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平成的・差別化マーケティングから、令和のスピリチュアルなポジショニングへ。


 平成の、思考をベースとした、同業者の分析と、そうして行う差別化としてのポジショニング(自分の立ち位置の設定)というのは、令和では機能しなくなっていくと思います。

 これは、短期的には有効なポジショニングですが、差別化のために頑張って自己演出を重ねますので、中長期的にはますます、「自身」と「オンライン上(または現実)で演じている自我」との乖離が大きくなっていきます。これは強烈なストレスです。
 しかしかといって、そうして築き上げた居場所(仕事、収入、人間関係)を失う・手放すのも恐いので、「じゃあ、このままでいよう」とそこに執着します。

 そうしてますます自己との乖離が膨らんで…。

 プロ野球選手がドラッグに手を出してしまったことがありますが、そんなふうに、「本来の自分(価値)」と異なるところに「仕事・ビジネスとしてのアイデンティティー」を形成してしまうことは、精神的、時間的、健康的に大きなコストになるということです。

 平成的マーケティングの違和感というのは、これだと思うのです。

 「確かにカネにはなるけどなんか違う」

 ここから目を背けた代償は大きなものです。お金以上の負債になる。

 したがってその “演技” の限界が、パフォーマンス、業績の上限(破綻)になるはずです。


 そんな現実に悲観しても仕方ないですから、一方で、令和のブランディング活動のあり方はどう考えるのでしょう?

 あえて言えば、魂とかスピリチュアルな次元から、現在地、ポジショニングを設定します。
 でもこれは、自然体なのですから、戦略的な思考すらしないようなポジショニングです。


 そのままで生く。


 こちらは、短期的には分かりにくい、薄味でピンボケする(伝わらない)かもしれませんが、中長期的には、一切の嘘なく、価値を重ね、高めていけますから、やっぱりよきブランドに育っていきます。
 「自己」と「表現(発信内容)」に不一致がないんです。無理していないから。

 だから、仕事もお金も暮らしもストレスがない

 短期的な体裁からカネのためにと自己を偽ると、中長期的にはダメージが大きいですが、美意識の判断から毎瞬の選択を重ねていくと、時間とともに大きな(自己)信頼となります。それにレバレッジがかかるので、大きな・深い価値となる。お客様との関わりにおいても。

 僕自身も平成的なマーケティングはひと通り経験してきました。だからこそ、こんなふうに考えています。その職業を愛していて、より永く活動したいのなら、一瞬のカタチではなく、人生をかけた(次世代にも継承可能な)ブランドのための活動を選択すべきです。

 そしてこちら側の、スピリチュアル(精神的)なあり方で活動している人というのは、わざわざキラキラ(ギラギラ?)させないんですね。それ自体が活動の波長を狂わせるからです。


 Matty



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