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茗荷谷界隈から根津へ

■馬琴忌

11月6日。
皆さんは、曲亭馬琴を御存知でしょうか。
『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』で、幼い日に胸をわくわくさせた方は多いのではないでしょうか。
そんな曲亭馬琴、馬琴先生の命日が旧暦でいう11月6日でした。

Wikipedia先生によれば
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E4%BA%AD%E9%A6%AC%E7%90%B4

11月6日は今で言う1848年12月1日だったということですが、それはわかったうえで、今年も11月6日に深光寺へうかがってお参りをしてきました。
昨年もお伺いしています。
毎年は伺えないものの、馬琴先生とは少なからずご縁がありますので。

茗荷谷駅から少々歩き、

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茗荷坂への道を下り、

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深光寺さんへ。
前々回訪れたときは、たまたま御住職がおられて「お線香はいりますか?(さしあげますよ)」とお話しをいただいたのに、そのときはつい遠慮してしまったのでした。今回は御住職にもどなたにもすれ違わず。

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深光寺山門からやや右曲がりにある上り坂の途中に、文京区教育委員会が建てた札が掲げられています。

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墓前へ御挨拶といいましょうか、お参りに。
今回はなぜか路女のお墓は目に入らず。ふしぎ……。
先生が眠る滝沢家の墓は、撮影はしませんでしたよ。
なんかめっちゃ叱られる気がするので。先生に。ええ。
ちょっとは畏れもあるし。

深光寺に至るまでに、なにやらいわくありげなポータルも見て、あれ前に訪れていたときにはDescriptionまで読む余裕は無かったよなあ、自分も少し変わったなあ、成長したのかしらなどと思ったり。

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お参りをすませた後はぐるっと回って歩いて茗荷谷駅へ。
ほろ苦い思い出もある茗荷谷界隈だけれど、この日のこちらでの用事はあくまでも先生へのお参りのみで。
この界隈はねえ、いいですよ。
有料ですが小石川植物園もあって、のーんびり鯉を見ながらだらだら過ごせるし。護国寺のほうまで歩いても雰囲気あるし、播磨坂界隈にはカジュアルイタリアンのお店も多いし。今でもあるのかな。たぶんあるのでしょう。

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この日の真の目的は、アレですよ。
八坂神社ミッション

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不肖わたくしマジカルが作成した八坂神社ミッションの
No.449 série de mission de Dieu Yasaka:NEZU をまだプレイしていなかったので、そのミッションの実践がメインだったんですね。
ということで、一路、茗荷谷から根津へ。
歩いてもよかったんですが時間に限りがあったので電車で楽チンして根津へ行きました。


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根津神社行く前にUPC欲しかったのでウロチョロしていたんですが、
あまり遠くに行くのもな~、もうそろそろUターンして根津神社に向かうかな~と思っていたんですが、なぜか妙にひかれるポータルが、その場所からちょっと先にあるので、「なんでだべ」と思いつつそちらへ……。
で、お寺さんが。
あー山門が遠いなーと思いつつチラっと左を見ますと、コレが。

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こいつか!
墓??
なぜ・・・・・・あれ?
蒲生・・・・・・ってどこかで耳にしたような、ないような?

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ん?
んんんんん????

ギャアアアーーーー!!!!
蒲生君平の墓じゃないですかーーーーーー!!!!!
ぎょえええええええ。

Wikipedia先生より。
蒲生君平
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%9F%E5%90%9B%E5%B9%B3

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蒲生君平は蒲生氏郷の子孫で、高山彦九郎たちとともに、「寛政の三奇人」と呼び習わされたちょーーーー秀才ですよ。(※この場合の奇人はめずしく優秀な、とでもとらえておいてください。)
し・か・も、ココ、ほら、これ。

Wikipedia  曲亭馬琴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E4%BA%AD%E9%A6%AC%E7%90%B4

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馬琴先生と交友を結ばれていたのです・・・・・・。
高山彦九郎は、わたくしが暮らす群馬県太田市出身。
これは(ゴクリ)、確実に呼ばれましたね・・・・・・。(;´Д`)

「おまえ、馬琴先生のニオイがするな・・・・・・。彦九郎先生のニオイもする。
ちょっとこっち来いや?」的なかんじで。
(前述のWikipediaを読むと書いてありますが、高山彦九郎を慕い、そのあとを追って陸奥を旅しているんですよ。蒲生君平。
わたくし普段から、高山彦九郎が祀られている群馬県太田市の高山神社に詣でておりますしね・・・・・・。彦九郎センセイのにおいでもしましたかね……。
次の3枚の写真は群馬県太田市にある高山神社。
ちなみに高山彦九郎を祀る高山神社は、数年前に放火にあい社殿は焼け落ち、酷い有様でした。現在は小さな社殿で再建されています。

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まだ焼け跡が痛々しいですね。
直後は焼け残った柱などが放置され、ナンバープレートを外された盗難車の4WDが長く高い石段を登ってこの山の上の神社跡にひっくり返って放置されていたりと、散々な状況でした。)

「もうUターンして帰ろうっかな~」なんて思っているのに、なぜか引き寄せられてチラっと見たらこれだけご縁がある蒲生君平の墓に・・・・・・なんて、フツーありえんですよ。
絶対に呼ばれたに違いありません。知らんけど。
マジカル霊感とやらないからよくわからないけれど。
ピンポイントでこんなこと・・・・・・!
ないッ!ないよね~?わからん。
ingress、マジこわい!
嬉しいけれど、マジかこれ、みたいな。
南無南無してその場をあとにしました。
「もう行っていいぞ」的なかんじしたので。ええ。
なんだろうなー、高山先生への伝言でも背負ったのかしらね?

そのあとはちょろっと寄り道しつつ根津神社へ。

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木がわっさわっさ覆いかぶさったけったいな店があるな~と思いつつ、はじめは横を通り過ぎました。中から明るい声。
ん?
そうは来ないからなあ、いっちょなんのお店か確認しておくー?と思い、10mほど通り過ぎてから後戻りをするマジカル。
おおおお!?
そこは、お菓子屋さんでした。

ル・クシネ

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うっひゃー!
小腹がすいていたんですよ。
いま焼きたてだという石窯シューをいただきました。
クリームもその場でつめたて。
シューめっちゃ美味いので、Twitterとかで拡散してもいいですかと質問したら、にっこりいい笑顔でいいですよと快諾いただきました。
すばらしい!

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味よし、笑顔よし。
気持ちよくなって根津神社へれっつらGO!

この付近、明治時代は根津須賀町と呼ばれていたはず。
須賀・・・・・・スサノオですね。

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おー、ひさびさ。
以前はツツジが咲いている時期に来たものです。荒川区に住んでいた頃は。

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設置してある石灯籠、芝増上寺から各地へ散らばった徳川家霊廟の前に並べられていた「徳川の石灯籠」のある種類にも近い形をしていますねえ。
むかし訪れたときには気にとめなかったな。

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やや左側には、寛永三年と彫られています。

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背面から。めっちゃ似ている。石工が同じだったりするのかもですねえ。

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そして参拝。
ついでに(すみません)、敷地内にある乙女稲荷神社へも参拝。

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ムービー撮影しつつ乙女稲荷へ向かっていたら、かなり年上のカップルが向こうから歩いてきたので撮影は中断。
ここ容易にすれ違えないですからね、狭くて。

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以前は気づかなかったけれど、胞衣塚とかあるのか・・・・・・。

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デカい。
この下に家宣の胞衣が埋められているそうです。ほうお。
そんなこんなで、

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そして無事に八坂神社ミッション「根津」をクリア!
ああ、おもしろかった!

時間があれば、10数年ぶりに乃池に足をのばしたかったんですが、
ちょっと時間切れでしたねー。
穴子ひさびさに乃池で食べたかったな。



乃池

食べログより。
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131106/13003554/

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