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日記:20230418〜療養解除〜

 療養解除になる当日にほぼ体調が戻った。前日、22時半から10時間寝て昼寝もしたおかげかもしれない。一日の半分寝ないと体調が維持できない。

 吉田知子「そら」読了。
 「静かな夏」超初期の作品。悪意がかなり露骨に表れている。やっぱりシャーリイ・ジャクスンに通じるものを感じる。
 「箱の夫」不気味さよりも、この作者にしては珍しく居心地の良さを感じた。不思議な平穏を感じる作品。「姑はフシゾウだと言っている」という一節があるけど、これは「シフゾウ(四不像)」のことじゃないだろうか。意図的に間違えているのかな。
 「艮」再読したら、物語の構造が理解できた気がする。初読では語り手の意識と逃亡中の殺人犯の意識が混濁していると思っていたけど、もっとシンプルに語り手が入れ替わっているんじゃないか。「二つの黒い塊」が一方はばばあだけど、もう一方が明記されていないのは、殺されたのは猫女ではなく、最初の語り手の男かもしれない。家の縁の下に潜り込むまでの逃避行と、家の住人を新たに殺戮した後の行動が入り混じって描かれているのではないか。悪い夢だと思っていた光景が、現実に起こった(かもしれない)出来事だった、という衝撃はマンディアルグの「生首」や、泉鏡花の「袙綺譚」のようでもある。
 「穴」は比較的最近の作品で、オカルティックな面が強く表れている。 「犬と楽しく暮らそう」これもだいぶ異色の作品。吉田知子の作品で異色でないものは読んだことがないけれども。最後のメタモルフォーゼがなんとも恐ろしい。
 「幸福な犬」のほうは、男女の関係を飼い主と飼い犬の関係になぞらえているのかな、と思う。読んでいてやり切れないような、辛気臭いような気分にさせられる。
 「ユエビ川」なにが起きているのかさっぱりわからない状況で、常に死角から敵意と暴力が襲ってくる息苦しい小説。ぜんぜん違うかもしれないけど、コーマック・マッカーシーのようなハードボイルド性すら感じた。主人公が2人組にトラックで運ばれてくる冒頭は、「脳天壊了」のあのシーンを思い出す。
 「そら」幼女の目を通じて、意識の流れを追うように文章が畳み掛けられていく。抽象的なものを色彩的に描写する場面が頻出するのが印象的。ただ、それが何を指しているのか掴み切れなかった。「ユエビ川」「そら」の2編は読み負けた感があるので、もうすこし体調を整えてから読み直す必要がある。
 短期間に立て続けに読んだ吉田知子、自分にとって大切で愛好する作家になった。


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