この世は明るい人のために作られている

この世の中は明るい人のために作られている。

そう思うことはないだろうか。

いつからだろう、陰キャ陽キャという言葉が生まれ、スクールカーストという概念が生まれたのは。

わたしたちは陽キャであればあるほど良いらしい。厳しい言葉でいえば、陰キャは必要とされていない。大抵、陰キャは自嘲の言葉として用いられる。「俺陰キャだからさ」というセリフは、日常生活で何度も聞いた。そしてスクールカーストの上位を占めるのは陽キャばかりで、下位は陰キャが固めている。

この世の中は、明るいだけで生きやすく、暗いだけで生きにくい仕組みになっている。

だけど思う。もしもスクールカーストという概念があるのなら、世の中の半分以上は暗い人なのではないか。そもそもカーストとはピラミッド上になっていて、上にいくほど人数が少なく、下にいくほど人数が多くなるからだ。

世の中の多くは暗い人間なのに、なぜ明るい人が生きやすいのだろう?明るい人の声が大きいのか?暗い人が無理して明るく振る舞っているのか?真相はわからない。だけど「暗い」とは、それほど蔑まれ、隠されるべきものなのだろうか?

もっと、暗さを認めていくべきではないだろうか。

明るさは時に人を傷つける。悩んでいる人が、「そんなこと気にしてもしょうがないよ!ポジティブにいこう!」と言われて救われることはない。

反対に、暗さは時に人を救う。悩んでいる人にとっては、黙って話を聞いてもらい、「自分もそういうことがある」と言ってもらえる方が、ただの明るい声かけよりも、よっぽど救われる。

明るくなるためのメソッドは世の中に溢れている。確かに、明るいことは素敵なことだ。だけど、明るくなることで人を傷つける場合もあるかもしれない。

だからわたしは、明るさと暗さを併せ持つ人になりたい。明るさによって、コミュニティの雰囲気を楽しいものにしながら、暗さによって、苦しんでいる人や悩んでいる人に寄り添いたい。

世の中には、明るい人も暗い人もいる。わたしはどんな人も馬鹿にしたくない。明るいから良いとか、暗いから悪いという考えは持ちたくない。この世の中は、明るい人もいて、暗い人もいるから成り立っているのだ。みんな必要なのだ。

陰キャ陽キャと言って自嘲したり、人を馬鹿にしたりする風潮、なくしたい。わたしには社会を変える力はないけれど、少なくともわたしは陰キャとか陽キャとか言わないようにする。そして、明るさも暗さも自分の中に持って、たくさんの人に接したい。


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