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001 あの世に最も近い場所|青森・恐山

夏。遠路はるばる、北へ。
JR大湊線・下北駅で乗り換えたバスに揺られ、ひとり恐るる山を目指した。


恐山という山はない

まさかり型の下北半島、そのど真ん中。一帯の活火山を総称して "恐山おそれざん" と呼ぶ。
その中央に広がる宇曽利うそり山湖は『蓮華八葉』なる八つの山(剣山、地蔵山、円山、鶏頭山、北国山、屏風山、大尽山、小尽山)に囲まれており、これらは外輪山を形成する。つまり恐山の正体は "カルデラの縁" だ。
少し外側に位置する朝比奈山と釜伏山も恐山の一部である。

宇曽利湖と蓮華八葉の一端|2018

カルデラ
火山噴火によって形成した巨大な凹地で、湖となることもある。カルデラ壁と呼ばれる急な崖で囲まれており、地下にはかつての火山体や火砕流堆積物が埋もれている。

カルデラ|Caldera(スペイン語で「釜 / 大釜」の意)

出典:大辞林、大辞泉 / 広辞苑

宇曽利山湖

カルデラ湖底から硫化水素が噴出する宇曽利うそり山湖の水質は強酸性 [pH=3] だ。曇天の下に在りながら抜群の透明度を誇っているのは、硫酸の湖で生きられるものが限られているからだろう。
この宇曽利山湖にはウグイという魚が棲息しているらしい。

宇曽利山湖畔より|2018

三途の川を渡る

車窓から宇曽利山湖が覗くにつれ、車内に硫黄泉の香りがふわりと漂う。

「硫黄の匂い」と表現されることがあるものの、硫黄は常温で固体のため恐らく匂わない。ならば「硫黄化合物の匂い」とするのが正確だろうが、情緒的には前者を使いたくなる。
中学理科で遭遇する「卵の腐った匂い(腐卵臭ふらんしゅう)」の正体は硫化水素で、これを水に溶かしたものが硫酸である。

さて静寂の湖を眺め、えも言われぬ香りに気を取られていると、視界の端に赤が映る。宇曽利山湖へと流れ込む "三途の川" に架かる小さな赤い橋だ。

ここではこの赤い橋を渡ることが【三途の川を渡る】にあたる。
渡りきるとあの世へ行けるそうだが、興味本位で踏み込んだ者は途中で引き返せるのだろうか。

霊場・恐山

赤い橋を横目に進むと、湖の畔に佇む恐山菩提寺に辿り着く。
「恐山」は高野山、比叡山と並ぶ屈指の霊場で、あの世に最も近い場所と称されることのある神聖な場所だ。
その所以は口寄せを生業とするイタコの存在にあるのかもしれない。

宇曽利山湖畔、菩提寺前|2018

イタコ

「口寄せ」とは自身の身体を媒介として死者の霊を憑依させ、死者の言葉を代わりに伝えることで、これを行う霊媒師をイタコと言う。いわゆるシャーマンの一種で、現代の日本においては「恐山のイタコ」が有名である。
邪馬台国に君臨していた卑弥呼も、口寄せを担うイタコだったと解釈できるかもしれない。

シャーマンとは神霊や祖先の霊を通じて予言や治病を行う呪術者のことで、その手法は歌やダンス、魔術、占いなど様々な形態をとる。シャーマニズムは日本古来の原始宗教であり、世界各地で現在も信仰されている。

漫画『シャーマンキング』

『シャーマンキング』に登場する "イタコのアンナ" は色んな意味で強い。
どこか気の抜けた主人公・麻倉ようの元に、優秀なイタコであり葉の許嫁でもある恐山きょうやまアンナが突如として現れる。
ふんばりが丘におけるこの再会が意味するところは、地獄の特訓スパルタの始まりだった。

作中におけるシャーマンは「あの世とこの世を繋ぐ者」と語られるものの、それは予言や治病を目的とした存在ではない。この世を統べる精霊王シャーマンキングを決定すべく、各地から集結した多彩なシャーマンたちがシャーマンファイトなる天下一武闘会を繰り広げる。それが本作の大筋だ。

シャーマンキングの妻(副業:ふんばり温泉旅館の女将)になるべくアンナが問答無用で開始した葉のスパルタ教育は、ギリシャ神話における個性豊かな神々の愛憎劇と闘いを予期させる。さらに精霊や英霊を憑依させて闘うという形式から、神々の代理戦争ともされる「トロイア戦争」に比類しうる。

スパルタ|Sparta
アテナイと並ぶ古代ギリシアの代表的な都市国家ポリス。この地では物心つく頃から相手を殺してでも生き残る術を叩き込まれ、戦場の死は最高の栄誉とされた。この英才教育が「スパルタ教育」の語源となった。

恐山 ル・ヴォワール

葉がまだ10歳の頃、島根県・出雲から遠路はるばる電車で青森県・恐山を目指し、葉の祖母、麻倉木乃の一番弟子アンナと出会う。この過去編エピソードが『恐山おそれやまル・ヴォワール』である。

  • voir:ヴォワール(フランス語で「会う」の意)

  • le voile:ル・ヴォワール(フランス語で「花嫁のヴェール」の意、隠語)

  • au revoir:オ・ルヴォワール(フランス語で「さよなら」の意)

vior会うに対し、「再び」を意味する接頭語 re- を付したau revoirさようならは、中国語で言うところの再見ツァイチエン「また会いましょう」を仄めかす。
つまり離れたとしても、いずれまた会うだろうと予感させる絆が生まれたことを暗示する。

最恐の荒々しさをもって底知れぬ弱さを内に秘め、他者と関わることを怖れていたアンナは、自分の居場所を葉の中に見出したのだろう。

愛は出会い、別れ、透けた布切れ
恐山ル・ヴォワール

出典『シャーマンキング 恐山ル・ヴォワール』武井宏之

安心して?地獄の特訓スパルタを葉に与えるべく参上したアンナの様相は、パリジェンヌ風のシンプルでエフォートレスなファッションであった。
さらにアンナ自身が自らの弱さを克服し、マイナスをプラスに転じたような気丈さを備えたイタコとなっていたことから、「le voile花嫁のヴェール」という過去のエピソード透けた布切れに「戦いに挑む準備」のニュアンスを孕ませていたことも窺い知れる。

この粋な図らいによって、自ずとパリ市の標語『Fluctuat nec mergiturたゆたえども沈まず(ラテン語)』が想起される。風を孕んだ帆をいっぱいに広げる帆船と共に紋章に記されたこの言葉から、「どれほどの逆境に晒されたとしても、葉という大船と共にあれば乗り越えられる」というアンナのストレートな信頼感も浮き彫りになる。

出典:カシミール3Dスーパー地形|地理院地図(立体)|測定

わずか10歳にして大人顔負けの絆を結んだ2人は、出雲と恐山という隔たりをものともせず、三年の時を経て再び相見えることになる。
再会の地、「ふんばりが丘」のモデルは、埼玉県新座市の南西部にある「ひばりヶ丘」とされていて、出雲からの直線距離はおよそ630km、恐山からも同じくおよそ630kmという、見事なまでの配置である。

描かれる青森の冬の情景に、かざぐるまが醸し出すノスタルジー。
えも言われぬ哀愁が漂う詩の中でしっとりと繰り返される言葉は、この地を踏むことでより一層沁み入るものとなる。

愛は出会い、別れ、透けた布切れ
恐山ル・ヴォワール

出典『シャーマンキング 恐山ル・ヴォワール』武井宏之

終局、葉にはもう一つの決定的な別れがあった。
行きは二人旅、帰りは一人旅。
あの世とこの世を繋ぐ者たちが、出会い、そして別れた。
透けた布切れの向こうに見え隠れするように、その出会いは別れの始まりだと予見していたのだろうか。

この地では、出会いと別れの間に透けた布切れ1枚程度の隔たりしかないのかも知れない。

恐山菩提寺

"菩提(ぼだい)" とは悟り、"菩提寺" は先祖代々の位牌を納めてある寺のことである。其処此処で華を添えるカラフルなかざぐるまは、この地において象徴的な存在感を纏っている。

恐山菩提寺の六地蔵像とかざぐるま|2018

かざぐるまを供えるのは水子供養の寺でもあるかららしく、シュルシュルと軋みながらひたすら回り続けるポップな姿がより一層もの悲しい。あの赤い橋の存在も相まって、賽の河原の石積みエピソードが呼び覚まされる。

かざぐるまと水子像|宇曽利山湖 極楽浜|2018

親よりも先に逝くことは大罪とされ、幼くして亡くなった子供たちは三途の川の畔で石を積まされる。けれど見回る鬼に「こんな粗末な塔ではいけない、やり直せ」とせっかく積んだ石を叩き崩されてしまう。

死してなお、苦行を強いられ、決して川を渡らせてはもらえない。
いつまでもいつまでも。その業は繰り返される。

そんな幼い子供たちの冥福を祈り、少しでも安らかに、そして悟りを拓けるようという祈りもまた、この地を「あの世に最も近い場所」たらしめているかもしれない。

東日本大震災慰霊地蔵菩薩像 お堂背面|2018

チラホラと歩く人たちもみな気配を潜め、シュルシュルと滞りなく回り続けるかざぐるまの音が際立っている。この地では強すぎず弱すぎずといった風がしきりに吹いており、お線香だと祈りがすぐに消えてしまうのだろう。
ならば、かざぐるまほど頼もしい存在は他にない。

祈りが形を成した場所

航空写真でこの恐山界隈を眺めると、火山群に囲まれた宇曽利山湖がハート型を成していることがよく分かる。湖の北側に位置する菩提寺は、ちょうどハート型のくぼみに収まっている。

周りは緑、けれど恐山菩提寺の周辺だけは白く荒涼たる有り様だ。

恐山 境内をぬけて|2018

この日の「あの世に最も近い場所」は、退廃的な地上と、ヴェールの隙間から覗くハート型、に見えなくもない空が近かった。

それでは、オ・ルヴォワールau revoir

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