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私小説『そっちにいかないで』に寄せて

 いつもだったらTwitterにササッと書いたものを加筆・再構成して、ここに残すという形にしているのだけど。今回ばかりは、元ツイートへのリンクを貼り付けて、自分のファーストインプレッションはそっちで読んでもらう事にしようか。ツイート4つを繋げたスレッドで、大した事書けた訳じゃ無いけど、再構成した所でブラッシュアップ出来そうな気がしないので。

 Twitterに書いた事と少し矛盾するかも知れないけれど、題材が著者自身の経験や心象風景に基づいている訳だから、自分の立場(要するに「いちファン」という立ち位置)であれば、先ずは本書を"著者=戸田真琴の物語"として読んでしまうな。自分の中で"主人公=田崎モモの物語"とするには、あと何周か読んでみなければならないかも。著者の存在が透明になるにつれ、主人公の心情が、言葉が自分の心に残っていけばいいと。

 小説の中には主人公=モモの恋の話も登場する。高校の頃の、初恋の話。「ああそうか、映画『永遠が通り過ぎていく』の「Blue Through」、あれって恋の話なんだよなぁ」とふと思う。仲が良かった大学の同級生、江藤くんの「好きだ」という告白を受け入れなかったモモ。「こんなに波長の会う人に出会うのって、なかなか無い事なのに…」と、何故かモヤモヤしてしまう自分がいる。そう言えば「自分の根底にあるのは、人間不信かも知れないな」と思い当たったのは何時の事だったか。「だったら結婚どころか、恋愛だってオレには無理だろ」と思ったら、何だか可笑しくて、思わず笑ってしまったのは何時の事だったか。「自分の心をまるごと、一瞬でもいいから人に預ける事が出来たら、何事にも代え難い様な気分になるだろうなぁ」と思うと、途轍もない寂寥感が心を吹き抜けるけれど。でも一方で「まあ、いいさ。そうなれない、そう出来ないんだよ」と肩を竦めてやり過ごす自分も、心のどこかにいて。ナンダカスコシヒキサカレテイルネ。

 2周目の、読み掛けのページを閉じて少し思う。最後に心が、言葉が残っていけばいいと。著者の存在も、主人公の存在も透明になって、心だけが、言葉だけが残っていけばいいと。