見出し画像

改めて「セックス・エデュケーション」について真面目に語る

ネトフリのドラマ、「セックス・エデュケーション」のシーズン4を観終わった。これでシリーズ完結、らしい。

約1年半前、シーズン2まで観た僕が書いた記事がこちら。

このドラマが、僕の性に対する価値観、自分の性的指向を少しずつこのnoteで話したり、人にオープンにするようになるきっかけになったと言っても過言ではない。実際、この記事を書いた1年半前と、僕の心境や性に対する考え方、人との付き合い方が大きく変化していて、悩んでいたこの頃から少し進めているのを実感して嬉しかったりする。

シーズン4では、途中までオーティス達が大学に進学したり、新たな登場人物たちも登場したりと風呂敷がどんどん広がってこれ完結するのなんて思ったりしたが、終盤は見事に大団円。ひとりひとりのキャラクターにきちんとした結論というか、道標が用意されていて、本当に感動してしまった。

できるだけ、ネタバレせずに多くの人にこのドラマを観てもらいたいので、頑張ってストーリーの展開に触れすぎず好きなところを話そうと思う。

まずはなんといっても、愛すべき個性的すぎるキャラクターだろう。メインキャラクターは、オーティス、エリック、メイヴの3人だが、この主人公を取り囲む同級生や大人たちに至るまで、誰ひとりモブ扱いすることなくしっかりと描ききる。欧米の優れた学園もののドラマって、こういったキャラクターの掘り下げが絶対ちゃんとされていて感心するのだけれど、日本ドラマと何が違うんだろう。

ひとりひとりのキャラクターに触れているときりがないけれど、やっぱり僕はゲイとして、エリックに触れたい。彼は登場時からゲイであることをオープンにした上で、ストレートのオーティスとは親友だし、よく描かれがちな苦悩する暗いゲイでも、別にホゲホゲのオネエでもない。基本的にカラッと明るい性格の彼だけど、もちろんゲイとしての苦悩、かなり信仰深いクリスチャンの家庭に生まれた悩み、そしてゲイという一面だけではなく自分らしさを解放するまでに至る過程など、エリックに関する全てのエピソードに共感と応援の気持ちで観ていた。シーズン4で、彼が辿り着く夢や信念は、少し上手くいきすぎにも見えるが、自分としても本当に救われるものがあった。

かるーく他のキャラクターにも触れておくと、やっぱりメイヴには幸せになってほしいし、エイミーも本当に素敵。あぁ、アダムもどうか幸せになって、ルビーもなんだかんだ憎めないよね…ていうか、登場人物たちに幸せになって以外の感想が出てこない。

このドラマで描かれるテーマは、タイトルの通り性に関する悩みがメインになるのだけれど、性というかなりパーソナルな悩みを知るということは、その相手のことを深く知るということであって。初登場時には、視聴者がなんだこいつとか、嫌な奴と思うキャラクターも、知れば知るほどだんだんと憎めなくなってくる。これって、実際に人のことを理解していく過程と同じだなあと思った。

興味がない相手、深く関わろうと思わない相手とは、いつまで経っても平行線。だけど、なにかのきっかけで相手のことを知ると、なぜだか切っても切れないような関係性になってたり。ドラマのように、実生活で会う人すべてに深入りして感情移入していたら身がもたないのでそうはいかないけれど、そういった誰かのことが分かってきて、愛おしく思うっていう喜びが、ドラマを観ていても普段生きていて感じるのと同じように感じられてすごい嬉しかった。

シーズン4でまた気づかされたのは、自分の無意識の偏見や、ステレオタイプに人を押し込めようとする考え。オーティスたちが大学に進学して、さらに多様なセクシュアリティーの登場人物たちが登場するのだけど、最初、「あれ、この子は男?女?ここが付き合ってるってことはこの子の性自認は?」と色々気になって、新キャラになかなか馴染めず。

ところが、話が進むごとに、新キャラたちの良い一面や個性に気づくと、別に肩書きやセクシュアリティーがそんなに気にならなくなってくる。無意識のうちに、誰が男で女で、性自認、指向はどうで、って自分が理解できる形にキャラクターを当てこもうとしていた自分に気づくのだ。

繰り返しになるけれど、多様性が叫ばれるこの2023年でもちょくちょく入ってくる悲しくて無神経な発言とか、古い価値観。結局それは、そもそも相手のことをはなから拒絶してみてもいないっていう対話の欠如から来るものだよなぁってしみじみ思う。全員が理解し合うって無理だし、仲良い同士でも、分かり合えない部分はある。ただ、お互い妥協点を見つけて、適度な距離感で共生することは出来るのに、ってのは綺麗事かな。

とりあえず、僕はこのドラマを観て、自身の性に関するあれこれを自分自身で恥ずかしいとは思わなくなった。まだ、人にはあまり積極的には話せない。だけど、それをオープンにしたときに、誰かに笑われたり拒絶されることがあっても、「これが僕だ」と胸を張れる自分自身でいたいなあとは思う。僕がこの先自分のセクシャリティーを背負って生きていく上で、「セックス・エデュケーション」は御守りのような作品になる気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?