bathroom__1-2
もう財布の底は
見えてしまったけど
それさえも
笑い合った
それさえも
恋だった
McDonald Romance-King Gnu
鏡を眺めると、これは確実にぼくが知っている自分ではなくなっている。それだけは事実でした。記憶の中にあるぼくはひ弱で、もっといい加減で。記憶の中に居るぼくは、顔も髪の毛も、服装も。確実に自らを愛するような物を着用しては居ませんでした。しかし、そこに見えているぼくは間違いなくそうしたものから遠ざかっています。昔のぼくの姿を忘れてしまうほどに華奢な姿をしていて、色白の顔、少し華奢な身体に丸みを帯びつつある姿。昔は適当に選んでいた服装も、嗜好も。何もかもを変えられてしまいそうなほどに。白のニットワンピースを着てウィッグネットをかぶっているぼくは、目の前にあるそれを付けてしまえば、知らない存在へと化けてしまいます。
「どうしたの、ご飯できたよ」
心配するような声で彼女がぼくを促します。ぼくはリビングへと移るために立ち上がり、ベッドルームのドアを閉めました。
ぼくはいつも彼女にメイクをしてもらっています。それはぼくが単純に手先が不器用だからでもあるし、彼女ごのみの顔というのがあるようで、そういうものに彼女がぼく自身を変えてしまいたいのでしょう。美容の仕事をしていた経験もあるのか、彼女は時々家に誰かを連れ込んではメイクをすることもあるくらいでしたし、だったら彼女に任せた方が良いと思うのは自然な事でした。
初めてメイクをしてもらった時のことは昨日のように覚えています。何度かぼくと彼女はセックスをするほどの仲にはなっていましたが、それと同じくらい。初めてセックスをした時と同じくらい高揚感と緊張感を覚える物でした。テーブルの向こう側で、彼女が笑っているのが見えました。
「今日もかわいくできた」
「うん、自分でもそう思う」
「かわいい自分に見とれていたんだ」
「うん。そうだよ」
嬉しそうな顔で彼女が笑うと、また会話が途切れました。大体、彼女もぼくもそれほど会話の多い二人では無いのですが、だからこそぼくと彼女は調和しております。テーブルの土鍋を挟んで、これから食事をする二人にそれほど会話はいらないというのもあるのでしょうが。
壁にあった時計の針を眺めました。長い針が12を指して、短い針は1を指していて。テレビのワイドショーの声から、今日が金曜日であることを思い出します。金曜日の午後1時、ようやくぼくと彼女は今日初めての食事を食べることになります。
土鍋からゆるりとした湯気が出ているのを見て、ぼくは箸を取りました。相対する彼女を湯気の向こうから眺めたまま。そういえば、昨日は鍋を二人で食べ、一昨日も食べたのを思い出します。そして、一昨々日も。鍋は体にいいからと、とにかく何日にも亘って鍋を食べております。まるでタイムリープでも繰り返しているかのように。何かをやり直そうとしているかのように。だとしたら彼女がやり直したいこととは、一体何なのでしょうか。ぼくは疑問に思う時があるのです。ですが、その疑問が浮かぶたびにそこがスイッチとなってまた一日がやり直しされていくような感覚に陥ります。たいていは夜、そして朝が迫る頃にはまた繰り返し始めます。ですが、時間は過ぎて行っていることを、ぼくも彼女も時々忘れます。
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