<「ぺてるの家」の清水理香さんインタビュー 幸せは真下にあった>(注:これは2024年に再録を許可されています)

「べてるの家」の清水理香さんインタビュー
<幸せは自分の真下にあった>

2003年の5月に北海道浦河にある、「べてるの家(くわしくは私のエッセイ『べてるの家という希望』をご参照ください)」にいってまいりました。年に一度の「べてる祭り」に参加するためです。いやーにぎやかだったです。そのとき運よく、現在は社会福祉法人「ニューべてる」の施設長をされている清水理香さん(当時33歳)にお会いして、インタビューをすることができました。幸運でした。その内容を私の手元にだけおいておくのはもったいないので、ご本人のご了解を得たうえで、こうして公開させていただきます(注:内容の一部を編集しております)。

関口
ビデオを見させてもらったのですが、『分裂病を生きる』(「べてる」で出している当事者が自分の病気のことを語っているビデオシリーズ。全10巻まで出ています)の第一巻でした。その中で清水さんがおっしゃっていた「病気が治れば、幻聴がとれれば幸せになれると思っていたんだけど、そうじゃなかった」というようなお話があったじゃないですか。

失礼ですが、今でも幻聴とかあるんですか?

清水
ええ、そうですね。

関口
そういう意味では病気はまだ治ってないわけですよね。

清水
(明るくきっぱりと)はい、治ってないですね。

関口
でも、症状があってもここにいれば、幸せみたいな・・・。

清水
幻聴があることが諸悪の根源だったみたいに考えて生きてきて、幻聴があることがマイナスにしか思えなかったし、すごくつらかったけど、それをひっくるめて私なんだというふうに思えるようになったら、幻聴があるかないかが不幸か不幸じゃないかの基準じゃなくなったら、それはそれでいやなことではあるんだけれど、それより自分にとって大事ことがあると。

たとえばここの人間関係を大切にしたいとか、いまこれを考えていることを大事にしようとか、今していることを大事にしようとか。そういう大事なものがいっぱい出てくると、幻聴だけが私の問題ではなくなってくるんですね。いっぱいあるうちの、私が考えていることの中の一つになってくるんですね。

関口
以前は幻聴に全部支配されていたんですね。

清水
そうですね幻聴のことばかり考えていましたから。

関口
生活の隅々まで支配されて振り回されて。でも今はいっぱいある中の一つになっちゃったわけですね。で、そういうふうに考えることができるようになってくると幻聴のほうも変わってきたりするんですか。

清水
最近はおとなしいかな。

関口
私は病院で医者をやってるんですけど、一部の患者さん(きわめて少数の人ですが)で幻聴とか妄想に振り回されて、他の患者さんに暴力をふるっちゃったり、職員に対してふるっちゃったり、で、そういう患者さんはすぐに問題視されて、すぐ注射されたり、保護室に入れられたりして、こちらとしてはそういうふうな対処のしようしかなくて、妄想をいくら「それは現実じゃないよ」と諭しても信用できないわけだよね。そういうふうな人に対してどうだろう?

清水
やっぱりそういうことをいわれても、こっちにしてみれば「それはあなたがわかってないからだろう」と考えると思うんですよね。たとえば私だったら「その幻聴は幻なんだよ」とか、「そんなことは誰もいってないんだよ」とかいわれると、それはあなたが気がつかないだけで、私はわかってるんだと思う。

関口
つまり自分の方が正しいと。リアルだからね、幻聴とかは。だからいくらまわりがそれは現実ではないといっても、自分が感じているものがすごいリアルだから、自分こそが正しいと思うわけですね。

清水
だから幻聴さんのいっていることがすごくリアルに感じられることは仕方のないことだと思うし、だからそのことよりももっと大事なことがあるんだよってことを、普段みんなと話し合うということがやっぱり大事。

そうしたら意地悪な幻聴さんが現れたときも、自分はこんなにつらい思いをしているけれども、それよりももっと自分は大事なものがあるんだし、自分自身もそんなことに辱められることはないんだという自信がついてくると、幻聴さんに痛めつけられたり、幻聴さんに腹を立てたりしても、それは一時的なことで、もっと感じなきゃいけないこと、もっと考えなきゃいけないことがあると思えてくると、それにばかりとらわれなくなるんですよね。

だからそういうコミュニケーションを普段から周りの人ととるというのは、私がいつも気をつけていることで、幻聴世界に入り込むようになったら、みんなの輪の中に入って「今、幻聴さんにこんなことを言われてて」っていう話を普通にしている。

たとえば現実にいじめを受けるとかいやがらせをされたりすると、そういうことをまわりに向かって「こんなこといわれてつらいなー」と相談できて、周りも相談に乗ってくれるし、そういうことをいったということで楽になるということもあって、そういうことは幻聴世界でもあると思うんですよね。「今こんなことがあって、こういうつらい思いをしたんだ」ってことを話すだけですごく楽になれるんですよね。

関口
でもそういうことをいうと医者にいうとそれはおかしいとかいわれたり注射されたり、薬を増やされたりしちゃうんだよね。

清水
だから私、いえなかった、ここにくる前の7年間・・・。

いくらそういうことをいっても自分にとってマイナスにならないというのが大事ですよねー。

関口
やっぱり安心感というのが大事ですよね。下手をすると病院の中でそういうことを話すと注射されたり、薬出されたりして、安心してものを話せないよね。

清水
でもここにいるメンバーで、新しく来たメンバーで、初めて幻聴さんの話をした人の話を聞いててもほんとにほっとして、楽になったっていうし、私もそれを経験しているし、だから話すっていうことがすごく大事。

関口
そういうことができる場があるからね、ここには。ほかにはそういう場がないから、誰にも話せないし、隠しちゃうし。

清水
あの浦河日赤病院で「幻聴ミーティング」っていうのがあって。

関口
それはいつやってるの?

清水
今やってるかどうか知らないけれど、私が3年前にいたときに幻聴ミーティングっていうのがありました。「今週の幻聴さん」とかいってみんなで話すんでよね。「今週は幻聴さんにこういうことをいわれました」とかってみんなで報告しあって、相談して「そんなことないよー」とかいってくれたりとか、そういうのありましたね。

関口
そういうの大事だよね。それは病院でやっているミーティングだったの?

清水
そうです。今は「幻聴会」って名前が変わって・・・最近は病院のほうはあまり行ってないのでよくわからないんですけど。あとSA(スキゾフレニックス・アノニマス)がありますから。

関口
分裂病(注:現在は「統合失調症」という病名に統一されている)の人の自助グループね。

清水
そうです。それが大事。

関口
SAってまだ日本では少ないからね。あまり聞いたことがないね。やっぱり患者会とかあっても、親が支配してたりスタッフが支配してたりして、患者さんだけが中心になってやるというのはなかなかないんだよね。そういう場が大事だよね。

清水
うーん、いろいろありますけどね。幻聴さんがなくても心の不安を抱えてて、そういう人が交じっちゃって話がややこしくなっちゃったりして、自助グループだといろいろありますよね。でもそういうエピソードというのが大事。困ったことが起きることが、会が豊かになっていく要素になったりしますね。

関口
そういうトラブルを排除しようとするとだめなんだよね。

清水
はじめからトラブルがないようとすると、なかなか先に進まないというか、豊かなものにならないですね。

関口
管理された温室栽培みたくなっちゃって・・・。

清水
そうですね。自分たちもののっていう感覚が出てくるし、そういうトラブルをクリアしていくと・・・。

関口
本の中(『べてるの家の非援助論』)で清水さんが話していましたけれど、「幸せは自分の真下にあった」っていう言葉ね、あれやっぱりすごいなあと思ったけど・・・。

今まで幸せはどこか他の世界というか、青い鳥の話ではないけれど、別なところにあると思ってやってきたけど、じつは幸せは自分の真下にあったんだっていうの・・・。

清水
だから、すごく苦しくてつらいところにいる時は、イメージ的にはすごい穴の底に落ちてしまって、真上を見ると光があって「そこにたどりつければ私は幸せになれるかもしれない」っていう感覚だったんですけど・・・。

だけど、もうさんざん苦しんで、それで浦河に来て、苦しむことをあきらめて・・・。で、これからは下へ降りていくしかないんだ、降りていく生き方を生きていこうと思ったときに、そのあきらめるということが、下に降りていくための準備段階みたいなもので、あきらめるということは決してマイナスのものじゃなくて、それがあるからこそ先に進める。

下に降りれるっていうのが大事な要素なんだってことがわかってきたら、だんだんなんか、ああ、私の幸せは真下にある、真上にあるものじゃなくて、手の届かないところにあるんじゃなくて、気づかなかったけど私の真下にあったんだって思ったんですよね。

関口
それがすごいなあと思って・・・。

幸せになろうと上に上がろうとあがいていたけれども、結局は一番楽なところにいたんだっていう・・・。

清水
そうですね。

関口
いちばんほっとできる場所にいて、上がっていく必要はないんだっていう、そうするとそこはもう井戸の底じゃないんだよね。気がつくと豊かな場所だったり・・・。そこにやっぱり仲間がいて・・・。

清水
やっぱり認めてくれるのは自分だけじゃなくて、まわりもやっぱりそういうふうに「そのままの清水さんでいいんだよ」っていってくれて、受け入れてくれるようになってはじめて、「私の幸せは真下にあったんだ」って思えるようになったんだと思うんですよね。だからまわりが自分のことを認めてくれるということ、それを自覚できるということが大事っていうか。

関口
今までで一番うれしかったこととか、ありがたかった言葉とかありますか?

清水
やっぱりね、苦しくてつらくて「私は病気で、どうやって生きていけばいいんでしょう」ってソーシャルワーカー(向谷地)さんに話したら、

「それはもうあきらめと慣れだね」

っていわれて、「あきらめかあー」って思ったときが、第一歩の「ビ・ビ・ビ」ときた言葉だったんですけど・・・。

それで4年たって、それでもまだ仕事もちゃんとできないし、くすぶって殻の中からでられないような感覚っていうか、そういうふうに思っていたときに、「べてる」のスタッフのカンファレンスの時に話したら

「まだまだあきらめきれてないね」

って話されて、「私これ以上あきらめることって何があるんだろう」と思って・・・。

もうなんか精神科に入院して、精神の患者だとみんなに公言して、自分はそういう意味で健常の世界では生きることをあきらめたつもりでいたんだけど、「いやいやまだまだあきらめきれてないって」。で、

「あきらめるってことはね、がんばるってことなんだよ。」

っていわれて「えっ」と思って、私そのとき目から鱗が落ちるような感じで、「あきらめるってがんばるってことだったんだ」って思って、それでまた「ビ・ビ・ビ」ときて、自分をワクワクさせてくれる言葉だったんですよね。

今それが自分の中で「あーだめだ」って思ったときに、「あー、またあきらめてがんばるんだ」って自分を励まして、べてるには「がんばらない」っていうスローガンがあるけれど、それも大事なんだけど、あきらめてがんばるんだっていうことも・・・。

関口
そうだよね。一方的なことじゃないんだよね。表裏一体になっていて・・・。たんにがんばらないだけじゃなくて・・・。

清水
がんばらないってことは、またある意味、新しくがんばるってことで・・・。

関口
それまで一生懸命上に行こう上へ行こうとがんばってきた人たちだから、ここで一度がんばらないで、ストンと落ちてもらってね・・・。でも、そこでまた・・・。

清水
降りていくことでがんばりましょうみたいな、そういうなんかうまくいえないけど・・

関口
だからそう単純じゃなくて、いろんなステップに応じた言葉があるという感じね。

清水
みんなで落ち込むことを提唱しているわけじゃなくて、降りるということは別に悲しいことでもなんでもなくて、自然の摂理で人間は必ず老いていくし、衰えていくものだし、それに抗うことはできないし、それを素直に受け入れて、それでもがんばって降りていくんだよっていう言い方っていうのが自分の中にすっとわかるというか、なんかなじむというか・・・

関口
頼めばみんなが集まってくれてミーティングを開いてくれるわけでしょ。そういうのってとても大事だよね。

清水
やっぱりみんなが応援してくれてるっていうのは、とても勇気づけられるし、そういうなんていうんだろう、プラスのメッセージをみんなからもらえる所に来たっていうのが、正直いままで生きていてべてるが初めてで・・・。

それまでは競争社会の中に生きてきて普通に高校受験して大学受験して・・・。なんかみんなより上に行かなくてはいけない、ある意味友達でも競争相手で、その人を蹴落としてまでして上に行かなくてはならない。みんなはそういうことをあたりまえのように語るけれども、なんかちょっと違うんじゃないかなという違和感が子供のころからあって・・・。

だけどそれを「違う」って公然と反論するほどの思想や哲学を持っていなくて、そんななかで「違う」と思いつづけてたんですね。今「べてる」にいて、そういう生き方とは違う考え方で生きられるんだってことを学んで、私はいま精神障害者の施設の中で生活しているけど、33年間生きてきて、今はじめて「このべてるにいたくて、生きているんだ」ということを、みんなの前で胸を張っていうことができるんです。

それまではなんとなく大学に行ってってという感じだったけど、自分の意志があってここに居るんだといえるところがなかったんですけど、今はやりたい生き方をしているし、生きたい生き方をしているということを公言できるということが自分の中で新鮮で、「ああ私は弱い人間でよかったなあ」って思える。

関口
「病気になってよかったなあ」とか。

清水
そうそう 。

関口
そういうふうにいえるようになるってすごいよね。

清水
「私は幸せだなあ」って、最近すごく思うんですよね。

関口
日本の精神障害者と呼ばれる人たちは二百万くらいいるんでしょうけど、たぶん病気になってよかったとか、今が幸せだっていえる人はあんまりいないと思うし、ここにはそうやっていえる人が全員じゃないだろうけど結構いるよね。

清水
そうですね。結構そんな話、みんなから聞くし、それがだんだんと自分のものになってくるのがうれしいですね。

関口
失礼ですけど清水さんは今、年金(精神障害者年金)とか生保(生活保護)とかもらってるんですか。

清水
年金をもらってます。

関口
年金だけじゃきついよね。

清水
だからまだね、仕送りももらっているんですよねー。まあ、母も今年で退職するし、父も去年退職してるし、そうそう親から仕送りをお願いできる立場じゃないんですけど、まあそれが現実的な課題で、仕送りしてもらっている5,6万円のお金をなんとか自分で稼げるようになれば、もう「私がここにいたいんです」っていうっていうのが完成するんです。

関口
まあ年金で7万円弱くらいもらって・・・ 。

清水
5万円ですね、私三級なんで。

関口
じゃあとりあえず月10万位あれば、ここで堂々とやっていけるわけね。だからあと5万くらい稼ぎたいという感じかな。

清水
そうですね。

関口
でも5万稼ぐのってちょっと難しいよね。

清水
そうですね、難しい。こういう病気を経験しちゃってからはなかなか・・・。

関口
共同作業所もフルに出て2万いかないよね。プラスなにかをしないとね。

ちょっと最後に意地悪な質問かもしれないけれど、これからの自分の未来って見える?

清水
うーん私はねえ、30の今でも、まあ私は弱い人間でいいなあと、生きてて良かったなあと思えるし、40になっても50にもなっても現役で弱い人間でありたいんですよ。弱い人間だからこそ新しい発見というものがあるし、自分のなかでワクワクが出てくるというのが・・・。だから現役の弱いものでいつづけたいなあーと。

関口
魚屋や医者や、○○になるというんじゃなくて、もっと裸の人間としての弱いものとして生きていく。

清水
それをちゃんと見つづけて、そのつどの発見を大事にして・・・。

関口
弱いものの完成をめざして・・・。これももしかして弱いものの修行の道みたいな(笑)。

清水
なにも完成しなくてもいいんですけど、でもそういう自分の弱さを大事にする気持ちをいつまでも忘れないで持ちつづけていきたい。

関口
下手をするとまた上に向かっていっちゃうみたいな・・・

清水
そうそう、いまさら上を見つづけても、つらいだけ、悲しいだけなのはわかりきっているから、いかに降りていく生き方を極めていくというか、将来的にはなんの不安もなくてワクワクしているんですよね。

関口
だって上を目指して生きていく生き方をしている人たちはぜんぜんワクワクしてないし、将来すごく不安を抱えているし、老後どうしようとかね。みんなどっか恐怖で突っ走っているところがあるからね。

清水
そういう生き方はもう私には向かないっていうのは自分でわかっているから、だからもうねえ、なんの不安もないですね。

関口
すごいね、もう日本の人全員に聞かせたい言葉だね。

清水
「なんか自分たちって弱いよね」っていい合える仲間がいて、それだけで大きな財産で、あとはなにもいらない。

関口
ひきこもりの若い人たちが日本で100万人くらいいるといわれいて、精神障害じゃないといわれているんだけど、そういう人たちの生き方というのを考えてて、僕は「でくのぼう」っていうのをキーワードとして考えているんだけど・・・。

やっぱりみんな上昇志向というか、みんなと同じじゃないといけないというところで縛られて苦しんでいる人たちだから、一回そういう枠から外れて、降りていく生き方を・・・。宮沢賢治の「雨にも負けず風にも負けず」って詩があるじゃない。なにがあってもおろおろしているだけのでくのぼうみたいな、ああいうのを理想として賢治は描いていたんだけど、あれってたぶん弱い生き方、降りていく生き方だったんだと思うんだよね。

そういうやり方、道があるのかなっていうのがべてるにくると良くわかるよね。実感できるよね。なんか人間の幸せってなんかそっちのほうにあるんじゃないかみたいな、上って行く生き方より、降りていく方にね。

清水
なんか上っていくというのはかなり無理があると思うんだけど。

関口
そう全員が上れるわけじゃないんだからね。下手すると競争して千人にひとりとか、残りの999人は泣き泣き落とされていくみたいな・・・。で、「俺はもうだめなんだ」っていう劣等感で一生を送っちゃうみたいなね、ひょっとすると精神障害者という人たちよりも、普通の人たちの方がよっぽど苦しんでいるのかもしれないよね。

清水
弱くなれない苦しさね。それはなんとなくわかるような・・・。「辛いだろうなあー」って思うんですよね。自分は弱きものですって公言できるっていうのが本当に幸せだなあって思いますね。

関口
それが一番強いよね。そう開き直った人がたぶん一番強いんだよな。それならもうなにも怖くないもんね。

清水
そうですね。怖いものってそんなにないかな。

関口
そっかそっか、どうもありがとうございました。              (終わり)

私の仕事は主に言葉を使う仕事なのですが、私自身、いささか言葉の持つ力というものを信じられなくなっていました。しかし、「べてるの家」にいって、そこのメンバーやスタッフの人たちのなにげなく語るその言葉の力強さに驚かされました。

そうです言葉は力なのです。それは人を傷つけたり、排除したりすることにも使えますが、ここではなにより、人を勇気づけたり、生かすために使われていました。忘れかけていたその力をもう一度信じたいと思いながら帰ってきました。

このインタビューは今から約2年前のものですが、清水さんは、このあともいろいろと苦労を重ねていまはまた別の考え方、感じ方をしているといっています。しかし、このとき語ってくださったことは、その時点では本当の気持ちだったからということで、ホームページへの掲載を快諾してくださいました。清水さん、どうもありがとうございました。

このインタビューはビデオ(正味30分ほど)に撮ってあります。もし、「べてるの家」についてご興味があり、このビデオをご覧になりたいと思われる方は当クリニックまでご一報ください。私がビデオ持参で話しに行きたいと思っています。むろん予算がおありなら、直接清水理香さんやその他の「べてる」のメンバーをお呼びすることをおすすめします。

掲載日時 2005年7月1日   文責 関口 宏

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