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豊平川で泣いていた日々

約3年半前、私は人生で一番病んでいた。


理由は、職場での人間関係が1つのきっかけだったと思う。
急に朝泣きながら母に電話をして「地元に帰りたい(週末だけ)」
と言ったのは、札幌に来て7年近く経って初めてのことだった。

あの頃、仕事中に涙が自然と溢れてきたし、
仕事帰りには、毎日のように豊平川に行き河川敷で座りながら泣いていた。
ウルフルズの「笑えれば」を聞きながら心を奮い立たせようとしながらも
帰りの地下鉄の中でも、毎日のように涙が溢れてきてしまっていた。
どう考えたって、地下鉄や河川敷で泣いている私は
はたから見るとヤバイ奴だった(笑)

実家から札幌に戻ったあとも、母が「父には内緒で」と
また辛いことがあったらこれで帰っておいで、とくれたお金の入った封筒を開けた部分には母の字で「GOOD LUCK!」と書いてあり
「こんなことで悩み、病んでしまう情けない娘で申し訳ないな。
こんな娘に成長してしまってごめんなさい」
と思いながらまた泣いていた。

あの頃は、本当に無限に涙が溢れていた。


2020年だったあの頃、コロナの影響もあり
大好きな親友に約9ヶ月も直接会えていない期間があったのもメンタルを復活できない要因の一つでもあった。
それだけ、私にとって彼女と会って話をするというのは大事なことだったのだ。

LINEや電話で相談することも考えたが、普段は必要な連絡しかやり取りしない私達。
対面でない状態で暗い話をするのは気が引けたし、彼女も同じように大変そうな状況だったのをなんとなく汲み取って、打ち明けられずにいた。


それでも、話を聞いて励ましてくれ長い時間電話で話を聞いてくれた遠くにいる友人や、
嫌なこと全部忘れようと一緒にお酒を飲んで朝まで遊んでくれる友人がいたり、
相談したいと言えば、話を聞いてくれる職場の先輩がいたことは私にとっての救いだったと思う。
今思うと、本当にありがたかった。
周りの人達に恵まれていた。
その時は気持ちが軽くなるし、闇の中から光が見える感覚はあったが
それでも完全に闇から抜け出すのは難しかった。

「死にたい」とその時は思わなかったが漠然と道路を眺めながら
「このままこの車のまえにうわっと出ていったらどうなるのだろうか」
という疑問めいたものは頭に浮かんでいた。

今振り返ると、あの頃の精神状態はまともではなかったなと思う。


「仕事を辞めようか」と何度も思ったが、
「ここで辞めたら、私は負けたことになってしまう。
絶対あいつより先に辞めてやらない。
あいつより長く勤めてやるんだ。
それが私ができる最大の仕返しだ」と思って仕事はなぜか辞めなかった。
そこだけは意地があり、強かったんだな私。(笑)



そんな私が闇から抜けられたのはしごく簡単なことだった。

それは、セミロングくらいの長さの髪を
ボブくらいの短さまで切ったことだった。

あの頃の私は何を思ったのか、伸ばしていたはずの髪を唐突に短く切りたくなったのだ。

そんなことで?と私も思った。
でも、その頃私のなかにあった黒くドロドロした嫌なものを
切った髪の毛が吸い取ってくれたんじゃないかと思うほど気持ちがスッキリして、晴れ晴れとした。

仕事中に泣いても、長い髪が横顔を覆って隠してくれることもなくなった。
もう泣けないのだ。

そこからはなんとなく考え方も変わり、卑屈でマイナスな思考も
開き直って「だって私悪くなくない!?」
「なんで私が病まなければいけないの!?」
と思えるようになった。(笑)

もちろん、私にも悪いところや足りていない部分はあったし、
それを自覚するいい機会だったと思う。



病んでいた時には直接会えていなかった親友から
”コロナもだいぶ落ち着き、9ヶ月ぶりに会えた日のあの当時の私の顔”は
「相当やばい顔をしていたよ」とつい先日言われた。

髪を切って少し経ったあとだったし、自分ではそんな顔をしている自覚は全く無かったのだが周りからするとそうだったのかもしれない。
恐ろしいな、もうああはなりたくないなと思った。


あの頃の私に足りていなかったものは、
おそらく”ストレス耐性”だと思う。

過度なストレスにどう向き合い、対処し、発散するべきなのか。

それがあの頃の今より幼い私には足りなかったのだ。
だからメンタルを病んだ。

それが原因がだと気付かず、分からないまますべてを受け入れてはいっぱいいっぱいになってしまった。

あの頃の経験があるから、より成長できた。
より強くなれたのだ。

病まないことが一番だが、あの経験はきっと私の人生にとっては必要な経験だったのだろうなと思う。

だから、今病んでいる人だって
私が髪を切ったことによって闇を抜け出せたようにどんな些細なきっかけで闇を抜け出せるか分からない。

よく「今悩んでいることは1年経ったら大抵忘れるから大丈夫」
という励まし言葉を見かけるが、
私は「そんなの嘘だね、気休めだね。
私は1年前の嫌だったことも悩んでいたことも覚えているもん」
と思っていたし、
実際3年半経った今でも、病んだ原因は鮮明に覚えている。
その時の感情も思い出せる。

だけれど、忘れることはなくても、その時はいっぱいいっぱいで、もう何もかも嫌だと思っていてもいつか思い出として振り返られる日がやってくるのだ。



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