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トヨさんの椅子(2)

「トヨさんの椅子」は1954年に豊口克平氏によってデザインされました。日本の工業デザイン界の重鎮でありました豊口氏は周辺の人々からは「トヨさん」の愛称で呼ばれていたことから「トヨさんの椅子」というネーミングがなされたようです。

秋田県庁舎応接間用として製品化された

初号はデザインした翌年の1955年に、自身の生まれ故郷である秋田県庁舎の応接室へ、天童木工が製作を担当し納められました。その後、天童木工にて生産が行われていましたが、やがて廃番になります。座面と背もたれの芯材は成形合板ですが、その他の本体構造はムク材であるこの椅子は、成形合板の技術を基軸とする天童木工としては負担が大きいことが、廃番の大きな理由だったのではないかと推測できます。

しかしこの椅子の持つ類まれな魅力に気づき惚れ込んでいたのが、あの工業デザイナー秋岡芳夫氏でした。廃番の知らせを聞いた本人はかなり嘆いたと聞きます。自宅では家族で使い、また仕事場でも採用し、椅子張りをし直しながら使っていたくらいですから、秋岡氏は本当の意味でこの椅子の愛用者だったんですね。豊口氏は明治男、秋岡氏は大正男。年齢的には15歳も離れた二人ではありますが、終戦を迎えた工藝指導所時代には共にGHQディペンデントハウス用家具の設計に携わりました。以来親交が深く強い信頼関係でむすばれていたこともあり、後に秋岡氏の有限会社モノ・モノが復刻再販するようになりました。現在では製品への理解に留まらず、秋岡芳夫氏が行った生活デザイン運動の精神を大切に考え、思いを共有できる事業主との連携活動を行っております。

さて、戦後の生活デザイン運動の中心的存在でした秋岡芳夫氏が惚れ込んだこの「トヨさん椅子」とはいったいどういう椅子だったのでしょうか?

外国にはない椅子をつくる!

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室内では靴を脱いで素足で暮らすという日本の生活風土に合った、そして畳の上でも使えるような椅子。つまりこれまで海外にはない椅子をつくろうというのが「トヨさんの椅子」開発の始まりでした。周りを見渡すと海外製品の模倣した椅子ばかりの時代に、椅子というものを日本の生活様式から捉えデザインしようという試みでした。

[深掘り:その理由として考えられること]
第二次大戦後アメリカの商業主義や 急速に発達するコマーシャルリズムが背景となり、「デザイン」の意味が徐々に「スタイリング」という意味に置き換えられていきます。世界をのみ込み始めたコマーシャルリズムの中では「製品の見た目」がものをいい始め、当初そういった潮流に批判的だったヨーロッパ勢も短期的に見たビジネスの優位性という力学が強まり、製品の内容そのものが変わらなくとも 表層だけを変えていく手法に、だんだんと傾倒していきました。1960年代には私たちの国日本が「コピー大国」として世界から批判を受けることになりますが、「トヨさんの椅子」の開発をしていた頃の1950年代は、やがて訪れる「コピー大国ニッポン」を予期するがごとく、国内で生産販売されていた椅子のほとんどは、欧米の製品を模倣した品ばかりでした。そのような状況に対して豊口氏は相当嫌悪感や危機感を覚えていたのではないかと推測できます。
というのは、豊口氏はかつてドイツバウハウスの影響を受けた形而工房で同人として活動していましたし、その後仙台工藝指導所へ入所した年には、ドイツ工作連盟のブルーノ・タウトが嘱託として仙台に入り、タウトから直接デザインの指導を受けました。デザインという行為において、その国のアイデンティティの重要性をそこで学んでいます。これらの経験は生涯豊口氏のデザイン哲学に大きな影響を及ぼしたと言われています。

かつて東京で行われた指導所の作品展にタウトが現れ「この国のアイデンティティを何ら感じられず西洋の模倣に過ぎない。良いものは一つもない!」と展示作品を酷評されたことがきっかけとなり、工藝指導所の國井喜太郎所長がタウトにデザイン指導を懇願したそうです。数か月ではありましたが、タウトは嘱託顧問として仙台に滞在しました。

※なぜ日本はコピー商品をつくったのか?
焼け野原から復興への道を模索した まだまだ発展途上であった当時の日本では、売れるかどうか不確実な製品の開発に膨大な費用をかけることは到底不可能であり、知的所有権やまたその意識がまだ根付いていなかったこともあり、国内外で「今売れているも」の模倣することで、確実性を上げることを選択せざるを得ないという、苦しいふところ事情がありました。

「トヨさんの椅子」の知っておきたいポイント

床にやさしい脚

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座を支える太めの四本の脚は、床との接地面が大きく楕円の形状で畳の上でも使えるように配慮されています。さらに畳面や床面に傷がつきにくい様に楕円形のソールエッジはかき落されています。

低い座面(日本伝統の肘掛け窓の高さ)

もともとは畳に座る人と椅子に座る人とが、気を使わないで話せる様にと座面を低く設定しました。床から座面までの高さは尺二:約36㎝を採用しております。

[深掘り:一尺二寸編]
きものの反物の巾を身巾と言いちょうど同じ一尺二寸、着物はこれを三巾使って仕立て上げられますが、映画「男はつらいよ」の中で、寅やの窓辺に寅さんが座るあの高さが、身巾と同じ一尺二寸なのでイメージしやすいかと思います。実は寅さんが座ったあの窓は「肘掛け窓」といい日本建築伝統の造作なのです!

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そしてこの座面の高さは、素足の女性がシート奥まで深く腰を入れて腰掛けたとしても、大半の方の足が床に付くというところが特徴です。
また座面(シート)を支えるフレームには、それらを連結するためのネジ穴が背もたれ寄りにもう一か所空けてあり、座面の位置を付け変えることで 3㎝程度座面(シート)の奥行きを少なくすることが出来るように設計されています。
シートを付け替え椅子の奥行きを少なくすることで、さらに小柄な方でも快適に座れるようになります。座る人の体格差に対して、より幅広く順応できるように配慮されています。

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こういった何気ないところに「トヨさんの椅子」のデザインチームが持つホスピタリティーを感じます。

※豊口氏のデザイン手法の一つに他のスペシャリストとの共同作業があります。あの柳宗理氏も手記の中でデザインにおける優秀な協力者の必要性について書いています。

おおらかに受け止めてくれる座面と背もたれは疲れ知らず

この椅子に腰を下ろし背もたれに体を預けたとたん、誰もがすぐに感じるこの安心感。そして何の衒いもないその姿には、作者のデザインに向き合う実直かつ骨太な姿勢を感じます。
この広い座面や広い背もたれに見られる三次曲線は、何んとなしに生まれ出たものではありません。ここには工藝指導所時代に豊口氏が行った座姿勢及び椅子の支持面研究によって蓄積された莫大なデータが活かされています。座面や背もたれの寸法や硬さの関係性をジオグラフに取り込むことで、この「なんと!おおらか!」と表現したくなる座り心地を実現しました。
カタログにあるように「どっしり座る」とか「どっかり座る」というような表現が本当によく似合います!

[深掘り:基礎研究編]
1950年代になると戦後の混乱が少しずつ落ち着きを取り戻し、新たに国全体が復興に向け動き出す中、「デザイン」というものが経済復興を支える重要なファクターとして位置づけられました。1933年に始まった工藝指導所は、1952年には産業工芸試験場と改称され 新たな取り組みが行われました。ここでは工藝指導所で行ってきた研究データや開発技術が大いに役立ったと言われいます。「トヨさんの椅子」の開発はちょうどこの頃に重なります。
豊口氏が工藝指導所時代に行ってきた代表的な研究として、椅子の支持面についての研究が上がられます。宮城県北西部に位置する鳴子のスキー場で行われた実験の話は有名ですが、雪の塊に被験者を座らせその人型を写し取ったり、また二枚のエキスパンドメタル(ラス網)を平行に立て、それに渡した何本もの銅製の棒を自由に抜き差ししながら、被験者の仕事をする姿勢や背をそらして休息する姿勢などを測定するなど、日本にはまだ人間工学という学問がない時代でしたが、まさに工学的な座姿勢研究とその受け皿である椅子の支持面の研究を行っていました。やがてJIS規格にも繋がることになる自身が行ったこの基礎研究データが、この「トヨさんの椅子」のデザインに活かされることになりました。

皆様に是非お伝えしたいポイント


この椅子は作業している時でも休息をしている時でも
体の動きをとらえている□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

レポート:トヨさんの椅子でデスクワーク

シートに深く腰を入れ胸を張り姿勢を正し仕事をする

やがて体にストレスが溜まったら
座ったまま体を後ろにのけ反らせ腕や脚を伸ばし伸びをする
今度は後頭部に両手を組んで肘を広げ斜め上を見て考え事をする

そして床に下ろしていた脚の片方だけ座面にのせ片足胡坐をかき
胸の前で腕を組む

途中だったノートパソコンの原稿をのぞく
上半身は無意識に右に傾いたり、左に傾いたり

アイディアが湧いて!
しばらく入力を続ける

そして休憩

広い座面にどっかりと胡坐をかいてお茶の時間にする
把手が付いている湯呑でもお茶は両手を添えていただくと美味しいものだ♪

またアイディアが湧いてきた!
今度は椅子に横向きに座る
肩肘を背もたれにのせ「考える人」のポーズ

アイディアが思うようにまとまらない。。
集中力が切れ
背中の窓を打つ台風16号の雨音が気になりはじめる
トヨさんの椅子に後ろ向きにまたがって両腕を背もたれの上に重ね
Ravelを聞きながら
窓の外の様子を眺めた

実はこのレポート
この原稿を書いている自分の様子を書きました
落ち着きがない・・(笑)
「トヨさん椅子」のエッセイは
トヨさんの椅子に座って書こうと決めてました


@くらし座

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正面ロゴ

トヨさんの椅子の三次曲線を描いた幅60㎝もある大きな座面。
そして第四胸椎あたりから第三腰椎まで届く、やはり三次曲線を描いた幅60㎝の大きな背もたれ。
実はこれらの持つ意味こそ、皆さんに一番お伝えしなくてはいけない重要なポイントです!

先程[深掘り:基礎研究編]で書きましたように、豊口氏は戦前から人間工学的な研究を行ってきましたが、やがて椅子の研究開発を進める中で、人の姿勢を静止画像で捉え 姿勢の受け皿を考えようとする方法論に限界を知ります。人は長時間同じ姿勢を強いられるとストレスがたまり、そのストレスから解放されようとして色々と姿勢を変えたくなるものであり、たとえ体の曲面を正確にとらえ、その人の体形に抜群にフィットする椅子をつくったとしても、それは意味をなさないということを結論付けました。

簡単に言えば「所詮人の体はじっとはしていられない!」ということに気づき、「トヨさんの椅子」は、人がイスの中で見せる様々な動きや姿勢に順応できるよう工夫し開発がすすめられました。
先程このエッセイを書いている時の僕の姿をレポートした通り、ある時は腰掛けている姿勢から胡坐座りになったり、イスに横向きに座ったり、その時 丁度良い高さにある背もたれを肘置きにしたり、今度は椅子に対して後ろ向きにまたがったりと、この椅子は様々な姿勢を柔軟に受け止めてくれます。
実は「トヨさんの椅子」には「疲れ知らず椅子」とか「徹夜椅子」などいうような別の愛称もあるのですが、そう言いたくなる気持ちがよく分かります。

※参考 「”座り過ぎ”が病を生む」というタイトルの特集が2015年11月にNHKの番組クローズアップ現代にて放送されています。長時間椅子の中で同じ姿勢を強いられると発がん率が上るといった例などを上げ、長時間に渡るデスクワークと疾患との関係性について解説し警鐘を鳴らしました。そしてコロナ禍でのリモートワークが急増する状況に合わせ再放送されたことで話題になりました。

ムーブメント&ヴァリエーション
ピーター・オプスヴィック

3バリアブル

「所詮、人の体は止まってはいられない!」このことに気付いた人は海外にもいました。それはノルウェーの工業デザイナーピーター・オプスヴィックです。
1970年代になるとノルウェーでは、作業時の座姿勢を考えるに当って、椅子のシートに傾斜を持たせ、前傾姿勢をとることで理想的な姿勢を保ち、背骨への負担を軽減しようとする、バランス理論の研究が始まります。ヨガや禅からインスピレーションを得たハンス・メンショールが、三人のデザイナーに床座、腰掛、立った状態というそれぞれに違ったテーマを与え、その仮説を実証することを依頼しました。そして完成した一連の製品たちが、ご存知の方もいると思いますが あのバランスチェアです。

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その依頼された三人の研究者の中の一人でありましたピーター・オプスビックは、イギリスとドイツで筋肉の作業効率や疲労度などを測定するエルゴグラフィックを学んだ経験から、バランス理論に加え「動きの必要性」に気付きます。
当初のバランス理論に基づき理想的な前傾姿勢をつくり仕事をしていたとしても、やがてストレスがたまり後ろに体をのけぞらせ伸びをしたくなったりします。この人間の持つ自然であり自助的な反応にピーター・オプスヴィック氏は着目しました。そして研究を重ねることで、筋肉や靭帯を固定させずにストレスから解放されようとする体の動きに、椅子の重心が変わることで壊れかけた体のバランスを取り戻すという新しい発想に辿りつきました。そして1979年ヴァリアブルバランスが、STOKKE社(現在は分社したVARIER社)から発売されました。

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そしてオフィスチェアとしては、2010年ドイツの名門ウィルクハーン社から、デスクワーク中の人の体を三次元でシンクロし受け止める「トリメンション」を採用した「ON」が発表されています。その発表に当たり「人間工学から運動学へ」「正しく座るから自由に座る」というキャッチコピーが使われ、人の体を静止画像で見立て受け皿を発想する人間工学的方法から、動きでとらえる運動学的方法論を訴えたのが印象的でした。

トヨさんの椅子(2)の最後に

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ウィルクハーン社は「トリメンション」システムのプロモーションの中で、ピーター・オプスヴィックの「ムーブメント&ヴァリエーション」を取り上げています。やはり人の体を動きでとらえるピーター・オプスヴィックの発想はヨーロッパでも画期的なことだったようです。

この一連のように西洋の腰掛式からアプローチした製品にしても、床座式からアプローチした「トヨさんの椅子」にしても、一流を極めたものは、どちらもシンプルかつ上品なフォルムをしています。
ただ、ピーター・オプスヴィックがヴァリアブルバランスを発表したのが1979年ですから、それよりも四半世紀も前に、それも椅子の後進国であった日本にて「トヨさんの椅子」が既にデザインされていたことを思うと、改めて工業デザイナー豊口克平という人の凄さに驚き、同じ日本人として誇りに思います。
そして豊口氏がかつて研究をしていた仙臺工藝指導所の地元民としてもちょっぴり鼻が高く感じるわけです^^

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■トヨさんの椅子(初号1955年) 
 サイズ    W600 D620 SH370 H730 
 重量     約9.1Kg
 素材     ナラ材・オイル仕上げ
 クッション材 ウレタンフォーム
 製造国    日本
 税込価格    105,600円

今回も予想通り長くなってしまいました。次回は別の切り口から「トヨさんの椅子」の解説をしていけたらと思っております。製品の持つ特徴が分かったら次は大切な利用方法ついて!以前ご紹介しましたエッセイ「インテリアにおける本当の意味での家庭内国際化へむけて」も読んでいただきながら「トヨさんの椅子」の特徴を生かした実践的生活術をお伝えできればと思っております。また次回も一生懸命解説させて頂くつもりです!皆様どうぞ宜しくお願い致します。

くらし座 大村正









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