愛媛県松山市(後編)

おはようございます。またはこんにちは。もしくはこんばんわ。マゲっちSCと申します。皆様いかがお過ごしでしょうか?本日5月12日午後13時過ぎにブログを書いていますが、今日は過ごしやすいですね。本日は愛媛県松山市では雨が降っています。前回のブログでは愛媛県松山市の地理的な特徴と各主要都市について書きました。今回はそれ以外のことを書いていきたいと思います。

ではまずは歴史的な側面からお話していきましょう。以前サッカー編で書いたとおりですが、愛媛県は東京都と密接なつながりがあります。つながりができたのは江戸時代ですね。徳川家康公が幕府を開いたあと、日本各地(北海道と沖縄除く)を親藩・譜代・外様の3つに分類したことは日本の歴史で皆さん学ばれたかと思います。親藩は関ヶ原の合戦以前より徳川家に使えていた大名ですね。徳川家の親族の大名も親藩扱いです。譜代は関ケ原の合戦以降に徳川家に忠誠を誓った大名です。外様は徳川家の世の中になっても徳川家に使えることに難色を示したり、反乱を企てたりした大名です。

愛媛は当時8つの藩に分かれており、松山藩・西条藩・小松藩・今治藩・大洲藩・新谷藩・宇和島藩・吉田藩として成立していました。8つの藩は現在はそれぞれ市や町として独立しつつも、合併を繰り返し現在小松は西条市へ、吉田は宇和島市へ、新谷は大洲市へ合併されています。

松山藩に限って言えば、松山城を築城した加藤嘉明公(かとうよしあきら)は徳川家に関ケ原の合戦で東軍に参加、つまり徳川家に味方しました。そして、松山の地を与えられ、松山城を築城します。しかし加藤家は跡取りが生まれなかったようで、その後は蒲生忠知公に引き継がれますが、こちらも跡取りが生まれることはありませんでした。参勤交代中に急死されたとのことで31歳で亡くなっています。その後松山城へ松平定行公が京都より赴任し、松山城主となります。そう、松平家(もともとは久松家)ということは徳川氏とゆかりのある方になりますね。なんと調べてみると徳川家康公の甥に当たる方で、徳川家光公の命令によって愛媛松山へと京都からやってきたとのことです。その時松平定行公についてきたのが実は私の祖先です。私の名字は世間でよくある名字なのですが、家紋がきちんとあるのは愛媛では私の家計のみだそうです。おじがわざわざ松山の郷土の歴史を県立図書館で調べてきたそうなので間違いはないでしょう。そう、マゲっちSCの祖先はリアル・マゲっちだったのです。

ということで江戸と松山の結びつきは江戸時代から強固なものだったわけです。それは今も根強く残っていて、テレビ局も基本的に地方局の番組がなければ東京で流れている番組を優先的に中継します。野球中継はセ・リーグであれば巨人戦が確実に放送されます。パ・リーグの場合も東京の放送局の意向に従いそのまま中継します。

ちなみに伊予弁は広島弁や博多弁に近い言葉を使っていますがイントネーションは京都弁です。松平のお殿様が京都出身者だったので伊予弁のイントネーションに影響が出たわけですね。気になる方は伊予弁調べてみてください。発音や言葉遣いからかわいい方言8選に選ばれています。

さて、愛媛の歴史は徳川家との結びつきが非常に強いわけですが、瀬戸内の温暖な気候を活かして、山ではみかん作り。海では魚の養殖が盛んに行われています。しかし愛媛はもともとみかんは作っておらず、さつまいもを主に作っていました。いろいろ研究を進めていくにつれて柑橘類の栽培に適した土地柄であることが判明して以降、愛媛はみかんを中心とした柑橘類の生産へ転向します。そして品種改良や研究を続けとうとう日本での温州みかん栽培で日本一になります。そう、愛媛みかんというブランドの誕生です。そして長らく愛媛は柑橘王国の名をほしいままにしますが、それも長くは続きません。和歌山や静岡の温州みかん栽培量が徐々に増加していき、2020年の調査では愛媛の温州みかんの生産量は和歌山・静岡に負け3位に転落してしまいました。ただ、生産量は負けているものの味は負けておらず、今も愛媛みかんはブランドとして充分な価値があります。さらに愛媛は柑橘の研究開発を進めていき、高級柑橘類の生産へかじを切ります。不知火(デコポン)・せとかなどの高級ブランド柑橘がそれにあたります。温州みかんよりも味が濃いのでご興味ありましたらぜひお試しください。

そして愛媛県南予地方では魚の養殖も盛んに行われています。中でも愛媛産の真鯛はとても有名で、愛媛県の県魚は真鯛です。愛媛の郷土料理にも鯛めしがあり、中予東予と南予ではまた鯛めしの種類が違います。中予東予の鯛めしは土鍋で鯛を炊き込んだいわゆる炊き込みご飯系になりますが、南予の方に行くと生卵に鯛の刺身を漬け込んでご飯にかけて食べる高級卵かけご飯系になります。南予の鯛めしは炊き込むことはないので鯛の刺身さえ手に入れば比較的容易に作って食べることができます。

鯛の刺身を用意したら丼一杯の白米に、生卵とめんつゆを用意します。生卵を丼に割り入れ、めんつゆを注いで卵をときます。その後鯛の刺身を漬け込んで5分ほど待ち味をなじませます。あとはご飯に鯛の刺身をのせ、卵とめんつゆの混ざっただしをご飯にかけて食します。しかし中には魚の生臭さが気になる方もいらっしゃるでしょう。特に若い方に多いらしいのですが生魚を食べることに抵抗がある方もいらっしゃるようです。そこで愛媛県では新たな鯛の養殖を始めました。それが「みかん鯛」です。鯛の刺身からほんのりみかんの香りと味がします。東京や大阪の高級料亭で扱われていますので、ご興味のある方は一度食べてみられるといいかと思います。地元ではみかん鯛はあまり出回っておらず私はまだ食べたことはないのですが、テレビの取材の方からの食レポによると、上記したとおり生臭さは微塵もなく、みかんの香りと味が鯛の刺身からほんのりとするそうです。

そして愛媛ではさらにもう1種類の魚の養殖を成功させました。皆さんも一度は聞いたことがあるかも知れません。全身がトロのお魚「スマ」です。この場合のトロとは、マグロの中トロを指します。大トロはほぼ脂身であり、江戸時代には食べるためではなく照明をつけるための燃料としての油として利用するほど脂分がすごいそうですが、中トロは筋肉(赤身)と脂肪(トロ)が絶妙に融合しており、江戸時代でも食通の間では美味とされていたようです。そんな美味しい中トロを安く入手できたらどれだけいいことか。それを突き詰めた結果、愛媛県ではスマの養殖に成功し、「媛スマ」というブランドで東京・大阪などの大都市圏へ新たな食材ということで出荷しています。媛スマも料亭で食べることができますが、愛媛では大都市圏よりも安く入手できるため、学校給食の食材としても使われています。スーパーでも売られていて、みかん鯛よりも比較的簡単に入手ができます。私も1度だけ食べたことがありますが、本当にマグロの中トロと遜色ありませんでした。

最後に愛媛県の気候についてお話させてもらえればと思います。こちらも中予東予側と南予側でまったく違う気候になります。なぜなら中予東予は四国山地の北側に位置しているからです。四国山地の西側、すなわち愛媛と高知の県境に当たる部分には四国1の霊峰石鎚山(いしづちさん)がそびえており、この山を超えられる雨雲はありません。つまり石鎚山より南側または西側に雨が集中的に降るようになっています。高知県はそのような土地柄であるため治水レベルが非常に高く、大量の雨が降るにも関わらず浸水被害や川の氾濫はほぼ起きません。同じ気候帯にいる南予地方では宇和島の治水レベルも非常に高く、よっぽどのことがない限り水害は起きません。しかし、想定外の量の雨が降り続き宇和島市の吉田町では一度水害によって町が損壊してしましました。地元の人や愛媛FC・FC今治・愛媛マンダリンパイレーツの選手たちも練習や試合のスケジュールの間をぬって吉田町へ入り、復興作業を手伝っています。FC今治のオーナーさんである岡田武史氏も当時は現地入りし復旧作業を手伝っていました。そしてついにあのジャニーズ事務所も立ち上がり、木村拓哉氏やTOKIOのリーダーである城島茂氏など有名所を吉田町へ派遣し、復興の手伝いを行わせています。ジャニーズの大御所が数名愛媛に来たことから、地元のテレビ局も取材へ行って地元のニュースで放送していましたし、吉田町の住民の方も感激していました。

中予東予は山口県や福岡県あたりから雨雲が流れてくると雨が降りますが、太平洋側からの雨雲による雨はまったく降りません。なので愛媛で天気の概況を見る場合、中予東予地方は広島県の天気を、南予地方は高知県の天気を見ることになります。もし出張なので愛媛に来られた際、松山市近辺や西条市・新居浜市・四国中央市であれば広島の天気を、宇和島近辺の市であれば高知県の天気を確認するようにしてください。また、愛媛県は平成の大合併により、現在村は存在していません。愛媛県は市町のみです。

今回まででとりあえずの自己紹介的な内容は終了し、本格的にパソコン関連のお話をできればと思います。愛媛のお話などはまた時折混ぜていくかとは思いますが・・・。それではご興味がありましたら次回も御覧ください。それではまた・・・。


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