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日本三大「マイ・ウェイ」

「マイ・ウェイ」が好きなのです。

「曲がいい」というのはもちろんあるにしても、それだけじゃない良さがある。歌手や歌われるシチュエーションによって、曲のイメージがいろいろ変わっていくような不思議さがいいというか。

曲の起こりからして、ちょっと不思議な感じもあって。

「マイ・ウェイ」には元となった曲がある。クロード・フランソワというフランスの歌手による「Comme d'habitude(いつものように)」という曲がそれ。作詞はクロード・フランソワとジル・ティボ、作曲はクロード・フランソワとジャック・ルヴォー。

しかし本当はさらにその前のバージョンがあったらしい(以下、英語版のWikipedia情報)。

共同作曲者のジャック・ルヴォーが出来上がりに満足しておらず、クロード・フランソワは曲を作り直すことになった。フランソワはその頃、「夢見るシャンソン人形」で有名な歌手フランス・ギャルとの破局を経験していたので、そのイメージを元に作り直したのが、「Comme d'habitude(いつものように)」だったと。

訳詞つきのYouTubeを聞いてみると、男女の別れを歌っていて、ちょっと大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」っぽさも感じる曲になっている。


で、1967年発表のこの曲の権利をポール・アンカが買い取り、フランク・シナトラのために新しく歌詞を書いてシナトラに歌わせたのが、皆がよく知る「マイ・ウェイ」(1969年)というわけです。


シナトラの「マイ・ウェイ」はロングヒットを記録するのだけど、この曲の真のすごさは(シナトラ版が)ヒットしたということ以上に、とにかくいろんなアーティストにカバーされまくったところにあると思う。「いい曲じゃん!」で終わらせない、「いい曲じゃん! 俺も歌おう!」と思わせる何かがあったのだろう。

もっとも有名なカバーはエルビス・プレスリーのもの。シナトラ版を超えるほどのヒットを記録していて、もはやカバーという感じはしないのだが。


あと有名なのは、シド・ヴィシャスのカバー。シナトラ的な歌唱をおちょくったような歌唱からの、後半の展開がカッコいい。このバージョンが好きという人はきっと多いはず(自分もこれ大好きだったけど、今は一周回って落ち着いた)。


「マイ・ウェイ」カバーのビッグウェーブは日本にもやってきた。日本だけでも数え切れないくらいのカバーがあるのだが、特にシナトラ性を感じる加山雄三、尾崎紀世彦、布施明によるカバーを"日本三大「マイ・ウェイ」"と勝手に呼んでいる。

加山雄三の「マイ・ウェイ」は英語詞でのカバー。たぶんシナトラをかなり意識している。


尾崎紀世彦の「マイ・ウェイ」も英語詩カバーであるが、歌い方は尾崎紀世彦自身のクセを反映させたオリジナルという印象が強い。


日本三大マイウェイ、最後の一人は布施明。日本で一番メジャーなのは、中島潤の訳詞によるこちらのバージョンだろう。とにかく溜めが効いている。


で、この日本語訳の「マイ・ウェイ」は、門出の歌として、結婚式や卒業式でたびたび歌われている。

「今 船出が近づく この時に」の”船出”は、人生の新たなスタートを連想させるし、「君につげよう まよわずに行くことを」というフレーズもこれからの人生の荒波を乗り越えていくための指針のように聞こえるから、まあピッタリっちゃピッタリなわけです。


しかし、ここが「マイ・ウェイ」という曲の不思議なところなのだが、英語版と日本語版で受容のされ方に大きな違いがあるのだ。

原曲の歌い出しはこんな感じ。

And now , the end is near
(今、終わりが近づいている)
And so I face the final curtain
(私は最後の幕に直面している)

つまり原曲は、「死の淵にあるときに、これまでの人生を振り返って、"I did it my way(私は我が道を行った)"」と感慨にふけるような歌なのである。

そういうわけで、アメリカでは結婚式よりも葬式に流される機会のほうが多いっぽい。これはバラク・オバマに大統領選で敗れたときの「敗者のスピーチ」が最近話題になっていたジョン・マケイン元下院議員の葬儀での「マイ・ウェイ」。

同じ曲でも「人生が始まるとき」と「人生が終わるとき」、それぞれのシチュエーションで歌われるあたりが「マイ・ウェイ」の不思議さであり、良さでもある。かといって日本語詞が原曲の内容を無視しているかというとそうではなく、原曲のニュアンスはちゃんと残している。「船出=人生の終わり」という解釈も普通に成り立つし。

動画は紹介できないが、こういう「マイ・ウェイ」もあった。

日本三大「マイ・ウェイ」の一角、布施明が東日本大震災の被災地・久慈でライブを行なったときのこと。途中までは普通に「マイ・ウェイ」を歌うのだが、最後の1コーラスでこう歌った。

あなたには愛する久慈があるから
信じたその道を あなたは行くだけ

こうやって文字に起こすとベタすぎるくらいベタな替え歌なんだけど、家や大切な人をうしなった人々を前にして、三大マイウェイスト・布施明の圧倒的な歌唱力で歌われると、やっぱり突き刺さるのである。泣いている人は会場のあちこちにいたし、しかもただその瞬間感動して終わりということではなく(放送で見た人はそうかもしれないが)、心を解きほぐしたり、エネルギーを与えたりといった何かしらの作用をおそらく聴衆にもたらしている。人生を振り返る「マイ・ウェイ」でも、人生の門出を祝う「マイ・ウェイ」でもない、傷ついた人たちを癒やし励ます「マイ・ウェイ」。

変わったやつだと、こんな「マイウェイ」もある。たぶん結婚式で披露されたものだと思うのだが、とりあえず最初からじっと見てみてほしい。

ピンと来た人もいると思うが、ここでドラムを叩いているのは「目立ちすぎるドラマー」として10数年前にニコニコ動画で一世を風靡した、あの韓国人ドラマー。単発で見ると面白動画にしか見えないかもしれないが、過去の動画をふまえた上で見ると、「頭がぜんぶ真っ白になるほど年月を経ても、この人はずっとこのドラミングをやっているのだな…これこそ『マイ・ウェイ』ではないか」という独特の感動を覚えてしまう。

もう一つ、忘れられない「マイ・ウェイ」がある。藤圭子の歌う「マイ・ウェイ」である。

藤圭子が歌ってるなんて全然知らなかったのだが、雨宮まみさんの『東京を生きる』で紹介されていたので、気になって聞いてみたら確かにすごかった。

1番と2番は同じ歌詞の繰り返しなのだけど、1番から2番へのイメージの飛躍がすごい。ジャニスを思わせるような絶唱(どうやらこれ、ライブのオーラスではなく途中の曲らしいのだが)。1976年の歌唱なので、まだまだ藤圭子が若い時代のものなのだが、藤圭子が藤圭子自身の激動の人生を振り返っているような感覚を覚える。門出・再出発系のイメージが強い日本語版なのに、藤圭子が歌うと英語版のように「自分の人生の総括」として聞こえる。彼女の寿命はまだまだ先なのだけど、先回りして歌っているかのような感じだ。歌唱からの印象だけでなく、藤圭子そのもののイメージを曲にかぶせて聞いているからかもしれないけど。

雨宮さんはこの藤圭子バージョンがずいぶんお気に入りだったのだが、『東京を生きる』を刊行した翌年に急死してしまった。訃報を聞いたとき、頭の中で流れたのがこの曲で、その週末は家でずっとこれを聞いていた。さっき「藤圭子が藤圭子自身の激動の人生を振り返っている」と書いたけど、リピートしているうちに、この藤圭子の「マイ・ウェイ」が雨宮さんの人生を歌った曲のように思えてきたのだった。

今 船出が近づく この時に
ふとたたずみ 私は振り返る
遠く旅して 歩いた若い日を
すべて心の 決めたままに

愛と涙と ほほえみにあふれ
今 思えば 楽しい想い出よ
君につげよう まよわずに行くことを
君の心の決めたままに

私には愛する 歌があるから
信じたこの道を 私は行くだけ
すべては心の決めたままに

いろんな「マイ・ウェイ」があるものだなと思う。このところ「マイ・ウェイ」を想起させるような出来事がちょくちょくあったので、書きました。


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