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日記:20230817〜シルヴィア・モレノ=ガルシア「メキシカン・ゴシック」〜

 シルヴィア・モレノ=ガルシア「メキシカン・ゴシック」読了。
 序盤はかなりゆっくりとした展開で、ゴシックはともかくホラー要素はほとんどなく、すこし読むのに時間がかかった。徐々に悪夢の描写が目立つようになり、覚醒しているのか夢の中なのかも曖昧になりだし、だんだん不穏な空気が高まりだす。全体の3/4くらいから怒涛の展開で、ものすごく引き込まれた。

 冒頭からヒロインであるノエミや、周囲の男性たちの描き方にフェミニズム的な意志を感じる。物語が進むにつれて、一族の記憶や意識を繋ぎ止めるきのこが支配する屋敷からの脱出が、ハワードを中心とした男性・白人至上主義との対決と重なる構成が明らかになる。

 両面のバランスが良く、作品の面白さを損なうことなく、深みを与えていて素晴らしい。

 特に明るく快活で気の強いノエミが、ヴァージルに何度も籠絡しそうになったり、とどめを刺すチャンスを活かせなかったのに対し、夢見がちでか弱い印象のカタリーナが、最後にヴァージルをめった刺しにする激しさを見せるのが印象に残る。女性側の描き方も一面的になっていないのが魅力的。

夢を見ているとしても、嫌な夢ではなさそうだ。そう思うと、目覚めてほしいと願うことが酷な気もした。

シルヴィア・モレノ=ガルシア「メキシカン・ゴシック」

 ラスト近くのこの一文はちょっとびっくりした。この優しさ、繊細さがあるからこそ、あれだけのグロテスクな惨劇が描けるんだろう。

 全体的に会話などですこし古臭さを感じるところが気になったのだけど、舞台設定が1950年台だから、それに合わせた意図的なものだったのか、訳者の力量によるものなのか、最後までわからなかった。
 あと、色白で華奢で繊細なフランシスの一人称が「おれ」で、鼻持ちならない美丈夫のヴァージルが「ぼく」なことに引っかかってしまった。原文のニュアンスが分からないからなんとも言えないけど。野暮ったい田舎者のフランシスと、洗練されたヴァージルの対比のためなんだろうか。 

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