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喪中につき 6 醸化する親娘

喪中って1年間あるんだ、よかった、と書き始めたこのシリーズ。
父が亡くなったのは2月だから、今8月で半年になる。

亡くなる最後の1週間程の間、私は実家と東京を行き来したのだが、この時、父は私の子供になって東京へ戻る私にまとわりついてきた。子供というのは、関係性だと思うのだが父はなつきながら、苦しい身体を離れて陽気に楽し気だった。

私は本来娘だったのに、ここ数年は家長のようで、最後は父は子供だったのだ。
(そしてこの時、母から見たらまた全く違う時間が流れていただろう。)

まぁ、その後父の事に思いをはせるような毎日を送っている訳ではないのだが、先日、落合陽一さんと日本フィルハーモニー交響楽団によるプロジェクトVOL.5「醸化する音楽会」を聴きに行った。父は若い頃市民交響楽団でバイオリンを弾き、年を取ってからはオカリナを製作して演奏グループを持っていて、最後まで音楽を楽しんでいた。

音楽会でバイオリンの音に包まれた時、父がよみがえってきた。バイオリンの音はいいねぇ、と一緒に聴いているようだった。そして、最後の曲目の展覧会の絵、キエフの大門は光と色の映像演出もあって、人が生まれてくるとき、亡くなるときに目にするのはこんな時空かと思うような演奏だった。当日の8月11日は父の誕生日だ。

この時、父は元の私の父になっていて、私は、あ、娘に戻れた、と思った。

醸化は落合さんの造語とのこと。発酵がテーマの音楽会だった。半年たって父と私の関係性もまた変わった。


ごめんね、と思ってるいくつかの事があって、その一つがこの話にどうしても絡んでいる。

結果的に最後の面会になったICUを訪問した日、耳元で父のオカリナの演奏をかけてあげた。聴覚は最後まで残るとも聴いていたので、父を慰めたい気持ちだった。すると呼びかけても反応のなかった父が、オカリナの音色に反応して目を開いた。あ!思ったのだが、もしかすると「お迎えが来ちゃったのか?!」と怖がらせたのかもしれない。それは驚きと怖れの混じった表情だった。その表情も5秒程のことだったか、あとは薄く目を明けた静かな父にもどった。私はしばらく演奏をかけたあと、病室を出て東京へ戻った。

こちらは落合さんがTweetしたキエフの大門の動画。映像リハーサルの時でしょうか。昇天しそうでしょう?当日の動画の再配信はまだ販売しているようです。いい音楽会でしたので、お薦めです。


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