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人を幸せにする 『魅力の魔法』

魔法使いが人を魅了する時、
それは論理的に「スゴイ!」
ということではなく、
情緒的に、感情的に「魅力的」
ってことです。

誰かとの恋を振り返った時に、
それが今でもうっとりできるのは、
それが構造的に難しかったからではなく、
物語として魅力的だったから、
であるはずです。


ちょっと
「マジック」で考えてみましょうか。

「フォークが曲がる」
マジックがあります。

これを論理的に
もっと「スゴく」するのなら、
「鉄パイプ」「鉄バット」曲げ
という演技をすればいいことになります。

「フォークよりももっと硬い・太い」
それが曲がるのだから、
より「スゴイ」でしょ?
ということです。

でもそれって、
果たして魅力的でしょうか?

魅力というのは、
過去や周囲との比較でもなければ、
数字のより大きいこととも限りません。

純粋に、単に、
適切なマリアージュによって
それが「魅力的」なのです。


真っ白なシルクからふわりと、
ハトを出現させるマジックがあります。

もっと「スゴく」したいのなら、
シルクも使わずに、
突然目の前にハトが
バン!と出てくるとか、
1羽よりも7羽
7羽よりも100羽
続けて出せばいい。

ハトより大きな
ワシとかタカが出てくれば、
物理的により
「フシギ」ということになる。

けれど …

大切な何かを見失ってしまっている。

ハトが持つ幸福のイメージだとか、
白い羽が羽ばたく美しさとか。
シルクのやわらかな風合い。。


「超大盛りラーメン」
なんかも、
“論理的に” スゴくしたもの。

「1000倍(辛い)カレー」
とかも。

それ、素敵ですか?

それ、おしゃれですか?

それ、ときめきますか?

それ、自分もやってみたいですか?

それは、ブランド


『人を魅了して幸せにする力』

というのはつまり、
「論理」(思考)ではないんですね。

「よりスゴイ」
とか
「より難しい」
「それは不可能!」
ということじゃない。

それはまるで
オリンピックに挑むようなもの、
挑み続けるようなもの。

「幸せ」って、
そういうことじゃない。
「美しい」ってそこじゃない。

浅田真央ちゃんが、
選手としてではなく
より自由な表現としての
アイススケートをやっている、
今の方が「楽しい」
テレビで先日語っていました。

なんならもう
「トリプルアクセルは飛べない」
とか。笑

トリプルアクセルが
無価値ってわけじゃない。
金色のメダルに
価値がないわけじゃない。
1000倍カレーが
悪いわけでも
100羽のハトが
汚いというわけでもない。

けれど確かなのは、
「人を動かす、魅了する」
のが、
そういう理屈じゃないってこと。

もっと絶対的に
— 相対的、比較・競争でなく —
直感的、情緒的、文学的に
「魅力的だ」
ってこと。

それが「好き」ってこと。

「すてき」ってこと。

「よりスゴく」のセカイは、
どんどん本来のかたちから
離れていきますから、
ハッピーでなくなります。
楽しくなくなります。
不自然になっていきます。

毎春、
山から聞こえてくる
鶯[うぐいす]の鳴き声

彼らはきっと、
江戸時代から現在まで、
きっと変わらない声量で、
変わらないリズム、
トーンで鳴いています。

きっと春の桜たちもまた、
江戸時代から変わらぬかたち、
花びらの大きさで
僕たちを魅了しています。

毎年飽きることもなく
「綺麗だなぁ」と思わされ
散ってしまう儚さにさえ
美しい情緒を見出せる。

競争のゲームに参加していると
大切なもの
見落としてしまいます。

「楽しさ」とはなにか

「おもしろさ」とは

「自分の楽しさ」
それはどこか
どのくらいか

「自分の魅力」

価値[かち]とはなにか

比較や競争じゃない
バトルでも戦いでもない
「不思議だなぁ」という魅惑

それが人を動かす力

人を幸せにする魔法


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