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トヨさんの椅子(1)

出会いは約四半世紀前

この椅子との本当の意味での出会いは今から約四半世紀前(1994年)飛騨高山で開催された木工連の産地展の時でした。その年はこの展示会に合わせたエキシビションとして「日本の木の椅子展」という展覧会が開催されていていましたが、心身に直接的にも間接的にも様々に意味で影響を及ぼす椅子というものに対して、取扱品目の中でも特に強い興味があったこともあって、タイトスケジュールの中ではありましたが 時間をつくり会場へと足を運びました。

座れる椅子は2%

会場には1870年頃のものと推定される椅子から現代の現役製品まで、日本の椅子の歴史を代表する約100脚が選定され展示されていました。当時としてはこのような展覧会はとても珍しかったこともあり、僕を含め会場を訪れた人々を驚かせました。
展示品がのせられた各ステージには、展示品保護のためのチェーンが張られ「手を触れないでください」「座らないでください」の立て札まで用意されていました。博物館から貸し出された文化資料としての椅子や現在は絶版になっている椅子、そして地元メーカーの現行品まで。椅子に尊敬の念を表し実に丁寧に展示されていました。
ただ正直言って・・・椅子の産地の展覧会のエキシビションなのにも関わらず地元メーカーの現役の椅子にも座れないのには、少し違和感を感じた事を覚えてます。
くらし座はミュージアムショップではありませんので、普段は尊敬している椅子といえども、自分がセレクトした生活のためのいち道具としてお客様と接するわけです。当然内容に自信があっても有名匿名関係なく どこかへりくだった姿勢でご紹介することが多いので、展示品を大切に扱う気持ちは分かるのですが、どこか上から目線のようなものを感じてしまい、あまりいい気分はしませんでした。

そして順路に従い会場を巡っていると、なんと二脚だけですけど(たぶん僕の記憶では)「ご自由にお座りください!」と書かれた椅子があったのです。あの時の貼り紙は眩しかった~!とても輝いていました。なんてったって約100脚展示している中で2脚だけですからね。2%の秀作です!

その一脚がこのエッセイの主人公「トヨさんの椅子」でした。

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📌トヨさんの椅子 1955   豊口克平

因みにもう一脚の椅子は新居猛さんの「NYチェアX」でした。

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📌NYチェアX 1970  新居猛

さて、会場て座ることが許されたこの2%の椅子達の発売元はというと、「トヨさんの椅子」はあの秋岡芳夫さんのモノ・モノですし、NYチェアXは新居猛さんご本人のニーファニチャーです。新居さんとは生前少しだけ交流させて頂いてましたが「人々の役に立つ椅子をつくる。食べ物で言ったら親子丼やライスカレーの様な椅子を!」という名言を残した方で、それをそのまま生き通した人ですから気持ちがよく分かりますし、秋岡さんと言えばかつて「熊本県伝統工芸館」建設にあたって「見て」「触って」「聴いて」「嗅いで」「味わって」「買える」ことの重要性を熊本県に提言し地域振興のデザインに貢献した方です。
「椅子は座ってなんぼだから!来館者には座らせてあげなさい」ときっと言ったんだろうな~ということは何となく想像することができます。
秋岡さん新居さんともに1920年生まれの大正男。実にカッコイイ!! 

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本当に感慨深いものがあります

当時の僕はノルディックデザインの美しさの背景を探求していた頃でしたが、まだまだ西洋的でモダンなスタイリングに心揺れる年頃でしたから、「トヨさんの椅子」のもつ骨太のデザイン哲学から生まれた何の衒いもない意匠と、包容力を実感する抜群の座り心地の良さ、そして会場の「ご自由にお座り下さい」の粋な計らいが相乗効果となり、僕の感銘の度合いを勢いづかせました。「椅子というものはこうじゃなくちゃかけない!」などと分かったような言葉が思わず口に出してしまったことが、どこか甘酸っぱく今では懐かしく思います。この椅子の持つ無言の説得力との出会いが、その後の自分の仕事に大きな影響を与えたように思います。出会いから四半世紀経った今では、ご縁あってこの2パーセントの椅子たちは、くらし座にとって大切な取り扱い商品アイテムとなっている事を思うと、とても感慨深いものがあります。

パンドラの箱 

さて、トヨさんの椅子についてのエッセイは長くなる!とは最初から思っておりましたが、今回は前書きだけで1900文字をこえてしまいました。今日はこの辺でペンを置きたいと思います。尊敬する「トヨさんの椅子」の解説は所詮デフォルメすることなど不可能な沢山の魅力を持った椅子です。今後切り口を変えながら何回かに分けて出来るだけ分かりやすく!ご紹介していければと思っております。

くらし座 大村正







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