新山舜心「勇気」
嫌われる勇気。アドラー心理学の書籍で有名なタイトルで、一時期日本でもブームとなったそれを人が持つことは難しい。
それは誰もが人に好かれたいという奥底に心理を持っていて、嫌われたってかまわないと感じていても嫌われた後には奥底に何かしらの罪悪感が残るものだからだ。
特に部活動で長く日常生活を続けている間柄ならなおさらだ。しかし、今のままでは良くない。そう感じた主将の新山舜心くんはあえてその勇気をもってナタをふるった。
「お前はいらない」
駿河台大学は前回の箱根駅伝出場後、バーンアウト……すなわち燃え尽き症候群に陥ってしまい結果として翌年、箱根駅伝予選会で惨敗を喫してしまった。徳本一善監督のスキャンダルなど様々な要因が重なったことだとは思うが、笑顔でのゴールインで次へとつなげられたと思われた矢先のこの結果でもあった。
新山くんは当時唯一7区を走り区間15位。そして唯一「箱根を知る」ランナーとしてそうしたチームの空気に違和感を覚えていた。今のままでは箱根駅伝など夢のまた夢。そう感じていたからこそ、新山くんは主将就任後にミーティングで同期の部員に訴えた。
悪い空気が蔓延していたチームを大きく変えようとだらけ切ったチームメイトを突き放し、そしてそうした人を追い出していった彼の様は当然のことながら反発を招いていく。この1年で退部した人数は約20名。現在登録されている最上級生の4年生は6名にまでなってしまっていた。
しかし、徳本監督は新山くんに深い信頼と感謝を述べる。
良く言えば一本気、悪く言えば頑固な彼は一時期「4年生対新山くん」という状況にまで陥った新山くん。
こう振り返り、また徳本監督にも「もうキツイです」と泣きながら訴えてきた徳本監督は3年生部員を東洋大学の練習へと参加させる。次第にそこから意識が変わり、そして箱根駅伝へと結びついていく。
嫌われて得た「喜び」
きつい、辞めたい。そういう感情に苛まれたこともあった中で新山くんは最後まで歯を食いしばりキャプテンとしてチームを引っ張った。そして、その結果が箱根駅伝予選通過という形で結実したことは言うまでもないだろう。
当然、退部者にも言い分はあるに違いない。しかしながら、私生活からだらけ切ってしまっては結果を出すことができないというのはすでに多くのスポーツで証明がされていることでもある。その一方で、新山くんたちが作り出した空気に徳本監督は大きな手ごたえを得ている様子。
わずか2か月で大きく様変わりしたという駿河台大学。そして徳本監督が感じているチームの雰囲気。それも新山くんの嫌われる苦しみを経て得ることができた喜びだろう。「僕も人間なので」と笑うが、泣きながら徳本監督に訴えてきた苦しみ。そして、最後の箱根でも最後までチームのために献身するつもりだ。
将来、チームがシード権常連校となるためには今現在まだまだ距離があることは事実。しかし、これが5年後……いや2年後に手にできるかもしれないシード権へ向けて。彼は背中と姿勢で最後の箱根路に挑む。
彼がこの1年で踏み出した勇気。それは紛れもなく次世代に繋がっていくことだろう。
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