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日記:20230414〜療養3日目・吉田知子「日常的隣人」〜

 今日も療養生活という名の仕事生活。
 喉の痛みがなかなか治らなくて、痛み自体は大したことなくても余計な心配をしてしまう。発症当初は喉の奥の方がイガイガする痛みだったのが、いまは扁桃腺の辺りがジンジン痛む感じ。
 発症から10日以上経過する来週末にはどうしても行きたいライブがあるので、それまでに気持ちよく全快しておきたいのだけれど。

 食料支援品をよく見たら信じられないくらい大量に蒟蒻ゼリーが入っていた。今まで蒟蒻ゼリーをちゃんと食べたことがなかったので、試しに食べてみたけど食べ方がよく分からず、かたまりが喉に飛び込んできて「ああ、これは死ぬわ」と思った。
 いくつか食べてみたら慣れてきた。慣れてきた頃には食べるのが止まらなくなっていた。恐ろしいな、蒟蒻ゼリー。

 吉田知子「日常的隣人」読了。これまで読んだ作品と比べると、だいぶ軽めでユーモアの要素が強く、読み物として楽しい。特に「日常的嫁舅」「日常的二号」「日常的美青年」「日常的患者」あたりは創作落語のような軽妙さがある。「奇妙な味」と言えるかもしれない。「日常的美青年」はすこしヒュー・ウォルポール「銀の仮面」にも似ているし。
 個人的にはいわゆる奇妙な味からさらに一歩逸脱した不気味さ、意味のわからなさがある「日常的親友」と、ドラッグ&バイオレンスな老夫婦の物語「日常的夫婦」が好みだった。

何回も書き直しているうち、私はとうとう大声で泣きだしてしまった。泣く前は、大抵は予感があって、胸のあたりがもやもやし、鼻がツーンと詰まったようになって、涙がジワッと湧いてくるのが普通なのに、そのときは、いきなり吠えるような泣き声が出た。誰の声かと一瞬自分で怯えたほどだった。泣き出すと壊れた機械のように止まらなくなった。ばか、ばか、ばかと私は泣き叫んだ。まさか、隣の家へは聞こえないだろうと少し心配だった。

吉田知子「日常的親友」(『日常的隣人』)

 感情を爆発させる瞬間や、激情に駆られながらも変に自分を客観視しているところをこれだけ的確に描写しているからこそ、語り手の感情表現があべこべになり、ひきつった笑いを浮かべるしかないような気持ち悪い幕切れが、よけい際立つのだろう。

 「日常的夫婦」の息子の名前が「良」だったり、「日常的先生」の忠平と信作の関係がすこし「脳天壊了」を思い出させるものだったり、既読作品との共通点が見られたのも面白かった。

 巻末の「人茸」は収録作品の中では異色で、著者の本流と言える。ただ、日常的な生活が気づくと異様な光景に横滑りしていることが多い吉田作品の中では、出だしから主人公自身や主人公の置かれている状況が異形であることが特色。新聞の切り抜きを引用しながら、冬虫夏草に結びつけるラストは魅力的だけど、結末が綺麗すぎて飛躍の仕方にすこし物足りなさを感じた。

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