雑多(公務員試験、自己他者、Instagram)

 ふと思い出して、国家一般職の模試の成績表が返ってきているか確認した。10日前に返ってきてる、、、。都度確認しろや自分、、、。教養C、専門B、論文B、総合Bとまずまずの出来だった。模試のたびに論文の判定が上がっていったのは素直に嬉しい。教養のCは納得。英文で落としてしまったのが痛かったけど、国家一般職の試験まではあと1ヶ月あるので、落ち着いて臨めば大丈夫。そもそも専門の方が点数の配点が高いし。論文は実は1番苦手なテーマだった。自殺についてだったのよね。書きたくない書きたくないと思いながら、若干吐き気を催しながら書き上げたものだった。何書いたか覚えていないけど、「試験向け」って感じで相当上っ面なことが書いてあるんだろうなあと思う。そんな自分が嫌だったけど、割り切って書いていくしかない。自分の心を込めた文章はこういう場に出していけばいいんだ。

国家一般職の模試結果


 再来週は裁判所の試験だ。裁判所は自分の雰囲気と馴染むかと言われればそうではない気がするけど、あの落ち着いた雰囲気の中で働くのは魅力的だ。模試の判定はBだった。ちゃんとやってきたわたしなら大丈夫だ、と信じて試験を受けよう。
 昨日はまわりの人の温かさに感動していた。ゼミの友だち(民間組)から「試験頑張って」とか「お疲れ様」とか言ってもらったし、公務員組のLINEグループに「頑張ろうね」って送ったら、みんなから反応があっておおおお〜〜!!!頑張ろう〜〜〜!!ってなった(ちょろ)。わたしはめちゃくちゃ支えられてることを実感した。わたしは1人遊びに長けてるし、長時間人といると疲れてしまう人間だけど、生きるエネルギーは他者との関わりによって得ているんだなあと思った。
 そういえば、高校の時の現代文の先生が「自己と他者」について話すのが好きで、何でも自己他者に結びつけて話していたのを思い出した。あの頃はさっぱり何言ってるかわからなかったし、「出た自己他者wwwww」とか言ってネタにしてたけど、今考えると非常に大切な授業だったんだと思う。わたしは馬鹿だから、時が経ってから意味に気づくことが多い。知性をつけて、一つひとつの体験の意味をその場で理解できるようになりたい、って難しいかなそんなこと。
 李徴が虎になる話、『山月記』も自己他者の問題だった。こんなことを書いたら顰蹙を買うかもしれないけど、わたしの母校(高校と大学)には李徴みたいな人が実は多いような気がする。『山月記』の李徴の言葉、「臆病な自尊心、尊大な羞恥心、またそれゆえに切磋琢磨をしなかった怠惰」一見矛盾するように見える言葉の羅列は、高学歴の人間に当てはまる点が多い。高校の現代文のプリントを資源ごみに出してしまったのが惜しい。高校の時の友人と自己他者について改めて話し合ったら、絶対に面白いだろうなあ。久しぶりに連絡をとってみるか?(怖い、旧友が「自己他者について語ろうよ☺️」って連絡をよこしてきたら、わたしなら引く)
 わたしはInstagramやTwitter、TikTokをやっていない。厳密にはTwitterはやっている時期がちょいちょいあるが、リアルの友だちと繋がっているわけではない。SNS世代のわたしたちは、SNSにいないとさらっと世界から置いてかれる。昔の友人との交流が少ないのは、(おそらく)わたしの性格が災いしているけど、SNSで繋がっていないという点も地味に大きいと思う。LINEってみんなあまり使っていないのね。わたしはLINEしかないからそれを使わざるを得ないけど、何回「インスタやらないの?」って言われたことか。わたしたちの世代では、自己紹介したらインスタの交換をするのが当たり前だ。SNSは受動的に情報が目に入るのがメリットだけど、わたしにとってはそれがデメリットとして作用する。妙に繊細だから気疲れしてしまうんだ。
 SNSで世界は格段に広がった。わたしは電車に乗っている時にスマホを見ないでボケーっとしているのが好きだ。電車内ではみんなスマホをお揃いで見ている。わたしたちは同じ空間にいるのに、みんなスマホの奥で違う世界と繋がっているんだなあ、と思うとワクワクする。
 SNSで世界が広がった一方で、自分のテリトリーが侵食されているような感覚もある。家にいてもどこにいても、誰かの生活が目に入ってきて、ずっと安らげないような。
 不思議だと思う。隣の人の顔も知らず、家はガチガチのオートロックになり、プライバシーを声高に叫ぶ時代になった。だけどSNSでは自分の私生活を積極的に発信するし、何かの登録をする時に個人情報をためらいなく入力する。人間は矛盾しているから面白い。
 書きたいことをつらつら書いてたらこんなに長くなってしまった。また明日書こう。

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