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すずめの戸締りが閉じた世界
戸締りの旅と日本神話
プロローグ
今では誰も近寄らなくなった廃墟。かつて盛況を呈した温泉街の中央のドームにはひっそりと佇む一枚の扉。
この物語は、主人公の、岩戸鈴芽の扉との出会いから始まる。
現代の神話をもう一度新たに紡ぐ物語。
そこに描かれる姿は、鈴芽という一人の少女の焦心苦慮に留まらない。
現代の人間が世界と対峙し調和を目指す、現代人への示唆が込められている。
本作は母を失った少女の岩戸鈴芽が3本足の椅子に姿を変えられた宗像草太と共に宮崎(日向)から岩手(蝦夷)まで扉を閉じながら各地を巡るという話になっている。
この話の構造は日本神話の神武東征、ヤマト東征に酷似している。
日本神話では、かつて神武天皇が日向から東へ日本列島を制圧し、各地の神々を倒しヤマトタケルの時代に蝦夷を平定し、日本を支配したとされる。
この際神武天皇を導いたのが三本足のカラス、八咫烏である。
そして、鈴芽が旅を始めるキッカケになった草太も三本足の椅子の姿をしていた。ここから草太は鈴芽を導く存在であることが分かる。
すずめは作中で5つの扉を閉じている。
先ずは彼女たちが閉じた扉たちについて順番に紐解いていきたい。
一つ目の扉
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一つ目の扉は廃墟となったかつての温泉街にあった。(作中ではバブルの頃に建設されたとされている。)
扉のある場所は大きなドームの真ん中で、扉の周りには水が湛えられている。
ドーム、水、世界を行き来する小さな扉。
配置された要素を見ると、この場所の存在は子宮のメタファーとして描かれている事が分かる。
また、扉を閉じる段になると、草太は左手から血を流し水面にしたたり大きなしぶきを上げる。
後ろ戸からは扉よりも数段大きな存在がうねりを上げ、糸を引きながら飛び出す。
これは明らかに出産を暗示した描写だ。
一方で忘れ去られた廃墟、そこにかつてあった思い出達は死を思わせる。
死の真ん中に突如として現れる生の象徴。
これは太極図の陰の陽の姿を現してるのではないか。(☯←これの黒に囲まれた白い丸)
思えばこの扉を抑えていた要石は、真っ白な体に左目の周りだけ黒い陰の陽を象徴したような姿だった。
つまりこの時点でこの物語のテーマの一つである"死と生は表裏一体"という陰陽的価値観が示唆されていたことがわかる。
そして鈴芽たちが行っている戸締りとは、過去の清算に他ならない。
陰なるモノによって、陽の存在が生み出される。
それを防ぐために、この土地に染み付いた過去への執着や思い出ごと畏敬のものへと返す。
手放された過去は神と集合して時間をかけ一体化していく。
このような価値観は日本人のアニミズム的な信仰とも合致する。
ここから鈴芽たちは畏敬の存在との和解の道を探りながら、神々の世界にズブズブと足を踏み入れてる。
二つ目の扉
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二つ目の扉があったのは、廃校になった小学校。
そしてそこは扉に向かう途中知り合った少女、海部千果の母校でもあった。
作中で千果には彼氏がいることが仄めかされているが、2人のときに人気のないところに行きたがって困るという、密かな悩みを抱えていることを告白している。
すずめが、そんな千果の思い出が染みついた学校へ向かうとき太陽は沈み始め、扉にたどり着いた際にはあたりは真っ暗だった。
それでも泥にまみれながら、必死に扉を閉じる鈴芽の姿はぐうしK胸を打つものがあった。
夜眠る際に千果は鈴芽のことを魔法使いと表現する。
彼女はきっと鈴芽の魔法に救われたのだろう。
鈴芽自身がその魔法に救われることを鈴芽はまだ知らない。
別れの朝、千果から貰った服に着替え、流れ星のアップリケを付けた鞄を携えて歩きだす。
三つ目の扉
![](https://assets.st-note.com/img/1676816050528-eae2wYvQb9.jpg?width=1200)
三つ目の扉は神戸の閉園した遊園地にあった。
神戸、地震と来ると、真っ先に思い浮かぶのは阪神淡路大震災であろう。
ちょうど阪神淡路大震災のあった1995年以降次々に全国の遊園地が閉演を迎えた。
もしかしたら、阪神淡路大震災が起こった際もこの扉が原因だったかもしれない。
鈴芽たちを助けてくれたルミさんは、この遊園地に小さい頃連れて来てもらったことがあると語っている。
ここもまた多くの人の思い出が染みついた場所であり、この街の人が忘れてしまった、人の手を離れてしまった場所なんだろう。
そんな三つ目の扉が開いたのは夜だった。
後ろ戸となったのは観覧車の扉。そしてその観覧車のてっぺんにはダイジンが鎮座していた。
鈴芽は急いで扉を閉めにかかる。
一方、草太はダイジンに飛びつき、その衝撃で遊園地はライトアップされ、ダイジンは草太に拘束される。
これは『日本書記』の金鵄(キンシ)のエピソードと酷似している。
神武天皇がかつて長髄彦(ナガスネヒコ)<余談だが『もののけ姫』に登場するアシタカのモデルといわれている。>と戦った際、神武天皇の弓の先に金色のトビが留まり光り輝いた。
その光に長髄彦の軍勢は目がくらみ、神武天皇は戦いに勝利したという。
このトビは金鵄と呼ばれ、しばしば八咫烏と同一視される。
やはり、この物語は草太を八咫烏、鈴芽を神武天皇に見立てているのだろう。
そして鈴芽には別の役割が与えられている。
神武天皇の遥か祖先。岩戸という苗字が示すように、かつて岩戸の奥に引き籠り、この世界に闇を生み出した神。天照大御神(アマテラスノオオミカミ)だ。
実際、彼女は岩戸の中に引き込まれるように後ろ戸の中へと吸い込まれていく。
観覧車の窓から体を突き出し、今にも窓から落ちそうになったとき、草太の声で正気に戻る。
死の淵から生還した彼女は草太と共に扉を閉める。
そして、遊園地の明かりも消える。
これが天岩戸伝説ならば、この時スズメは岩戸の中に踏み入れてしまったのだろう。
観覧車の小さな個室は棺桶という死のメタファーに見える。
そして、ゆっくりと回りながら落ち始めるゴンドラは落日の象徴で、同時に回りだす運命の輪のように二人にこれから訪れる試練を示唆している。
かくて、二人は扉を閉じる。
これで閉じた扉は三つ。
それぞれの扉を閉じた時間帯は昼間、夕暮れ、夜の順で、昼の世界から夜の世界へと向かう鈴芽の姿を象徴している。
東へ向かう英雄
それでも、現実の世界には朝はやって来る。
ルミさんに別れを告げて二人はさらに東へと進む。100年前に関東大地震を引き起こした東京という土地に
ますます家出少女っぽいやんか。
記念に白いスポーツキャップをくれたルミさんはそう言っていた。
一人旅じゃないことくらいとっくに解っていたのだろう。
うちが着るよりずっと似合っとる!
そう言って服と鞄をくれた千果は、聞いても何も答えない鈴芽を笑って送り出してくれた。
二人からの贈り物と母親の遺品を携えて旅立つ鈴芽のせなかはどこか英雄の様な色を帯びている。
これから向かう東の地で、彼女はその背中にさらに多くの人の想いを背負う事になる。
東の要石
東京に着くと、草太の自宅へ向かった二人。
そこには大量の古書と出前館のカレンダーがあった。
鈴芽はそこで要石は東西合わせて二本あると知らされる。
100年前一度開き、当時の閉じ氏達が閉じたと草太は語る。
物語は2023年の設定なので、100年前というと1923年。ちょうど関東大震災の年と一致する。
関東大震災は東京の後ろ戸が起こした。そしてそれがもう一度開かれようとしている。
それを防ぐためにも、東の要石の場所を知らなくてはならない。
本を開いて調べる二人だったが、場所の記載は全て黒塗りなっていて一向に手掛かりは見つからなかった。
業を煮やした草太は祖父に会いに行くことを決断する。
なんでも、その本は祖父の師匠なる人がしたためたらしい。
そこに、新たな人物が現れる。
芹澤朋也。どこかホスト風のチャラそうな見た目(来場者特典『すずめの戸締まり~芹澤のものがたり~』で、彼は実際にホストの体験入店をしていたことが語られている。)の彼は教員試験を捨てて戸締りの旅をしていたことを鈴芽に語る。
その事実にショックを受けた矢先だった。
東の要石が抜けたのは。
四つ目の扉
ミミズはの地下鉄の中から現れた。
そして、今回は今までと違った。
ミミズの全身が現れたのだ。そして、ミミズの上にはダイジンの姿。
東の要石が抜けたことを察した、草太はミミズに飛びつく。
そんな草太の後を追って、橋の欄干からミミズに飛びつく鈴芽。
何とか草太の腕に捕まった鈴芽は空へと吸い寄せられる。
その時、彼女の履いていた靴が片方地面に落ちた。
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![](https://assets.st-note.com/img/1677594593760-7OCbVryHPT.png?width=1200)
これは明確な死のメタファーだろう。
彼女はこの瞬間、死の世界に飛び込んだ。
そして実際に彼女は最愛の人の死を目にする。
ダイジンから要石は草太自身だと告げられるのだ。
東京に蓋をするように渦を巻きながら広がるミミズ。
そして、鈴芽は”草太だったもの”をミミズに突き立てる。
次の瞬間ミミズは弾け飛んだ。
空を水しぶきが洗い、夜にも関わらず大きな虹がかかる。
人々がそれを写真に収め、共有し、はしゃぐ中、夜空を落下する少女の姿には誰も気づかなかった。
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常世への道
目を覚ますと、そこは大きな扉の前だった。
辺りは水を湛えていて、どことなく一つ目の扉を思わせる。
そして扉の向こうには要石となった草太の姿があった。
鈴芽はもんどりを打ったように扉を潜るが常世の世界に行くことは叶わない。
残っていたもう片方の靴も脱いで扉を潜り抜けるが、やはりすり抜けてしまう。
落胆に暮れた鈴芽は扉を閉じて、地上への道を探す。
長くて古い階段を上り、顔に光を浴びる鈴芽。
これは岩戸伝説のラストと一致する。
そしてこの描写には、もう一つ意味がある。
扉を抜けて水に満たされた場所から、狭く不安定な道を光を求めて進む。
そう、これは一つ目の扉同様、出産のメタファーでもある。
死の世界から生還した鈴芽は、その足で病院へと向かった。
そして、草太の祖父にかつて自分が潜った後ろ戸ならまた通れると教わる。
目的地が決まった彼女は、草太の自宅へと向かった。
スサノオ
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草太の部屋は昨日地震があったとは思えないくらいに片付いていた。
そして鈴芽は、草太の家でシャワーを浴びて体を清める。
そして草太の靴を履いて草太の想いも連れて歩を進める。
ここまでの流れは日本神話に登場する冥界下りと酷似している。
日本神話の冥界下りは死んだ妻に会うために、伊弉諾命(イザナギノミコト)が黄泉の国に向かう物語だ。
黄泉の国に着くと、そこには変わり果てた妻の姿があった。
妻の体にはウジがたかり、八つの雷が体中で唸りをあげている。
伊弉諾命は黄泉の国で変わり果ててた妻の姿に、恐れをなして逃げ出してしまう。
そして、身に着けているものを投げ捨てて追っ手を撒くと、黄泉の国への道を閉じて。体を清める。この時生まれたのがスサノオノミコトである。
スサノオは後に根の国(黄泉の国)を治めたことでもよく知られている。
同じように死の世界から帰った鈴芽は体を清めた。
その直後彼女の前に現れたのは、首からドックタグを下げ、髑髏の指輪をして、スポーツカーに乗った、死を体現したような男だった。
鈴芽の前に現れた芹沢は、周りが半袖の中一人だけコートを着ている。
もしかしたら昨日の夜から鈴芽たちを心配して探していたのかもしれない。
合流した環さんとダイジンも引き連れて、3人と1匹はかつての鈴芽の故郷へと向かう。
鈴芽が天照大御神で、芹沢がスサノオなら、環は月読命(ツクヨミノミコト)、ダイジンは蛭子(ヒルコ)といったところだろうか。
ツクヨミは天照大御神とスサノオが生まれたとき同時に生まれた神の一柱で夜を治める神と言われている。
また、蛭子は伊弉諾命と伊邪那美命の間に生まれた子供だが、不具であったために葦船に乗せて流されてしまう。
物語の終盤で鈴芽の子には成れなかったと嘆くダイジンの姿は、日本神話の蛭子と重なるところがある。
そんな芹沢の後ろには雷雲がついてくる。彼が嵐の神スサノオであることがここからもわかる。
雨が降ってきても屋根が閉まりきらない彼の車は。
鈴芽の今の不安定な立ち位置を表しているのだろう。
車という密閉された空間は、棺桶という死の象徴でもある。
それが、うまく閉まらないのは彼女が死と生の狭間に立たされていることを意味している。きっと彼女の半身。幼少期の自分がまだ常世にいることを指しているのだと思われる。
嵐の神といえば日本神話にはもう一人嵐の神がいる。
建御雷神(タケミカズチ)である。建御雷神は地震を起こすとされるナマズの頭を要石で押さえているという伝説がある。
まさに、ミミズを封じるための旅の仲間には持って来いだろう。
そんな嵐の神に連れられて、鈴芽は最後の場所へ向かう。
10年前、東日本大震災が起こったかつての故郷へ。
最後の扉
![](https://assets.st-note.com/img/1677678028357-2E7o3UjsDB.png?width=1200)
鈴芽が辿り着いたかつての故郷。そこはすっかり変わり果てていた。
しかし、記憶を頼りに向かった先にはかつてと同じように扉があった。
鈴芽は意を決して進む。好きな人の所へ。
常世は巨大なミミズが蜷局を巻いてのたうち回っていた。
サダイジンがミミズを足止めしている間に、鈴芽は草太を地面から抜いて助け出す。
そして2匹の猫を要石に戻すとミミズに突き刺し。ミミズを封じた。草太の命を救うために必死になった鈴芽が、二匹の犠牲のことを全く顧みないのはホス狂いのキャバ嬢のようなものをおもわせるがこのシーンは日本神話の国産みを思わせる。心なしかミミズの遺骸は鳥居の姿にも見える。ここから二人の物語が新たに始まることを示唆しているのだろう。
そして鈴芽はもう一つの使命を果たす。
それは幼少期の自分を現世に返すことだ。
かつての母親の姿を求めて、たどり着いた先には自分自身がいた。
そして、かつての辛い記憶を自分の力で現世に送り出す。
結局のところ自らを救えるのは自分自身ということなのだろう。
鈴芽が鈴芽に渡した椅子。それをよく見ると、そこには作中ずっと描かれていた傷がなかった。
鈴芽が渡したのは、草太が成り代わっていたものとは別の椅子。
恐らく、常世に初めからあったものなのだろう。
そしてそれはきっと母親の想いのようなものなのだろう。
鈴芽自身は気づいていたのかもしれない。
あの時、鈴芽は確かに母親に会っていたのだ。
長い旅の終わりで、自らの思い出を閉じた鈴芽。
「私は、すずめの、明日」
その言葉通り明日へと歩き出した少女の頭上には太陽が昇り始めていた。
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