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歌とファッションと私



内容は9割歌の事だし勢いで書いたので支離滅裂ですが、自問自答ファッション活動を再開し今後のファッションとの向き合い方やコンセプトを考える上でアウトプットが必要だったのでほぼ自分用の記録。

どんなに感銘を受けた事でも、自分の頭の中だけに置いて置いたらすぐに薄まって曖昧になってしまうので…

歌について①

初めに歌が楽しいな、と思ったのは高校生の時。
それまで私はカラオケに行った事がなかった。
小さい頃から絵を描く事や歌う事に興味があったが、やり出すと宿題や他の事を放り出してしまうので親からはいつも怒られた。
私は怒られた事ばかりを気にして、「勉強や将来に役に立たないから絵や歌はやっちゃいけない事なんだ」と思うようになった。 

中学では文芸部に入りたかったけど、親に止められて吹奏楽部に入った。
絵は描かなかったけど音楽は楽しくて熱中した。

高校は新設校のため部活が無かった。
当然吹奏楽部も。
立ち上げる程の情熱も持ち合わせていなかったのでそのまま帰宅部になった。
絵も描かなくなったし、音楽からも離れていった。

そんな時、当時仲の良かった友達に初めてカラオケに誘われた。
私はゲームセンターやパチンコの大きな音が延々とかかっている所が苦手だったし、「絵や歌は悪いこと」と思い込んでいたので正直乗り気ではなかったけど、嫌われないために一緒に行った。

しかし歌ってみると意外と気持ちの良いものだった。

大きい声を出す事ってこんなにスッキリするんだ。
それより私こんな大きい声出せるんだ。

全然上手じゃないけどとにかく歌う事が楽しかった。
いつの間にか流れ続ける大音量の音楽もきにならなくなっていた。
心の隅で親に対する罪悪感があったけど、それさえスリリングで楽しかった。お世辞だろうけど、自分の好きな歌をうたっているだけなのに「上手だね」「本人みたい」と褒めてもらえるのが何よりうれしかった。

それから私はカラオケに通い詰めた。
幸い私に付き合ってくれる友達ができ、いつも一緒だった。
思っていたより歌が好きな子は多く、自分も他人に素直に歌が好きだと言えるようになっていった。

高校卒業後は専門学校へ進み、寮に入った。
歌が好きだったおかげで年の離れた同級生とも仲良くなれた。
つらい実習の後においしいラーメンを食べてカラオケに行くのが楽しかった。

社会人になっても職場で趣味の合う人とカラオケに行ったり、お互いによく歌うアーティストのフェスやライブに行った。当時ペンライトなんて無くて、たった一本のサイリウムを光らなくなっても夢中で振り続けていた。

歌について②

就職して4年目、仕事もプライベートも辛い事が重なって精神的に憔悴しきっていた。
食欲も無いのに吐き気がして一日に何度も嘔吐した。

友人が気分転換にと私をカラオケに連れて行ってくれたが声が出なかった。声が今までに無く掠れていて、とても歌えるような状態ではなかった。仕事もプライベートもどうでもよくなって無気力だったが「もう歌えないかもしれない」と思うと、ものすごい絶望感だった。

血眼で情報収集し、都心のボイスクリニックに行き着いた。アナウンサーや歌手が通うような所なので自分は場違いなのではないかと思ったがそんなの関係なかった。声が出るようになるならなんでもよかった。
いつのまにか歌う事が1番の救いになっている事に気づき、驚いた。

病院では発声したり音読を録音したり様々な呼吸法を行い、内視鏡も飲んだ。

私の喉は焼けていた。

病名は慢性上咽頭炎。
鼻の奥の辺りの粘膜の炎症だ。
日常的に嘔吐を繰り返したせいで胃酸が上咽頭まで達し、炎症を起こしたらしい。
症状として嗄声の他に後鼻漏、上咽頭の痛み等がある。
思い返せば全ての症状が当てはまっていた。
でも自分が歌えないとわかるまで治療する気力もなかった。特殊な処置が頻回必要らしく、近くの耳鼻科に紹介状を書いてもらった。

それから近所の耳鼻科で処置を受けた。
比喩ではなく地獄の苦しみだった。

処置の内容はBスポット治療といい、金属の棒に薬液を浸したガーゼを巻いたものを鼻から挿入し、鼻の奥(上咽頭炎)擦る。
口腔からも同様に挿入し、擦る。
処置時は擦過により出血し、しばらく血痰が出る。
薬液が擦過傷に染み、文字通り焼けるような痛みが一日続く。これを3日に1回行い、症状の軽快とともに頻度を減らしていく。

もう一度歌えるようになるために通い続けたが、「どうして私が」「本当に前みたいに歌えるだろうか」と常にぐるぐる考えて焦っていた。
普通に歌える人が心から羨ましかったし、恨めしかった。治療もつらくて何度も逃げようと思った。(実際半年くらい逃げた)

この時期にムーンプランナーと出会い、少しずつ予定の管理ができるようになり、精神的にも肉体的にも余裕がある日ができてきた。
症状が軽快し、処置が1週間に1回になった。
仕事も少し落ち着いた。



私は転職した。

歌について③

新しい職場になって間もなく部署で飲み会があり、二次会でカラオケに行った。
付き合いで1.2曲歌って解散した帰り道、1人の先輩に声を掛けられた。

「歌、好きなんですか?今度一緒に歌いに行きませんか?」

まだ治療中で声も全然出てなかったのに、私が歌うのが好きってどうしてわかったんだろう。
そんなに必死に歌ってたんだろうか。
そう思ったら少し恥ずかしかったけど、


「はい、好きなんです。ずっと歌いたかったんです。」

口が勝手に動いていた。

その後何度か一緒にカラオケに行った。
相変わらず声は出ないしすぐ掠れるけど、人と一緒に歌うのは楽しかった。

ある日ロックバーのライブに来ないかと誘われ、興味本意で行きますと答えた。

「じゃあ、何歌う?初だしデュエットにしようか」

耳を疑った。
私は出演する側として声を掛けられたのだ。
しどろもどろしながら断ったが、聴きにくる人はほとんど出演者だし豪華なカラオケだと思えばいいよと言われて安心してしまった。

できる限り練習し、当日を迎えた。
リハーサルをするためライブの少し前に先輩と落ち合い、バーに向かった。


バーに入った瞬間騙されたと思った。

30人程入りそうな店内の前方にステージがあり、ドラム、ギター、ベース、キーボードが並んでいる。結構な広さだ。
ステージの横にはミックスブースがあり、調整しているスタッフが見えた。

カラオケにしてはスケールが違いすぎるだろう。 
逃げたくなったがリハーサルが始まってしまった。
スタッフがこちらの立つ位置や曲の入りを確認する。
ステージにバンドメンバーが上がってきた。
みんな無表情に見えて少し怖かった。

歌い終わった後、主催者の方から
「マイクはね、顔に対して直角に持った方がいいよ」(声が全く拾われていなかった)
と言われた。

多分私は顔が真っ赤になっていた。

私、こんなに歌が好きで続けてきたのにマイクの持ち方すら知らなかったのか…

もう帰りたかった。

他の出演者の方々はアーティストレベルだった。
明らかに私だけ浮いていた。場違いだった。

本番が始まり、嫌でも順番は来る。

ステージに立った時またも騙されたと思った。

バーの客席はほとんど埋まっており、リスナーが出演者の倍近くいた。
リハーサルの時にはついていなかったステージライトが眩しくてすぐに人の顔はほとんどわからなくなる。

先輩がMCと何か話しているが耳に入って来ない。

私は今どこに立っている?

真後ろで演奏しているはずなのに音が聞こえない。

自分の声もわからない。

震える手で必死にマイクと顔面を直角に保った。


終わった。


早く帰りたかった。
ボロボロの歌を披露し惨めな気持ちになった。
なんで先輩は私なんかを選んだんだ。
どうしてカラオケと同じなんて言えたんだ。
ひどいじゃないか。もういやだ。

でも


惨めなのに

悲しいのに

怒ってるのに

恥ずかしいのに


また歌いたいと思った。
もっとうまくなりたい。


帰り道先輩に自分の気持ちを素直に話した。

するとボイストレーニングのスタジオを紹介してくれた。
なんでも先輩はかなり前にメジャーデビューを目指してレッスンを受けていたらしい。
(ちなみに今も某アプリで歌配信しておりリスナーも結構いるし、カラオケのガイドボーカルにも採用されている。)

気後れしたが自分のスキルを上げるため、予約をしてみた。

先生はとても気さくな人で、丁寧に指導してくれた。
ずっと歌ってきたのに初めて知る事ばかりだった。


私は「人に聴いてもらうための歌」を練習し始めた。

課題曲は自分で決めてよかったので、歌いやすいバラードにした。
原曲はかわいらしい歌声のアーティストが歌っている。

私の声は低くてハスキーであり、それがコンプレックスだった。
少しでも高くてかわいらしい声を出したかった。
原曲キーで歌える事はそれ自体ステータスだった。

歌っている途中で先生の伴奏が止まった。

「今歌ってるのは、あなたの歌じゃないよ」

実はね、と先生は続ける

先生は私が課題曲とした原曲のレコーディングにプロデューサーで参加したらしい。
その際アーティストに歌唱指導をしたが、どうしても先生の納得する歌い方にはならなかったようだ。

「だからね、あの歌い方はあのアーティストのものなの。歌い方としては未熟な所が多いけど売れてるでしょ。だからみんな技術よりもあの人の歌い方に魅かれてるわけ。今から君にレコーディングの時と同じ事を言うよ。」

それから指導を受け、最後に1曲通して歌った。

原曲のアーティストとは似ても似つかない出来になり、不安がっている私に

「これが君の歌だよ。」

「他の歌手をマネする必要なんて無いんだよ、キーが合わなければ変えればいい。君が曲に合わせるんじゃ無い、君に曲を合わせるの。
しっかり歌えれば、どんな曲だって原曲より君の歌った方が好きだって言ってくれる人が必ずいるから。」

その時はあまり腑に落ちなかったけど、自分の歌い方を突き詰めるしか上達の道は無いことはわかった。


次のライブまで2ヶ月、ひたすら練習した。
ボイストレーニングがない日も家でできる呼吸法や発声練習を欠かさなかった。

再び先輩とライブに挑んだ。
今度はソロだ。

以前のライブの思い出が蘇って、ステージに上がるのが怖かった。
ステージライトが点く前に客席の顔が見えた。
明らかに「あ、あの下手な人ね」と言っている表情だった。それどころか大半はこちらを見てすらいなかった。

伴奏が聞こえた。自分の声も聞こえた。

歌が終わってライトの落ちた客席に目をやる。

みんなが私を見ていた。
直後に拍手の音がした。
前回は無かった。

驚いて逃げるように客席に帰った。
先輩からすごく良かったと言ってもらい、ドリンクをご馳走してもらった。

ライブが終わった後、他の出演者の方がこちらに来た。
出演者の中でも飛び抜けて上手い人だ。

「とても良かった。僕は原曲知ってるけど、君の歌った方が好きだな。また出てよ、楽しみにしてる。よろしくね。」

握手を求められ呆然としながら応じ、お礼を言うくらいしかできなかった。


帰路の電車でぼんやり

伝わったんだな、と思った。

私だけの歌って存在したんだ、認めてもらえたんだ。通用した。

じわじわ嬉しくなってきた。
多分ニヤついていた。

初めて自分の歌で世界と繋がった。 
可能性が広がった気がして、鳥肌が立った。
自分が好きになった。
私でいたい、私でいてよかった。 


ファッションと歌

昔から着たい服が似合わなかった。

気に入って買ってもだいたいタンスの肥やしになった。
タンスの中に自分のお気に入りがある事で満足していたが、自分が身にまとうための服は無いに等しかった。

着たい服が似合わない自分が嫌いだった。
いつしか服は「着るもの」ではなく「コレクションするもの」になった。

出かけるのに着て行く服がわからなくて2時間悩んだ事がある。

一度やニ度ではない。

人間関係が終わりそうになった事もある。

今思うと当時好きだった服は自分の骨格や顔のイメージに合っていなかったし、サイズ選びも適切ではなかった。
当時の私はおしゃれな人は生まれながらに特別な感性を持っていて、努力しなくても完璧なスタリングができるのだと思っていた。
だから自分が上手く服選びができないのは仕方のない事だと諦めて(いじけて)いた。

それからしばらく経って自問自答ファッションと出会った。

書籍を読んでなりたい自分をイメージして試着する。自分の「似合う」を知ってまた試着する。繰り返して最高の1セットを作る。

驚いたのは、「練習すれば自分に似合う服を自分で選べるようになる」というところだった。

自問自答ファッションを始めてから積極的に試着できるようになった。
似合わない服を大量に買って落ち込む事もなくなった。
しかし楽しい事ばかりではなく、試着や店員さんとのコミュニケーションがうまくいかない事も欲しかった服が売り切れて悲しい思いをする事もあった。

だけど、それは私だけができる失敗だ。経験だ。
そうやって進んできた道の先には、絶対に最高の景色が待っている。
正しい努力を続けていれば、必ず自分を見つけてくれる人がいる。
必ず世界と繋がることのできる瞬間が訪れる。
なぜだかわからないが、そう強く信じる事ができた。


この時期私は部署異動や引越し等の生活の変化に加え、体調不良が続いた事からずいぶん歌から離れていた。 
コンセプトを考える上で以前だったら真っ先に出てきたであろう「歌手」という職業すら思い浮かばないほどだった。

さらに子供が生まれ、試着はもちろん自分のファッションについて考える時間も無くなった。
毎日睡眠と家事で頭がいっぱいだった。

子供が保育園に入り徐々に預ける時間が伸びたので、少しの罪悪感を抱えながら近所のカラオケに行った。
気づくと夢中になって歌っていた。
妊娠前に比べたら圧倒的にスキルは落ちていて、また練習したいなぁと思った。

その時、ふと「これってファッションも同じだ」と思った。

練習して練習して練習して「なりたい、憧れ」から「最高の私らしさ」に昇華していく。
これは歌を通しての体験と全く同じだったから。
だから絶対努力は裏切らないと信じる事ができたのだ。


私にとってファッションと歌はイコールで結ばれた。


私は、歌うように服を着よう。


新しいコンセプトが決まった。



いつもありがとうございます💓 とてもうれしいです! これからも更新頑張ります😊