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少年とジンクスと公園と
「お前が居なくなった場所は急激に発展するよな。なんでか知らんけど。」
小学校から続く仲の、私と同レベルの狂人である大親友からそんなことを言われたことがある。いつから言われ始めたかは定かでないが、妙に印象的で今でも新しい環境に飛び込む時にふと思い出してしまう言葉だ。
そして、その言葉が記憶の中を駆け巡り、回想の中で知っている場所を一軒一軒訪ねていくたびに、それが事実であることを思い知らされてしまうのだ。
昔住んでたアパートの最寄駅も、私が引っ越して使わなくなった後で駅舎が綺麗になり、周辺に店が増えた。もともと東京とはなにかと問いただしたいくらいに陰気だった場所だが、嫌味なくらい綺麗になった。
高校の最寄駅も、私が卒業した後突然開発が進んだ。 リフォームとかのレベルではない。もはや生まれ変わりに近く、「所詮各停しか止まらない駅」と言わせないくらいには立派になった。
書いている途中に思い出したが、私の在学中に始まった高校の校舎改築もその頃に終わって綺麗になってたような気もする。浪人後の結果を母校に報告した時にびっくりした記憶がある。
大学の周辺は相変わらずだったが、長いこと工事中だった横浜駅は私が卒業する頃になってやっと工事が終わった。至るところにあった白い壁はすべてなくなっていた。使い勝手はかなり微妙とはいえ、最寄駅(笑)も誕生した。
どれも、私がいなくなって1年以内にあった変化である。街というのは放っておくとどんどん発展するものではあるし、当たり前といえばそれまでなのかもしれない。ただ、タイムラグの短さがどことなく嫌味のようだった。
このように「自分がいなくなった途端にその場所が変わっていく」という経験をいくつかできる歳にはなったのだが、基本的にはどれも「発展する」「新しくなる」という方向の変化だった。そのためか、捉え方によっては呪いの類のように思えるこのジンクスもさほど不愉快でもなかった。結局私もその便利さを享受できることを考えると、何も悪いところはなかったように思う。
まあ、だからこそ笑っていられたのかもしれない。
去年の春頃に地元の友達からのLINEで、小学校の頃よく遊んだ公園が閉鎖される予定であることを知った。
昔住んでいたアパートから歩いて1分のところにあった、懐かしい公園だ。
私は当時就職活動で忙しくそれどころではなかったうえ、こんな歳になって今更公園でやりたいことがあるわけでもなかった。適当にメッセージを返し、それ以降しばらく思い出すことはなかった。
それから半年ほど経ったある日。
作詞が行き詰まっていて悩んでいた私は、インスピレーションを探すため、「散歩」に出かけることにした。ただ周囲の景色を眺めながら歩くだけのそれが、凝り固まった思考をほぐして納得の行く一つの答えまで導いてくれるのだから不思議なものである。
気分転換にもなるうえ歩けば必ず進捗になるので、いつしか「散歩」は何かを「作る」作業で困った時の常套手段になっていた。
とはいえ、歩き慣れた道をゆくばかりでは効果も薄れるというもの。この時は普段よりも深く悩んでいたので、ちょっといつもと違う場所に行きたくなった。さあどこへ行こう。そんなときにあの公園のことをふと思い出したのだった。
就活も終わり、卒論の進捗にも余裕があった私は、時間を作って行ってみることにした。
いつもと逆方向の電車に乗ること30分。私はかつて住んでいたアパートの最寄りの隣駅で降りた。急行が止まってくれるからというのもあったが、単純にこちらの駅の様子が気になる気持ちが大きかった。
やはりその駅も自分の記憶にある姿とずいぶん違っていて、小綺麗にまとまっていた。まるで私がいなくなったことで完成したかのようだった。
駅から降りた後は近くのコンビニで青の魔剤を買い、あちこちを眺めながら目的地へと向かった。私が引っ越した頃にはまだエナジードリンクが流行っていなかったからか、魔剤の開缶音はなにか異様なもののようだった。
そのまま歩いていゆくと、小学校が見えた。6年生で転入したために1年しか通えなかった母校がそこにあった。100m走すらまともにできない校庭は今見返しても本当に小さいし、耐震工事で校舎の横にできた太く黄色い柱がほんとうにダサい。あれはなんとかならなかったのか。
そこからはかつての通学ををたどった。あまりに変わってなさすぎてこの辺はあまり覚えていない。
このように、とりとめのないことをいくつも考える。これが一番作詞に役に立つ。
脳もいい感じになってきたところで、いよいよあの公園だ。
通学路からこの公園へ向かうと、必ずくすんだ緑色のフェンスごしに滑り台が見える。
あと10歩くらいだろう。緑色がわずかに視界の端に映った。
公園にはたどり着けなかった。
緑色はあっても、フェンスや滑り台が見えることはついになかった。
なぜだろう。その答えに私は一度公園の場所を通り過ぎてから気づいた。
思い出の公園からは、雑草以外の遊具がすべてなくなっていた。使用不可になりテープで縛られたブランコくらいはあると思っていたが、甘かった。
遅かった。遅かったのだ。
雑草は人の出入りを拒むように高く伸びており、全方位にあったフェンスが取り払われたというのにどこからも入れなかった。
雑草以外に唯一この公園に残されたのは、不動産屋が立てた看板のみであった。その看板によると、どうやらここは分譲住宅になるらしい。
僕を作り上げた思い出の場所は、顔も知らないどこかの誰かの資産へと、あっけなく変わった。
今調べてみると、市のホームページはおろかグーグルマップからも情報が消えていた。あれだけお世話になっていながら正式名称すら知らなかったため、それを調べることにすら時間がかかった。そうこうしてわかったことは一つ。もう、あの公園はこの世のどこにもない。
自分の離れた場所がすぐに変化してしまうと知りながらも、どうしてあの公園が昔のままでいてくれると思ったのだろうか。どうして都合の良い変化をしていてくれると思ったのだろうか。いろんな思い出が蘇っては消え、心に穴の空いたような気持ちになったが、これは無自覚に街に甘えていた代償であるように思う。いつだって、先に忘れるのは自分の方だ。
もう今更公園でできることなんてないし、やりたいことなんてないが、このやり場のない気持ちを無駄にしないために、時間をかけて曲を作ることにした。その曲こそ、最近公開した「土煙と追憶」である。この文章なんかよりもずっと思いが伝わる出来になっているのでぜひ聞いてほしい。
思い出の場所がいつまでも「あの時の姿」のままいてくれる保証などどこにもない。
もし時間に余裕があるのなら、目的がなくてもそういった場所をふらっと訪れてみることをおすすめしたい。たとえ今どんなにくだらない大人になってしまったとしても拒まれることはないだろうし、もしかしたら大切な何かを思い出せるかもしれない。
何より、なくなってしまってからでは遅いのだから。
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