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僕の動かない銀時計[す:過ぎる]

キリキリとネジを巻く、もうこいつもそろそろガタが来てるな。

ごめんな、いままで無理をさせて。

その年季は過ぎた去った時間が既に長すぎたことを物語っていた。

名前が彫られていた場所は、僅かにその痕跡が確認できるが殆ど解らない。

僕と半生を共にしてきた銀時計は僕の手で解体される。他でもない僕のために。



僕がその懐中時計を貰ったのは小学四年生の2分の1成人式の時だった。

クラスで銀色の懐中時計が全員に配られた。

「その時計は皆さんのこれから生きていく時間を刻んでくれてます。大切にしてくださいね。」

時計を配った先生は僕たちにそう言った。

時計の側面には児童一人一人の名前が刻まれていた。僕の時計にもカタカナで綺麗な文字が刻まれていた。

新品の懐中時計は銀色に光って子どもの僕には勇者の装備品みたいに見えた。

龍頭を巻いて時間を合わせ、ネジを巻くとコツコツと黒板の上の時計と同じ速度で1秒1秒を刻み始めた。

小学生の頃、寺田といういじめっこに、僕は執拗に虐められていた。

クラスのみんなもそれに同調していた。

イジメと言ってもワイドショーでやってるような陰湿なやつじゃなくて、休み時間に悪口を言われたり、酷いときでも殴られたり蹴られたりする程度だった。

そんな、僕を見てクラスの女子たちは触ると菌が移るといって僕のことを避けた。

寺田は成績がよく大人たちからも信頼されていた。

きっと当時虐めに気がついていたのは僕の母親くらいだっただろう。

その日の昼休み案の定というか事件は起こった。

そして、寺田はその日僕の時計を奪い取った。

「返してほしければこっちに来てみろよ!」

僕は寺田に飛び付いた。

寺田はその瞬間、自分の取り巻きに時計を投げた。取り巻きが上手くそれをキャッチすると僕はそいつの方に走った。

取り巻きがまた寺田に投げ返す。

これは今まで筆箱や上履きなんかでよくやられた行為だった。

しかし、その日はこの行為に慣れてたはずの彼らの行動は違った。

何度かパスを終えた後、寺田は取り巻きが投げた時計をキャッチするのに失敗し、窓から時計を落としてしまったのだ。

「なにしてるの!」

異変を感じた。先生が駆けつけたとき、僕はなにが起こったか分からず固まっていた。

「××君が自分の時計を窓から投げ捨てました」

寺田は平然とした顔で僕が時計を窓から捨てたと先生に告げた。

「本当なの?××君?」

「はい、投げて遊んでいたら窓から出ちゃって」

僕は、そういって寺田の言ってることを肯定した。

寺田に虐められたことを知られたくなかったこともあったが、僕は昔から口下手なのでなにを言っても分かってもらえないことを経験的に知っていた。

先生の怒号を否定する勇気もなかった。

「なんでそんなことしたの!大切にしなさいって言ったのを聞いていなかったの?」

例え僕は言われてなかったとしても大切にしただろう。この人は僕が時計が配られたときクラスの誰よりも、いとおしく時計を眺めてたのを見ていなかったんだろうか。

僕は笑って受け流して冗談だったことにした。

怒られたり虐められたりしたときに人前で泣くのはとても惨めだと思った。

ヘラヘラしてやり過ごすことには慣れていた。


放課後、窓の下のビオトープに僕の時計は沈んでいるのを見つけた。

キラキラした銀色に藻が絡まって汚らしい姿を露わにしていた。

目じりが熱くなって奥歯が浮いて痛くなるのをこらえながら観測用の網を使って救い上げる。

光に水が反射して汚らしくきらめく銀色を不覚にも美しいと思ってしまった。

悔しかった、ここまで惨めな思いをしても尚能天気に美しいと思う自分がいることが許せなかった。

夕暮れのビオトープに僕の感情がぽたぽたと落ちて溶けていった。


時計の異常に気付いたのはその日の夜だった。

ビオトープに落ちたときにどこか壊れたらしい。

時計の針が1時間進む頃には実際の時間は1時間半が過ぎていた。

表面の銀色も少しくすんでしまった上によく見ると細かい傷のようなものがあった。

僕は次の日気分が悪くて学校を休みたいと母親に言った。

サボりたくて仮病を使ってると思った母は、僕のことを、豚と言って罵った。

お前が周りの奴らに馬鹿にされるのはそういうところが悪いんだ。お前は見下されて当然の人間なんだ。

母の怒号はいつまでも止まらなかった。

そんなに言うなら、体温計ってあげる。これで熱がなかったらどうなるか分かってるでしょうね。

母は渋々体温計を取ってきた。

体温は38度あった。

それを見ると母は態度がコロッと変わった。

こんな高熱なのに大丈夫?なんか買ってこようか?

母は僕を罵ったことをついぞ謝らなかった。

僕はそれ以来二度と落とさないように常に時計をポケットに入れて持ち歩くことにした。


熱が下がり学校にいくと皆が自分の銀時計を自慢しあっていた。

僕は自分の時計を皆に見せるのが少し後ろめたかった。

だから、同じクラスの唯一仲の良かった友達にだけ見せた。

なんか、遅くない?

その友人は開けっぴろげに聞いてきた。

「うん、でも、僕マイペースだからさ、周りに流されずに自分の時間を過ごしてる感じがして、これはこれでいいのかなって思う。」

ふーん

僕の言葉をその友達は少し怪訝な顔をして聞いていた。

その日以来その友達とは、なぜか遊ばなくなった。

恐らく避けられていたんだろう。


中学に上がるときには最後の授業で先生はクラスの一人一人のいいところを黒板に書きだした。

順々に名前とその下に長所が書き出される。

勉強ができる、サッカーがうまい、思いやりがある、それぞれの長所が書き出される中、僕の名前の下には物持ちがいいと書かれた。

先生は僕が銀時計を大切にしていることに気づいていたらしい。

僕は嬉しくなる半面、なにかもやっとした気にもなった。

でも、その正体にその時は気づけなかった。

田舎の小学校に通っていた僕らは誰一人中学受験など考えておらず、そのまま近くの公立中学に通うことになった。

そこには他の小学校から来たやつも居たけど、僕はそいつらとも上手くなじめなかった。

寺田は中学に上がると輪をかけて自分の成績を鼻にかけるようになった。

僕が一度テストで寺田よりもいい点を取ったことがあった。

その日の昼休み彼は激昂して何度も僕を殴り馬乗りになって僕の首を絞めた。

「ふっざけんな!ちょーしのってんじゃねぇぞ。」

薄れていく意識の中で、僕はざまあ見ろと思った。


「大丈夫?」

優しい声で目が覚める。隣のクラスの女子だった。

確か武本とかいう名前だったと思う。

ハッキリした輪郭の少女は顔にかかる髪をかき上げて、僕の腕を掴んで起こしてくれた。

クラスの女子は僕に触れることはおろか、話すことすら嫌がったのに。

それから彼女は、一緒に歩いて僕の話を嫌がらず聞いてくれた。

その当時の僕の日々の中で最も光が差した瞬間だった。

それからは彼女のクラスを通るたび彼女の姿を探していた。

でも結局彼女と話す機会は卒業するまで一度も訪れなかった。


高校は地元から遠い男子校を選んだ。

お陰でクラスからは今までほどは浮かなかった。

取り立てていい思い出もないが平凡な時間が過ぎていった。

僕はあの銀時計のことも


しかし、そんな日々

街中で寺田を見た。

隣に女の子を連れていた。

それはよく見ると武田だった。

武本は嬉しそうに笑いながら寺田と手をつないでいた。


僕はその場から逃げ出した。

僕はその当時女性と付き合ったことがなかった。

俺の人生の価値は寺田よりも下なのか。

そんなことを思っている自分にぞっとした。


家に帰ると、引き出しから銀時計を引っ張り出した。

それは変わらずコツコツと少し遅い速度で時を刻んでいた。

部屋の掛け時計から聞こえる正確な1秒の音と銀時計の音がダブって聞こえる。

それは自分の人生が他人よりもずっとのろまであることを示唆してるみたいだった。

っくそ!

思わず僕は床に時計を投げつけた。

一瞬で冷静になった僕は慌ててそれを拾いあげる。

時計のカバーを開いて青ざめた。

僕の銀時計は動かなくなっていた。



高校を卒業すると近所の町工場に就職した。

大学へは行かなかった。

行ったとしても面白いことがないことくらい分かっていた。

働いて金が手に入れば人生が変わるかもしれないと思った。


就職先では、毎日のように怒鳴られた。

一日中謝罪をさせられるだけの日もあった。


ある日僕は会社に行かなかった。

それ以来会社には連絡も入れていない。

きっとクビになっていると思う。

それからはただただ怠惰な生活が続いた。

親の金で生活しながら。無為に時間を潰していった。

社会は、はやり病で色々な社会活動が止まっていた。


子供部屋の自分の机には今でもあの銀時計がある。

今では俺の時間もこの世界の時間も止まっている。

あの日ダブって聞こえた他人の秒針の音は聞こえなくなっていた。

このままいけば世界に追いつけるかもしれない。

僕は時計を修理することにした。

近所の図書館で時計に関する専門書を買い集めた。

毎日少しずつ勉強した。

やがて、はやり病も収束してきて世界の時計はまたゆっくりと動き始めた。

一方で時計の修理は一向に進まなかった。


待ってくれ、僕を置いていかないでくれ。

僕は焦っていた。


早くしないと…

資料を集めに図書館へ向かう途中、寺田を見つけた。

隣には武本も居た。


「お!××じゃん!」

寺田がこっちに気が付いてきた。

「お前久しぶりだな!紹介するよ、こいつは俺の彼女」

「武本です」

彼女は僕のことを覚えてすらいなかった。

「お前まだそんなの持ってるのかよ」

寺田は僕が手に持っていた銀時計を見て言った。

「なんなんですか?それ?」

「いやさ、小学生のときに学校で貰ったんだよ。まあ俺はとっくに捨てちまったけど」

「なんていうか、物持ちいいんですね。そういうの素敵だと思います。」

「…素敵?」

「はい、素敵だと思いますよ。」

「それで不幸になってもか?」

「はい?」

「君の恋人の長所は勉強ができて人に好かれることだ、その長所を活かしていい学校に入って君のような恋人を手に入れた。大して僕はどうだ、物持ちがいい!それでこの惨めな状況から抜け出せると思ってるのか?」

「でも、でも、人はそれぞれ成り足らぬものを持ってます。無いねだりをしてもきりがないじゃ無いですか。」

僕は彼女と僕の世界があまりにも違いすぎて一瞬視界がぐにゃっとなった。

もうどうにでもなれと思った。

僕は彼女を押し倒すと彼女の首を絞めた。

おい!なにやってだよ!

横で寺田が叫んでいたが、何故か手は出してこなかった。

僕はハッとして手を離す。

そして、慌ててその場から逃げ出した。

闇雲に走りながら考えた。彼女は死んだのだろうか。僕は捕まった後のことを考えた。もし僕が彼女を殺していたとしたら刑期は何年だろうか。

若いうちに刑務所から出れないじゃないか。

だとすれば、僕の人生は本当に終わったも同然だ。

そんな考えも家につく頃にはどうでもよくなっていた。

どうせ終わっていたようなもんじゃないか。


そして、僕は今学んだ知識で時計を分解している。

直すためじゃない復讐のためだ。

僕は時計の動力部を抜き取り、小さな爆弾を仕掛ける。

爆弾の作り方は雑誌に載ってた知識を使った。 

それで僕は電車に乗った。

電車の中で幸せそうに話す、女子大生の一団をみた。

僕はそこに向かって時計を投げ込んだ。

どうにでもなれと思った。

しかし、時計は爆発しなかった。

彼女たちは飛び込んできた異物に驚いて一瞬悲鳴をあげたものの、すぐに拾い上げてこちらに返してきた。

彼女たちは僕に怪訝な目線を向けていた。

僕は時計を受けとると中を見た。

「なんで…」

動力部を抜き取ったはずの時計はしっかり動いていた。

それも、一秒間に一秒をコツコツと刻んでいた。

僕は電車を降りると、その足で出頭した。

結局、僕は裁判で反省が認められ、仮釈放されることになった。武本も僕へ実刑を望まなかった。


拘置所から出ると夜明け前の空気が冷たくて、くしゃみをした。

なぜか、あの直後僕の銀時計はどこかにいってしまっていた。

僕は早朝の誰もいない道をコツコツと靴音を立てて歩いていった。

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