8月10日 人生の昇格試験と向き合う
真面目に生きていると、人生の課題に直面することがある。
真面目とは、言われた仕事をやるというような反応的な行動ではなく、自分の人生に主体的に目標を持って生きるということである。目標を立てたり、願いを明確にするという決意は単に「こうしたい」という気持ちにとどまらず、決意に見合った課題や自分を試してくるような挑戦が目の前に現れてくることがある。
時間的・経済的な自由を目指し転職を決意すると、同僚から引き止められる とか
毎日日記を書こうと決めてから、緊急の仕事が入ってくる とか
絶対に行きたいセミナーの前々日に家族全員で体調を崩す とか
今まで見えていなかったものが見えてくるというだけでなく、思いもよらぬところから邪魔が入ったり、自分の本気度・そして人間としての器を試される昇格試験ともいうべき試練がやってくる。その試験は、決して手の届かないようなレベルではなく、なんとか達成できるかもしれない絶妙な難易度に設定されていてそれに合格すると時間だったり、お金だったり、自分の目標を達成すると同時に人間としての器が少し広がるようになっている。その試験は合格しないと1回しかチャンスが来ないものもあれば、時間を置いて絶妙に似たような状況でもう一度やってくることもある。
ちなみにこの類の人生の昇格試験は、反応的に生きている人には全く遭遇することがない。そういう人は淡々と月日を過ごしているうちにいつの間にか八方塞がりになっていることが多い。夏休みにどこへ行くことも無く自転車を漕いでいて、登り坂がきついのが嫌で下り坂ばかりを選んでいるうちに、全方向が登り坂になっているところにたどり着いてしまった。そんな感じだ。
ワタシもかつて嫌な勤め人を送っていた。実績を積んでいて仕事内容は自分の好きなことをやっていたが、どうしても家族と過ごす時間は少なく豊かな生活とは言えなかった。10年ほど、少しずつ少しずつ無理に無理を重ねて、破綻した状況を見ないふりをして続けているうちに限界がきて八方塞がりになってしまった。自分のやりたいことだけやるのではなく、家族全体の状態を客観的に判断できなければいけなかったのだが、職場の慣習と同僚たちも家族を犠牲にした働き方をしていたので他にどうしたら良いかわからなかったのだ。
その状況を脱するために転職を決意した。自分のマインドブロックを外すのにも時間を要したが、転職の準備を少しずつ始めて辞める半年前に社長に話を持って行ったところ激ギレされた。できれば穏便に済ませたかったが話を持って行った時点で決意が翻るわけもなく、怒られるだろうなと理解していたし背に腹は変えられなかった。結局は承認を得て職場を離れるわけだが、転職を決断してからはいくつも乗り越えるべき課題があった。面倒を見ていた後輩との関係、仲の良い同僚への報告、お世話になった上司への報告。皆驚き、失望もされ、疎遠になりもしたが、それでもそれぞれに自分の口からどうしてもそうしなければいけないと思っているということを直接話して、納得されるまではいかなくても自分の考え方を伝えた上で今後のやり方について説明することができた。
ワタシはこの一連のイベントを自分の昇格試験だったと捉えているのだが、ワタシがクリアしなければいけなかったポイントは、まず仕事について家族全員が納得するような選択肢を転職先も含めて自分で探し出すことと、自分がやりたいことつまり人生の理念をまず設定してそれに合わないものは自分から切り離すことだったのではないかなと思っている。自分はそれをクリアすることができたおかげで今は時間的・経済的に恵まれた環境で働くことができていて、家族関係を良好にすることができた。適切なタイミングで昇格試験がやってきて、それをクリアできなかった世界線も考えてはみるが、家族の状況はより悪くなっていたのだろうなと思う。同僚や先輩を見ていると家族関係がうまくいかないばかりか亡くなってしまう方もいたので、本当に切羽詰まった状況だったと思う。
昇格試験を乗り越える前にはとてつもなく高い壁に感じるものだが、理念を設定し課題を乗り越えたときに後から見ると、やはり自分にとっては必要な過程だったと思うし乗り越えた人にしかわからない、試験に出会わない・試験をクリアできなかった時の怖さを実感するということがあるのだと思う。
その時のために日々自分を鍛えていく必要があるのだろうなと思う。
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