20200220

11時ごろ起床し、シャワーを浴びて大学へいく。少し浮き足立った雰囲気だとおもうと、大学院入試の発表があったらしい。研究計画書にコメントをした2人も、無事に修士に合格していた。僕のアドバイスを組み込んだ箇所が口頭試問で好評だったと聞いて、自分までうれしくなってしまった。14時ごろ、山手でとうがらしラーメンを食べる。その後、『戦前日本社会事業調査資料集成 5.児童保護』を借りて、次の資料調査のあたりをつけた。

夕方以降、院生室の空調が効かず寒かったので、リーディング大学院の部屋に移動する。日本の映画史についてまとめた。映画史は戦前期に限ってみても蓄積の分厚い分野で、いくつか必読文献はあるが、まずは以下の2つを通読してみて、全体像を把握する。①田中純一郎『日本映画発達史』(全5巻)、②『岩波講座 日本映画』(全8巻)

ごく簡単に、明治・大正期日本における映画の普及を跡づけると、次のようになる。1890年代にアメリカ・フランスから映写機・フィルムの輸入が、発明とほぼ同時にはじまり、1900年代、日露戦争を契機にして、巡回型映画興行の拡大がおこる(新聞とおなじだ)。1900年代後半から1910年代初頭にかけて、浅草の電気館/大阪の千日前電気館を端緒にして、常設映画館が誕生し拡大する。また、常設映画館が各地の興行街に根を下ろしたことに起因して「道ならぬもの」たちの文化という映画のイメージも、このころに生まれる。これが、1920年代にかけて「不良少年」文化として、映画が危険視されることにつながっていくのである。
帰る前にフランス語の不規則変化動詞の活用を覚えて、21時頃家に帰った。もう何をする気も起きなかったので、洗濯機をまわしている間、ビールを飲みながら『魔の山』を読んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?