風が震わす

 猫のヒゲは、猫が狭いところを通る際の目安として機能しているらしい。
 馬のたてがみは、視界の外から何かが触れた際に察知するためのものらしい。

 広義に毛とは、防護のためだけでなく、身の回りに起きた変化などへのアンテナとしての役割があるのだろう。

 某日、Xは生まれた。いや、遺伝子組み換えによってXとなったと表現するのが正しいか。
 Xは、元の性質をそのままに、これから色々なことが出来るようになるのだそう。噂程度だけれど。

 ここよりはるか先の未来。もう四桁年を飛び越えて五万三千九百二十六年の地球。そこではもうXなくしては生きていけないらしい。

 朝起きるにもX、朝食を作るのにもX、通勤通学にもX、ご近所さんへの挨拶にもX、忘れ物に気づくのにもX、遠心駆動型エレベーターを動かすにもX、飯どころを探すのにもX、お疲れ様でしたにもX、サモングラフィックでメンタルチェックをするのにもX、夕日をバックに鳥が飛ぶのにもX、風が吹くのにもX、桶屋が儲かるのにもX、魂魄乖離の運用にもX、ニュースを観るのにもX、ドラマの実況にもX、靴を脱ぐのにもX、シャワーにもX、プレイステーションマレフィセントProの起動にもX、枕選びにもX、夢を見るのにもX、そして太陽と月の入れ替わりにもX。
 もうX無しじゃあ地球はオンボロすぎて稼働しないみたいだ。

 そんな時代にひとり、Xの起源について調べる者がいた。彼の名もX。というよりこの時代では全ての人間に平等性を持たせるため、固有名詞による呼称が廃止されて誰もがXと呼び合っている。
 Xの祖父母の蔵には旧時代の書物が大量に遺されており、幼い時からそれらを読み漁るのがXの楽しみだった。
 数えきれないそれらを読み漁り、『ドグラ・ヤグラ・マグラ』や『五億輪書』などを愛読書だと自覚し始めた時、やっと蔵の最奥に手が届いた。
 そこにあったのは、

『    』

 なんの装丁も施されていない一冊の本。大きさにして単行本ぐらいのそれは、旧世代のものとしても相当古く、個別デジタライズされていなかった。
 蔵の奥で眠っていたからよいものの、こんなものがそこら辺に放って置かれていたら現在蔓延している意思のある窒素によって数日で風化してしまう。
 つまりこれは、西暦が四桁年代のものであるとXは気付いた。
 長生きだった祖父も一万年程度しか生きていないため、この本の持ち主を察することなどXにはできなかった。そしてそれがむしろ、Xの興味を引き立たせた。

 結論、Xにはその本の内容を理解することができなかった。
 表紙を開くと小鳥の横姿が刻印されてあり、その下には「ツイッター」とだけ書いてある。
 そこから先はずっと、十数〜百文字少しの文章をひとまとまりとした羅列が記されているのみだった。

 ずっとこんな調子の文章ばかりがある。一つ一つの意味はわからないでもないが、なぜこれが本としてまとめられているのか、そしてそもそもこれがなんなのかの説明は一切書かれていない。

 Xは、蔵からこの本を持ち出した。そして少しずつ、少しずつ読み進めていく。
 次第にXは彼なりにそれらの文章についてこう考えるようになった。

 これは、日記なのではないか。そしてこの日記の持ち主が、遠い遠い祖先なのではないか。でなければ、人の家に長らく置いてあることになる。人に贈るにはあまりにも文脈のない言葉すぎて、そう思うことでなんとか辻褄を合わせようとしていた。
 ふと、Xは思い出した。都市伝説と呼ぶにはあまりにも荒唐無稽な話を。

 Xは五万年以上の歴史を持つ媒体であり、人々はX無くしては生きていけない。がしかし、当初はそんな大仰なものではなかった。
 Xにインフラ機能や生活補助機能などなく、ただ日々の動向を記録することのみだった時代がある、と。

 現代人はみな笑う話だ。X無しでどうやってご飯を無毒状態にできるのか。
 Xだって例外じゃない。ただ、たしかに知らないことなのだ。
 五万年続くXの、その始まりのルーツを。

 Xによる教育番組、バラエティ、ドキュメンタリー、音楽番組、etc。
 それらのどこを探っても、Xの起源について触れているものはない。
 であればこの本、『    』はXの原初に近いものなのではないか。

 Xは日々、読み耽った。意味のない言葉に惑わされながら、つながらない文脈にほとほと呆れながら、読破した。そうすることでXがなんなのかをXは知りたかった。
 結論でも述べた通り、Xは内容を理解できない。その代わり、Xを弄り倒すという興味が湧いた。
 生まれた時にはすでに世界への干渉を終えていたXを、今更弄る人なんていない。だからこれが逆に盲点だったのだ。

 Xには、家屋を示す記号があった。それに触れると、あの本にあったような文字群がいくつか浮かび上がってきた!
 Xは恐る恐る、他にもないか探してみる。
 すると指に合わせて画面が動き、下へ下へと進むことができる。
 最後の人類だの、隕石がどうだの、Xはくだらんだの、自由すぎる言葉がそこには転がっていた。
 そんな自由に目が眩みつつ、Xは気付いた。
 それらの文字群には逐一日付が載っているではないか。

 Xは本に向き直る。

 それらの文字群にもちゃんと日付が記されており、最後のページは二千二十四年で締めくくられていた。
 Xの方はと確認してみると、最後の人類だなんだと言っている文字群は四千八百四十五年の十二月三十一日だった。

 五万年以上、文字群は更新されていないらしい。
 にしても最後の人類とはどういうことか。

 それを機に、XはそこにXの起源があると信じXを調べ続けている。
 どうやら家屋の記号は時系列がぐちゃぐちゃではあるもののある程度下へ進むとだんだん全体的に古くなっていくようだ。どのような規則で並んでいるかはわからない。それが興味深く、更に下へ、Xは歩みを進める。

 気づけばXは、自分の脳内通知によって知らされる世界の動向よりも、はるか昔のXで盛り上がっていた人類の動向に夢中になっていて。

 Xがついに、地球を一旦潰してX製の「地球X」を生み出そうとしていることに気づくのが遅れた。

 結局はいつの世も、最新の動向を窺い続けるのが大事になってくる。
 今日という今日に、何も起きないことなどあり得ない。
 アンテナは張っておいた方がいい。そしてそのアンテナはなるべく多方面に、なるべく遠い場所へと届くように長くしておいた方がいい。
 さながら猫のヒゲのように、今起きた物事が自分に関係あるかどうかを判断するために。
 さながら馬のたてがみのように、知らない場所で起きたことでも自分を無関係の領域に追い込むことなく察知できるように。
 そうして張り巡らせた毛のような無数のアンテナを、情報という名の風が震わす。今と変わらず、未来永劫。

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