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お見舞いに行った話

2017年の1月。倉敷の病院に入院していた危口さんのお見舞いに行った。

危口さんというのは、「悪魔のしるし」主宰の危口統之さんのこと。どんな活動をしていたのかは、「悪魔のしるし」とか「搬入プロジェクト」とか「歌舞伎町百人斬り」とかで検索してみるとなんとなくわかると思う。前年の11月に、ステージ4の肺腺がんであることを公表して、治療のために故郷の倉敷の病院で療養を続けていたのだった。そのへんの経緯や心境などは、本人がつづったブログ「疒日記(やまいだれにっき)」に詳しい。

俺が1月に「なむはむだはむ」という公演の取材で、城崎温泉の城崎国際アートセンターに行くことになったので、その取材帰りに倉敷に行ってみようと思ったのである。がんを公表した直後、お見舞いに行きたい旨のメールが殺到して、がんでしんどいところにいちいちそれに対応しなければならないのしんどい、みたいな日記を読んでいたので、ちょっとためらう気持ちもあったのだけど、11月から2ヵ月たって、意外と落ち着いているんじゃないかと思ったのと、あとはありきたりだけど、しかしありていに言うと、「このタイミングを逃したら一生後悔しそうな気がする」と思い、行くことにしたのだった。

日ごとに病状が変わるだろうから、行ってみて無理そうだったら見栄えのよさそうなところをぶらぶら散歩して帰るか、という気持ちでいたのだけど、LINEで連絡を取ったら大丈夫だという。会ってみると、思っていたよりも落ち着いた状態だった。たしかに痩せてはいたけど、「別人のように」というほどではなかったし、あとは声色が変わっていたくらいで、わりと普通に話せる感じだったのでホッとした(ステージ4なのは変わらないのに、この「ホッとした」ってなんだろう?と自分でも思うのだが)。

前の日に城崎国際アートセンターに行ったこと、ロビーの柱に訪れたクリエイターたちがあれこれサインなんかを描いているのだけど、そこに危口さんが描いた「悪魔のしるし」のロゴを発見したことを話した。温泉街なので、夜の街を歩いていると、浴衣姿で手をつないで歩いているカップルが本当にあちらこちらにいるのが妙に気になって、いやいやカップルくらいで何をいまさら驚くことがあるのかと思うが、都会で洋服を着たカップルが歩いているのと違って、浴衣姿で手をつないで歩いているのは「さあ、温泉も入ったことだし、宿にもどってセックスしますぞおおおおおお」みたいな生々しさ、事実上の前戯がすでに始まっているような感じがあって、どうも見ちゃおれん、という中学生じみた話をしたら、

「わかる、『お前らどうせ夜は別のものを握るんだから、今からそんなにずっと手を握ってなくてもいいだろ』って思う」

と言ってきて、二人でハハハと笑ったのだが、ちょっと驚きもした。危口さんは下ネタを言わないタイプで、実際にそれまで聞いたことなかったし、それどころか彼の前で下ネタを言うと機嫌が悪くなるという話さえ耳にしたことがあったので。

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危口さんはマンガ読みでもあったので、「さいきんマンガ読んでる?」と聞いたら、「いや、もうこういう状態なのですっかり読まなくなった」という。「そうか、じゃあ『キン肉マン』も……」と言いかけたら、パッと顔色が変わって「『キン肉マン』は別。月曜日の更新をたのしみにしてる」とかぶせてきた。

ちょうどその頃、悪魔超人と完璧超人の抗争のクライマックス、悪魔将軍とストロング・ザ・武道の試合が始まったばかりなのだった。どうなるかねえ、たのしみだねえ、などと他愛もない会話をしていたら、「まえさんの話が聞きたい」と言ってきた。俺はまえさんのことを断片的にしか知らない。どういう人生を歩んできて、なんで東京で今の仕事をしているのか。そういう話が聞きたい。ということだった。


話した。


話していると、「おなかがすいた」というので、城崎温泉のおみやげで買ってきた大福を二人でわけて食べた。緩急をつけながら、ストーリー仕立ててで話していたつもりではあるが、それでも話は長くなる。途中で姿勢を変えて体操座りをしたときに、(同じ姿勢でいるの、けっこう苦しいんだろうな)と思って、「俺ばっかり話してるけどいいのかな、しんどいなら遠慮なく言ってよ」と言うと、「聞きたい、もっと話して」と言われた。


もっと話した。


話し終わったときには、12個入りの大福はなくなっていた。行き当たりばったりで、これからも本当にどうなるかわからない、と自分なりの編集後記的なことを言ったら、危口さんはしばらく考えて、「まえさんはそうやって、『自信がない』みたいなこと言うけど、」と感想を言ってきた。

「本当は、根底の部分では自信を持っていると思う。不遇な時代のときでも、『俺だったら他のやつより絶対にうまくやれる』と思っている。それが語り口の端々に表れてた」

と言って、具体的に俺が過去の話をしていたときの言い回しを例証として挙げながら、論理的に説明してきた。それはもう図星としか言いようがなく、恥ずかしくて苦笑いしたのだけど、しかしそれだけ集中して俺の話を聞いてくれていた(というか「観察」に近いかもしれない)ということが、とてもうれしかった。

お見舞いの時間って、どれくらいが適当なのだろう。この時点で1時間は超えていたと思う。ふと気になって、さっき「お見舞い 時間 目安」で検索したら「15分が目安」と出てきて、今さらながら青ざめた。すみません。でも。これは感覚的な話なのだが、目に見えない「おしゃべりアトモスフィア」みたいなのがあって、要するにそれは「まだおしゃべりしたい」という両者の気持ちによって醸成される、一種のマクー空間であって。それがあると2時間でも3時間でも大丈夫だったりするし、逆にないと1分間でさえものすごく長く感じる。で、話したい空気がまだあるから、もうちょっといいのかな、とか思ってたら、

「まだ公表してないんだけど、公演をやろうと思う」

と言われた。がんを公表したときから、俺はそうであってほしいとずっと思っていて、しかし病状的にとてもそんなことをする余裕はないのだろう、とも思っていたので、「やってほしかった、すごくたのしみ」と言った。

まだ中身は構想中だけど、3月に倉敷でやれないかと思っていると。ただ心配なのは、自分の病気によって作品の評価が神輿に上げられてしまいそうで、それがいやだと。病気のことと作品の評価は、切り離して考えられるべきものだと。それはとても彼らしい言葉で、そういう誠実さがとても好きなのだけど、俺は正直に「俺もそうあるべきだと思うけど、それを完全に切り離して考えられるほど、みんな強くないかもしれない」と言った。そうかもしれないねえ。

という話をしながら、俺はこの病室に来たときからずーっと気になっていたことを聞いた。

「ここに並んでる本って、『人生のベスト本』みたいなものなの?」

余命を悟っている人間を目の前にして、堂々と聞ける質問ではないことは承知していたけれど、彼が何を考えて本を選んだのかとにかく知りたかったし、うまくは説明できないけど、瞬間的に(聞くなら今しかない!)という間があって、それで好奇心まるだしでもなく、センチメンタルな感じでもなく、つとめてフラットに聞いたのだった。

「最初はそうしようと思ってたけど……、でもそれだと自分で自分の人生を止めてることになるなと思って。人生のベスト本を選ぶということは、自分の人生はそこまでだと自分で規定することになってしまう。自分の人生はまだ動いているわけだから、そういうことじゃないなと思って。今は公演をやろうと思ってるから、その構想を考えるための本を持ってきて、神話なんかを読み返してる」

よい答えを聞いた気がした。それは「その日、その時点での回答」にすぎないかもしれないけど、それでもその質問をしてよかったと思った。

そうこうしているうちに、妹さんが病室にやってきた。そろそろだな、と思って帰り支度をしながら、「じゃあ、3月にまた倉敷に来るね」と言った。病室を出る間際、「どんな作品になっても、俺は正直に感想を言うから。だめだと思ったら容赦なく酷評するし」と軽口まじりに言うと、危口さんは「じゃあ俺は、開演前に『僕はがんで余命わずかでして』と言って観客にプレッシャーをかける」と言って、不敵な笑みを浮かべた。

それが自分の記憶の中にある、最後の危口さんの姿である。

こういう話、本当は自分の記憶の中だけにとどめておいて、たまにその断片を人に話すくらいにしておきたかったのだけど、たぶん年月がたつと「思い出そのもの」は消えなくても「記憶の詳細」は薄れていくはずだから、それがいやでブログに書いておくことにした。

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