ノンキャリ出世~余談~ 神様が味方してくれる話
信心を持ち始めたのはいつごろだろうか。
ごく一般的な日本人として正月には初詣に出向き、葬儀では数珠を手にした。クリスマスは祝うし、カレーも好きだ(ヒンドゥーの精進料理起源説)。
だが、それを信心とは言いがたい。
たとえば中東のモスクで擦らんばかりに地に額をつけ、起立し、頭を垂れ、それを何度も繰り返す姿には祈りの神聖たるを覚えた気がするし、街に轟くアザーンの調べには一種の恐怖さえ覚えた(いまでは情緒感として耳に残っている)。
それは南アジアを中心に信仰の篤い上座部仏教も同じで、パゴダで祈る人々の姿は日本の寺院で見るそれより全身を使いつつも静かでおごそかな、見ている側もハッささせられるものだったし、キリスト教会に入った瞬間の、図書館のそれとは違う静けさは心の底までシンとされるものを伴っていた。
神社と寺の区別すらつかず、もしかしたらお寺で二礼二拍手一礼をしていたかもしれない私に、とても信心があったと言える資格はなかった。
しかし、安心を求めたり願いを叶えられるよう、人形なり石なり木なりを神に見立てて祈ることはあった。それとて八百万の神として認めてくれそうな日本の神道が私は好きだ。
私はいつしか神社が好きになっていて、そこから興味をもった神話も大枠でなぞるくらいのことはしていた。
神社を好きになった理由は単純で、単にあの空間に居心地のよさを感じたからだ。
三十歳を過ぎて入社した会社にて数年後、所属していた部署に不慮の事故や不遇がつづいたときには地元の神社のお札を掲げたことがあったので、三十代には信心のかけらはもっていたのかもしれない。←このお札効果か、その職場はそれ以降とつぜん業績が急上昇した!
どうやら私は日本武尊らしい。
といってももちろん、私自身が日本武尊なわけではない。
記憶は定かではないが、既述のとおりある時期から神社が好きになり、全国各地の神社を巡っていた。
出張先にあれば、たとえそれが道端の小さな祠であっても手を合わせた。
神社とは不思議なもので、鳥居を潜った瞬間にガッと心になにかが迫ってくるところや、不意に涙が溢れてくるところもある。
ということは逆になにも感じない神社もあるわけだが、私はそれを、そのときの自分のメンタリティの問題だと思っていた。元気であっても心で何かを感じたときは、実は潜在的に闇を抱えていたのかもしれない、と。
これは最近の話だが、必要に迫られて房総半島の故事を調べる機会があった。
悪久留王伝説を知り、そこから派生して君津、木更津、袖ケ浦の地名の由来を知った。
それは、日本武尊東征の折に残された伝説。
三浦半島から房総半島へ渡ろうとしていた日本武尊一行は、荒れる東京湾で命の危険にさらされる。
妃の弟橘媛はそんな日本武尊の身を案じ、海に身を投じて命を落とした。海の神の怒りを鎮めるため、自らの命と引き換えたのだ。
その甲斐あって静けさを取り戻した海を無事に渡った日本武尊は、たどり着いた房総の地で東京湾を眺めながら弟橘媛を思い、歌を詠む。
君去らず
袖しが浦に立つ波の
その面影をみるぞ悲しき
この歌を由来とした地名が君津であり、木更津であり、袖ケ浦である。
この切ない歌に引き寄せられ、私は日本武尊に関心を持った。
持って、何をしたか。
お参りをしたいと思った。日本武尊はもちろん、弟橘媛の供養もしたいと思い、日本武尊をまつる神社の一覧を調べた。
調べたら、背中に汗を感じた。
私が鳥居を潜って心に迫る何かを感じた神社は、いずれも日本武尊を御祭神としている神社だったのだ。
たとえば富士吉田の大塚丘。船橋の船橋大神宮。秩父の三峰神社など。ただ、熱田神宮だけは数ある神社の中で唯一、行って気分が悪くなった珍しい例だった。
そしてもうひとつ、思い当たることがある。
私は幼少の頃から両親の帰省に連れられ、新幹線で関東から関西へ向かうことがよくあった。
ひかり号で名古屋を出発し、岐阜羽島を通過。
少し速度を落として関ケ原を抜けると、右の車窓にひときわ大きな伊吹山が見えてくる。
私は子供の頃からその山が気になって仕方がなく、時には無性に哀しくなることすらあった。
両親もその話を記憶していたので、私の思い違いではなさそうだ。
その現象は大人になっても変わらず、日ごろは失念しているものの、そこを通るときだけは気になって気になって仕方がなかった。
先に記した日本武尊のことを調べる過程で、伊吹山こそが日本武尊を死に追いやる決闘の場だったことを知って、これもまた背中に汗を感じた。
そして、その敗北の原因のひとつとして、伝家の宝刀たる草薙剣を熱田神宮に置いてきていたこと知ったときにもゾッとした。熱田神宮は、訪れて気分を悪くした神社だったからだ。
どうやら私の守護神は日本武尊のようだ。そう思い込んだ私はある日、三重県にある能褒野や加佐登にある日本武尊陵へのお参りに出向くことにして、亀山市に宿をとった。
私は見知らぬ土地に宿をとると、まず最初に地図も持たずに街を散策することにしている。自分の中では「迷子タイム」と呼んでいるのだが、よほどの大都会でもない限り、これが意外と迷子になることはない。
亀山でも、そんな自分の土地勘(帰巣本能?)を信じてぶらぶら歩くこと2時間。亀山城から旧東海道の情緒ある街並みを直進し、それが終わった先の交差点に出くわした。右、左、前と見渡す。するとなぜだか妙に左折をしたくなって、そのまま左に歩を進めた。妙な話だが、そちら側から呼ばれている気がしたのだ。
下り坂の先、右手に森が見えてくる。
得てして平地の一角に背の高い木々の森があると、そこは古くからの神社である可能性が高い。だから“森”というより“杜”という字を充てる方が適切なのかもしれない。
杜の道路端には鳥居があり、鬱蒼とした樹木の中に一本の細い参道が続いていたので、やっぱ神社だったと安心して鳥居の前で一礼し、歩みを進めた。
と、その瞬間、どうにも心地の良い、まるで母親に抱かれている子どものような感覚が私の身も心をも包んでくれた。
なんという脱力感と安心感。
たぶん私はあの参道を、口を半びらきにして歩いていたと思う。
境内の立て札には忍山神社という名とともに「式内社」とあったので、歴史的には間違いなく深い。
猿田彦と天照大神を御祭神としている元伊勢とも記されてあったので、いってみれば神社の保守本流本家本元といったところか。
しかしなんだろうなぁ、この安らぎ感。
伊勢神宮や大神神社といった他の本家本元でも、このような感覚を得たことはなかった。
それはそれとして、ひとまず御祭神にお参り。
私の参拝方法はとにかく無心になること。
神様に向かってお願いをするだなんてケシカラン!
たかが人間の分際で神にお願いだなんて無礼ではないか!
貴様はそれほどの者なのか!
という論に納得して以降、無心の二礼二拍手一礼を慣行している。(←これは、人それぞれでいいと思う)
参拝を済ませると心がスッキリする感覚を持ちつつ、小さな境内をまわってみた。
私が入ってきた方向とは直角方向に別の参道があり、それは南に向く拝殿の正面方向にあったので、どうやらそちらが本来の参道のようだった。
改めてその道を歩いて外に出て、鳥居の向こうから参道と拝殿を眺める。
私は神社の、この景色が好きだった。
鳥居の中心に、拝殿前に置いてある賽銭箱が来る位置に立つと、左右均等のシンメトリックな美しい造形美が現れる。
しかし、礼拝という神聖なる建築物は、どうして世界のどんな宗教でもシンメトリックにできているのだろう。万物平等、平均的安定とでもいいたいのだろうか。
とはいえ、日本の神社の元は磐座という単なる岩だったりして、仏教が入って来て以降のお寺の影響から建物をつくったという説があるので、あるいはどの礼拝施設も、なにかの影響を受けた結果の同一性なのかもしれない。
忍山神社は小さく、寂しささえ漂う神社ではあったが、式内社ということは少なくとも平安時代から存在する神社ということで、場所や姿形は変わっているのかもしれないが、とてつもなく長い歴史の中で一体どれだけの人々がここを通り、祈りをささげていたのだろうなどと考える。
そんな歴史に思いを馳せ、改めて鳥居をくぐって境内に入る。
と、その瞬間、鳥居の横にある御祭神等を明記している立て札の文末に「弟橘媛生誕地」という文言があることに気が付いた。
「え!」
私は驚き(というか足がすくんだ)、通り過ぎようとしていた札の前へ、そのままバックの形で後ずさりし、改めてその項に目をやった。
間違いなく「弟橘媛生誕地」と記されてあるのを確認すると、この地で得た母親に抱かれる子供のような得体のしれない安心感の正体がわかった気がして安堵した。
「そうか、そういうか。そういうことだったんだ」
弟橘媛とは、日本武尊の前途を願い、東京湾に身を投げたその人のことである。日本武尊への愛と、弟橘媛への想い。改めてそれを感じ、境内の片隅にあったベンチに腰掛け、誰一人いない贅沢な空間でしばらく安らぎの時間を過ごし、確信した。
やはり、私は日本武尊命が守護してくれているのだ、と。
亀山に宿をとったのは近隣に他がないという必然だった。
しかし、地図を持たずに歩いた散歩の先で、ましてや市街から離れたところに位置する神社に、誘われるように訪れた杜が日本武尊の妃である弟橘媛の生誕地だった偶然。
この地で得もいわれぬ安心感を得た感覚の事実に、私はその思いを強くしていた。
神様がいるのかいないのかはわからない。
多くの宗教がそうであるように、崇めるべき神は一人いるのかもしれないし、神道のように八百万として万物に神が宿っているのもかしれない。
ただ、私自身はこう思っている。
神はきっといる。しかしそれは誰かや何かではなく、自分の心の中だけに、と。
どんな他人様にも拝むことの出来ない、自分だけの神。
そして、そんな自分を護ってくれる日本武尊と、日本武尊を護る弟橘媛。
おぉ。文字化してみて改めて思うけど、俺はなんと贅沢な人間なんだろう!