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田澤廉「未完」

衝撃的な走りだった。夜の闇が濃くなっていた日体大記録会の競技場の中で、たった一人外国人選手や留学生ランナーのイエゴン・ヴィンセントくんで形成された集団の中に居たのが田澤くんだった。

最強留学生に勝利した男

ハイペースで進んでいたレースの中で、どこかそれでも余裕をもって走っているようにも見えた田澤くんは、ラスト一周の鐘が鳴ると外国人選手たちに負けじとついていく。
少し伸びなかったのがヴィンセントくんで、田澤くんはそのまま食らいついて3番手でフィニッシュ。

ヴィンセントくんも自己ベストを更新する27分24秒42を記録した一方、田澤くんが27分23秒44とわずかながら上回った。
それでも田澤くんは「まだ伸びしろはいっぱいある」と語る。

「世界で活躍する事」を目標に掲げる21歳の彼に秘められた可能性は底知れない。何よりも未だに彼のスケールの大きさに測りかねているのだ。むしろ、今からでも外へと飛び出すべきではないのか、と。
だからこそ、ふと思うことがある。田澤くんが駒澤大学を選んだ理由。そして、未だに完成形の見えないこの「令和の怪物」の底知れなさを。

大八木弘明監督への強い信頼

そんな彼が敬愛して止まず「この人でなければ成長できなかった」と語るのが、日本陸上界屈指の名将である大八木弘明監督だ。

コーチ・監督として駅伝通算24勝を駒澤大学にもたらしただけでなく、藤田敦史さんから始まり現在に至るまでに多くの名選手を育て上げてきた。練習での厳しい姿勢と、強面な雰囲気から一見すると「怖い人」や「旧時代の指導者」として扱われがちだ。

しかし、その実は相当な勉強家であり選手たちへの想いが熱い指導者としても知られている。

中村匠吾選手と二人三脚でオリンピックを目指していた時の事。東京オリンピックのマラソンで金メダルを獲得したキプチョゲ選手が来日した際に練習方法を訊きに行ったと言われている。
また、川内優輝選手のものまね芸人として知られるM高史さんが主務の時代に、読んでいた本が野村克也さんが書かれたものだったという話もある。様々な視点・アプローチから選手たちのためにどうすれば良いのかを今もなお考え続ける様は敬意を持つことしかできない。

その大八木監督の大ファンだったのが田澤くん。
幸いなことに彼が卒業した青森山田高校の顧問の先生、河野仁志さんも駒澤大学卒業だった縁もあり、彼が望む駒澤大学に入学することが叶った。

また、そんな田澤くんが憧れていたのが中村匠吾選手。憧れていた選手と監督が居る大学で共に汗を流した時間が、彼の持っていた才能を更に引き出したのだろう。

そんな彼も、将来的にはマラソンへと走っていくことを考えているという。

だが、田澤くんの自己記録を見ていると、ふと気になることがある。
彼はまだ、公式の舞台でハーフマラソンを走った経験がない。もちろん、駅伝での結果から見るにロードレースへの対応力は折り紙付きだし、98回箱根駅伝では箱根駅伝2区歴代4位に入る好走を見せた。ロードレースへの適性はあることも分かっている。
だが、マラソンのようなよーいドンで走るロードレースでの能力がまだまだ未知数なのである。

彼の能力を考えればもうハーフマラソンを走らせていても不思議ではないのに、だ。

そこに大八木監督の育成プランがあるように思えるのだ。

今は「まだ」走らせる時期ではない

駅伝で戦うチームである以上は、もちろん優勝を狙っていくことは当然だ。しかし、田澤くんの場合にはそれよりも重要視していることがあるように思える。

それは「世界と戦えるスピード」を身に付けさせること。
今回、日本人大学生最高記録を10000メートルで出したとはいえ、世界レベルの選手たちが世界最高峰で「勝つために何をやってくるか」という経験は未だない。揺さぶりに駆け引き。世界という舞台だからこそ学ぶことはとても多い。しかもそれを世界陸上で経験することができる。
そのためにまずは「スピード」を優先したということなのだろう。

恐らく、大八木監督は彼が最後の箱根駅伝を終わるまでは少なくともハーフマラソンもマラソンも経験をさせることはしないのではないだろうか。
そして、本格的なマラソンデビューは20代半ばに入ってからと考えているように思えてならない。

実際に日本記録保持者であった大迫傑さんが初めてマラソンに挑戦したのが2017年のボストンマラソンだった。26歳の時である。
また、大八木監督が教えを請うたキプチョゲ選手が初めてマラソンを走ったのが28歳の時だ。そしてそのキプチョゲ選手はそれまでに5000メートルを主戦場にしており、5000メートルでは12分46秒53、10000メートルでは26分49秒02という日本人選手からはおおよそ想像できないほどのスピードを持ち合わせている。

もちろんキプチョゲ選手クラスまでになれるかどうかは分からないが、田澤くんにそれほどまでのスピードを身に付けさせることが大切と考えている節はあると思う。

何よりもマラソンは体への負担も大きく、一回でも走るとそれなりに休みが必要になる。そうすると彼が目指すトラックでのオリンピックという目標からも遠ざかることとなる。それを避けたいのかもしれない。

いずれにしても、大八木監督と田澤くんは着々とやらなければならないことを丁寧に消化している最中なのだろう。

実際にそれを裏付ける証言をしているのが、駒澤大学の卒業生であり現在ヘッドコーチの藤田敦史さんだ。
2020年にnumberでの取材にてこのように答えている。「今から強度の高い練習を積ませれば、すぐに強くなる」と。
その一方で「本格的に強くなるのは実業団に入ってからで良い」という方針で育てている。それは彼が選手として完成されるのは今でなくて良いということなのだ。まだその下地を作っているだけ、ということなのだろう。

だとするならば……私たちは日本選手権で、世界陸上で。「将来の伝説」となっていく様を目撃することができる。それなのに。
その「伝説」がマラソンなのか、トラックなのか。どこで生み出されるのか、そしてその完成された田澤廉という選手がどういう姿をしているのか。

全く想像が付かないのだ。

彼をどう形容したら良いのだろう?

彼をどのように形容すれば良いのか、まだ判然としない。藤田敦史さんや中村匠吾選手のような寡黙に走る選手とは違うし、村山謙太選手のように自らの判断でギャンブルに出るというタイプでもない。

無理やりに表現するならば、彼らの良いところをすべて取り込んだような選手になって行くのだろう。だが、どういう形であれどそれだけスケールの大きな選手になって行くという証なのかもしれない。そして、それが田澤くんの魅力そのものなのだ。

まだ、完成された彼を見ることが叶わないのが残念なほどに。

ただ、これだけは確かだ。彼の走りは、そうした彼が作り出す未来がワクワクに満ちている、ということを。

今回タイトルに「未完」と付けたのは、その完成形が想像できない彼にこそ相応しいと思う。そして、その完成された田澤廉という存在を大八木監督や藤田ヘッドコーチたちが慈しみながら、育て上げてくれるはずだ。

箱根路へと走っていくその姿、一挙手一投足をどうか見逃さないでほしい。それが彼という存在の伝説へとそのままつながって行くのだから。

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