わたしの「べき論」の手放し方
久々にわたしの中の「べき論」が発動した。
べき論とは…
【〇〇するべき、〇〇であるべき】
という思考のこと
わたしは、
もともと「べき論」が強い人で、
自分に対しても、人に対しても、その思考がとても強かったです。
思考は、幼少期の体験や、親の価値観を受けついでいることが多く、大人になっても持ち続けていることで、それが人間関係や生き方そのものに大きく関係してくるといわれています。
「べき論」も幼少期の体験や、親の影響が大きいのかも知れません。
べき論は、ときには自分を守る鎧になってくれる。
何かのはずみで自分が壊れてしまうかも知れないことから守ってくれる役割を果たしてくれています。
だけれども、その ”〇〇すべき” や ”〇〇であるべき” という思考は、その言葉によって、自分で自分を縛り付けてしまいます。それが、息苦しさや、生きづらさを感じる要因にもなっています。
だから、
できればべき論は手放してしまう方がいい。
その方が自分にも人にも優しくなれるから。
わたしは、自分と向き合う作業をする中で、
ずいぶんとこの「べき論」を手放してきたつもりです。”つもり”といったのは、もしかしたらまだ完全に手放せていないかも知れないから。
これが出来るようになってからは、
ずいぶんと生きるのがラクになりました。
自分にも人にも優しくなれて、
心穏やかな時間が増えました。
なにより、自分を自分で認めてあげられているので、心が満たされます。
他者のことも認められるようにもなりました。
なので、先日わたしの中の「べき論」が発動したときには、少し戸惑ってしまいました。
あの人は、〇〇するべきだ
こういう立場の人は、〇〇するべきだ
今お世話になっている心理学の先生に質問したところ、
『相手に直接伝えていなくても、
「~するべき」と思っている時点で、
相手の境界線に踏み込んでいることになる』
ということが分かりました。
「おっと、心の境界線を少し離さないと危ないぞ!」と客観視できました。
(※ 境界線についての記事はこちらをご参照ください。)
強く出てくる、わたしの中の「〇〇するべき!」の思考。
これは、わたしの中の”何か”が反応してくれているんだろうな。
すなわち、これはチャンス!
なぜ、ここまで強く「べきべき」思うんだろうか?
”なぜなぜ星人”と化して、自分に質問してあげると、本音がひょっこりと、顔を出してくれるときがあります。
過去の体験から、悲しかった出来事だったり、もしかすると、べき論のおかげで、何かが上手くいったなど、出てくるかも。
そして、強く出てくるなにかしらの反発ともとれる感情は、自分が大切にしたい価値観の裏返しでもあると、私は感じています。
「〇〇するべきだ」の裏側には、
「わたしは〇〇する方を大切にしたいし、わたしにはそっちが心地よい」
に変換されると思います。
そうか…わたしはこっちを選びたいんだね
こっちを大切にしていきたいんだね
そう認めてあげると「べきべき!!」となっていた心は、スーっと落ち着きます。
そして、
あなたもOK、あの人もOK、わたしもOK
と思えるようになります。
あの人はこれをしている、それはあの人の自由。
でも、私はぜったいにそれをやらない。
なぜなら、わたしはこっち(あの人と反対の思考と行動)を大切にしたいから。
また1つ自分が大切にしたい価値観が、
ココロの宝箱に仲間入り。
そうすると、
きっかけになってくれたその人に、
感謝の気持ちが出てくるから不思議です。
これからも、
べき論が出てきてくれたときには、
その都度向き合って、
「もう手放します、今までありがとね」
これまで守ってくれていたお礼を言って、
上手に手放していきたいと思います。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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