神保町で出会った「ぬいブルー」

先日、ふらりと神保町を歩いてみた。当初の目的は公務員試験のための街歩きだった。

本屋がたくさん立ち並ぶ「すずらん通り」を歩いていると、「海画廊」という文字が目に入った。

私は昔から美術が好きだ。美術館に行くことも好きだ。だが、画廊に入ったことはなかった。外からちらりと中の様子をうかがって、「なんか入りにくいなあ、やめよう」というのがお決まりのパターンである。

しかし、なぜかその日は「よし!見てみるか!」という気持ちになった。画廊が地下にあり、地上から中の様子をうかがい知ることができなかったのが、そう思った理由かもしれない。

階段を降り、おしゃれなカフェを通り過ぎた先に、「海画廊」はあった。地下の通路は薄暗かったが、画廊からは真っ白な明るい光が漏れ出ていた。

ドアは半分ほど開いていた。不思議とためらいなく、「こんにちは」と中に入っていくことができた。

中に入ると、たくさんの絵が壁に掛けられており、床に立てて置いてある絵もあった。部屋はわりかしこぢんまりとした感じだった。2名のスタッフさんがいて、「お気に召した絵があったら教えてくださいね」と親切に声をかけてくれた。

ゆっくりと絵を見ていった。現代アートが多かったが、正直現代アートは苦手である。鑑賞をするのにものすごい量のエネルギーを動員しなければならないからだ。

部屋を一周し、「あんまりいい感じの作品はなかったかな」と思いながら、最後の絵を見た。途端、目を奪われた。

それが、佐野ぬいさんの「ブルースクエア」である。

こちらのリンクから、ぜひ見てみてほしい。

この絵を見たときに、真っ先に目に飛び込んでくるのは、ブルーだ。絵全体をブルーが覆っている。第一印象は「冷たい絵」であった。

少し近寄って見てみた。街を上から見たような細かな書き込みがされている。碁盤の目のように街が区切られており、箱みたいな家らしきものが区画内にたくさん書いてある。街を区切る道はまっすぐで、無機質な印象を受けた。

さらに近寄ってみた。一面青で埋め尽くされていると思っていた絵の中に、赤や黄色などの温かな色が散らばっていることに気がついた。

なんだか、東京みたいだな。と思った。東京の下町は、狭くてごちゃごちゃした味のある道もあるけれど、都心の道はきれいに整えられている(神保町に来る前、霞ヶ関を歩いていた)。

東京の人は冷たい、なんて言われるときがある。新宿でも大手町でも渋谷でも、人々はまっすぐ前を向いて足早に私を追い抜かしていく。「私はここにいるんだよ」と叫んだって、誰も気づいてくれないと感じさせるほどに、みんな他人に興味がなさそうなのだ。

だが、私が倒れたらすぐに数人が駆け寄ってきてくれる。私が道に迷っていたら、親切に道を教えてくれる。私が物を落としたら、急いで追いかけて物を届けてくれる。

東京の人は優しいのだ。しかしその優しさは、直接関わらないと気づけない。ちょうど、私が絵に近寄らないと、温かい色に気づけなかったように。

思わずスタッフさんに話しかけた。「この絵、とっても素敵ですね。なんだか東京みたいで」

スタッフさんは少し笑った。「素敵ですよね。佐野ぬいさんはもう亡くなられた方なんですけど、『ぬいブルー』という青を基調とした絵で、大変有名な画家だったんですよ」そう言って、佐野ぬいさんの画集を手渡してくれた。

ページをめくってもめくっても、青がページを埋め尽くしていた。佐野ぬいさんは、青で何を伝えたかったのだろうか。画集にある絵は、「ブルースクエア」よりもずっと抽象的な絵が多く、私には理解することが難しかった。

だが、「ブルースクエア」に出会えただけで画廊に入った価値はあった。公務員試験のための街歩きという当初の目的は完全に忘れ去っていたけれども。

また今度、知らない道を歩いてみよう。ふらりとどこかの画廊に入って、絵との出会いを楽しもう。そうして出会った絵のことは、きっとずっと忘れないと思うのだ。

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