またニコニコしてらあ

大人なら誰しも、職場での顔、友人との顔、家族との顔と、その場その場に適したいくつかの顔を持っていると思う。

僕も、大人になって、社会人になって顔が増えた。できる限り、自分に嘘をつきたくない、いつでも正直でいたいという気持ちはあるけれど、それぞれの場で上手く立ち回るために、自分のその場に適した一面を切り取って使うということに、だいぶ慣れてきたなぁと思う。

今日、職場の先輩たちと飲みに行ってきた。前の店で良くしてもらっていた先輩たちなので、誘われたことは嬉しかったし、楽しかったけど、帰り道、ずっとモヤモヤする。そういえば、僕が聞いてほしかった話とか、ちょっと抱えてる愚痴とかは一個も話せなかったな。

職場で、特に目上の人とか、後は全体に向けて話すときの僕は、良い子ちゃんモードだ。自然と、自然な(?)笑顔を浮かべられるようになった。心の中でどんなに罵詈雑言を並べ毒づいていても、ニコニコしていることで許されたり、上手いこと回るというメリットの方が大きいなあと思ってしまうので、我慢していることの方が多い。

今日の飲み会も、先輩たちはみんな役職に就いている人たちで、僕だけペーペー。年もみんなちょっとだけ上の世代。悲しいかな、この仕事モードがすっかりインストールされてしまった僕は、ずっとニコニコして、先輩の話に笑ったり、いい感じのパスばかり出していた。

おそらく、1人だけ場違いな僕を飲み会に呼んでくれてるということは、先輩たちに好かれてるんだ、と思う。だけど、ニコニコして相槌うって場の空気を乱さない人間だから好かれているのであれば、本音をあまり出せてない僕がここにいる意味とは?となってしまった。

僕は自他共に認める八方美人だ。みんなに嫌われたくない、というよりは自分が好きな人全員に好かれたいという意識がある。そのためには、多少自分の自我を抑えてでも感じ良くするというのがすっかり身についてしまっている。

みんなが本音剥き出しで生きていたら、世の中回っていかない。それは分かっている。だから、処世術として、多少作った自分を表に出していくことも、すっかり平気だと思っていた。だけど、まだこうやって建前の顔をする自分自身に傷つくなんて、まだ僕も全然ピュアなのかもしれない。

たしか、前同じ先輩たちと飲みに行ったときも、おんなじようなことを思って、noteに書いた気がする。自分が好きで、好かれたい人と一緒にいることが、必ずしも自分にとってプラスに作用するわけではないのかもしれない。人からの影響を多分に受けやすい僕は、人との付き合い方や距離感を、ちゃんと見極めた方がいいのかも。

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