2/25 振り向く人

今日は朝起きてこれを書こうと決意していた、もう夜だけど


それは友人、および恋人などとの別れ際について(ほぼ恋人のはなし)


例えば駅のホームで、階段で別れなければならない時、手を振り返す、じゃあねー、またねー、に必ず返答してくれる人がいる。

それに対して、一度も振り返ることなく、スタスタといってしまう人も

単に自分が嫌われてる、遊んだけど疲れたとかの指標だと思ってたけどどうやらそうではないらしい。色んな人によると。

要は「恥ずかしさ」の問題らしい。自分はよっぽどのことがない限り、前者のような行動を心がけている。

昔、恋人とこの行動に対する認識で大きな違和感を感じた。人が多いところで二回も手を振る行動、振り向くという行動がどうしても苦手らしい。自分はそういう愛情(?)表現をいわばマナーのように捉えていたため、なぜそれが出来ない、しないのか、とても疑問に思った。彼女曰く、「客観的に見て恥ずかしいことは出来ない」という。

自分にとって最低限の愛情表現、もっと言えば友情を円滑にするためのちょっとした習慣を是としない人が居るんだという衝撃。

自分はそれが耐えられなかった。挙げ句の果てにそうやって自分の意見を押し付けるのは良くないとまで言われた。この喧嘩(?、もはや言い合いにもなってない、話が通じない、今までの常識が通じない人も居るんだなっていう諦めを学んだ)のすぐ後にお別れをした。半ば女性恐怖症になった。

今思えば自分の想像力が足りないのかな、とか、別にそんな好かれてなかったんだろうなとか色々考える。だけど、未だ納得できてない部分もある。別に改札でハグとかキスとかしてって強要したわけでもないしなあ。

恥ずかしさを保ちつつって関係は多分自分には向いてない。精神的に子供だから、彼女が可愛いと思ったら写真を撮ってしまうだろうし、可愛いと言うのに我慢もできない、

でもそれが好意がない、あくまで遊びの関係だとしたら?


あーもういや、昔のことは考えたくない。



つまり、愛情表現の重さが同じぐらいの人としか続かないよ、関係は

だからこの前、友達としか思ってなかった人に別れ際された事(いかがわしくは無いけどちょっと書けない)は自分にとって大きな意味があった。別れ際の素敵さで印象がガラッと変わると思った。惚れちゃったよ、正直。

たとえパフォーマンスでも別れるのが惜しいと相手に思わせるのは大事ではないか。この考えが芽生えただけでも先の人とお付き合いしたことは、滋養となるだろうし、忘れられないだろうな。



飲酒ポエム終わり、最近一人で酔うと悲しさが先に来る。



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