち個性に従って実現すべき事を教えたものです。
これがわが国の芸道の特色です。


●芸道に見出される1つの根本的な特色は、没我帰一の精神に基づく様式を採る事であり、更に深く自然と合致しようとする態度のある事です。

庭園の造り方を見ても、背景をなす自然との融合をはかり、布置配列せられた一木一石の上にも大自然を眺めようとし、竹のすのこに茅の屋根のあずまやを設けて、自然の懐に没入しようとします。

即ち、主観的計画に流れ、人意をほしいままにするというのではありません。

茶道に於て侘びを尊ぶのも、それを通じて我を忘れて道に合致しようとする要求に出ずるのです。
狭い茶室に膝を合せて一期一会を楽しみ、主客一味の喜びにひたり、こうして上下の者が相寄って、私なく、差別なき和の境地に至るのです。
この心は、古来種々の階級や職業の者が、差別のうちに平等の和を致し、大いなる忘我奉公の精神を養って来た事によく相応します。

絵画に於ても、大和絵などは素直な心を以て人物•自然を写し、流麗にして趣致に富み、日本人の心を最もよく表現しています。

連歌•俳諧などは、本来一人の創作ではなく集団的な和の文学•協力の文学です。

また簡素清淨なる神社建築は、よく自然と調和して限りなく神々しいものとなっています。
寺院建築も、よく山川草木の自然に融合して優美なる姿を示し、鎧兜ヨロイカブトや衣服の模様に至るまで自然との合致が見られるように、広く美術工芸にもよくこの特色が表れています。

●更にわが国の芸術について注意すべきは、精神と現実との綜合調和、及びそれぞれの部門の芸術が互いに結びついている事です。

即ち、世阿弥の「花」、芭蕉の「さび」、
近松門左衛門の「虚実論」などに於ては、この心と物との深い一体の関係を捉えています。

絵巻物に於ては、文学•絵画•工芸などの巧みなる綜合がみられ、能楽に於ては、詞章•謡歌•奏楽、舞踊•演技、絵画、工芸などの力強い綜合的実現があります。

歌舞伎に於ても、音楽と舞踊と所作との融合にその特色が表れており、また花道によって舞台と観衆との融和にまで進んでいます。

わが国の文化は、その本質に於て肇国以来の大精神を具現せるものであって、学問•教育•芸道など全てその基づくところを一にしています。
将来の文化もこのような道の上に立って、ますます創造されるべきです。


    〜〜漢字の読みと意味〜〜

国体/国柄、国の役割、使命

肇国の精神

覆溺 フクデキ/舟がひっくり返って人が溺れる
儼存
/厳存
回顧
/過ぎ去った出来事をあれこれ思いかえすこと
復古
/昔の状態・体制に立ち返る、戻すこと
覆溺 
フクデキ/舟がひっくり返って人が溺れる

二十一代集
/八代集と十三代集とを合わせた「古今和歌集」から「新続古今和歌集」までの二十一代の勅撰和歌集の総称
勅撰 チョクセン
/天皇の仰せによって詩歌や文章などを選んで書物を作ること
勅版 
チョクハン/勅命により版行された書籍
印行 
インコウ/印刷して発行すること
御軫念 
ゴシンネン/天子が心を痛めること

肇国の精神

夙に ツトに/ずっと以前から、早くから
皇道
/天皇が行う政道の意
羽翼 
ウヨク/味方となり助けてくれる人、助け

憲法十七条


三経の義疏
 サンギョウのギショ/聖徳太子の著とされる『勝鬘経ショウマンギョウ義疏』『法華ホッケ義疏』『維摩経ユイマギョウ義疏』の三疏を一括した呼び名
聖旨
/天皇のお考え
講筵 
コウエン/講義をする場所
六国史 
リッコクシ/奈良・平安時代に編纂された『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』
皇運の扶翼
/国の運命を助ける

五箇条の御誓

皇基/天皇が統治する国家の基礎、皇国のもとい
淵源 
エンゲン/物事のよってきたるもと、みなもと、それをおおもととしていること

磐鹿六鴈ノ命 
イワカムツカリノミコト/日本料理の神様『日本書紀』によると磐鹿六雁命は、景行天皇の東国巡幸の際に白蛤を膾にして献上したところ大変に気に入られ、お褒めの言葉を賜った

擢んでて
/抜きん出て
関聯
/関連

教育勅語

輓近 バンキン/ちかごろ、最近、近来
雖も
 イエドも
徒に 
イタズラに
恣にする
/思う通り勝手にする
講筵 
コウエン/講義をする場所
寔さんに
/これ、まことに、まさに
趣致 
シュチ/風情、おもむき



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