春というエッセイ

月の変わり目はなんとなく心が浮き足立つ。中でも、季節の変わり目、例えば11月から12月になるみたいな時は、一層わくわくする。

そして今はそんな時。2月はいつのまにか終わりを迎えようとして、目の前には3月が迫っている。明日から春なのだ。

だけど明日のわたしたちの服装は、おそらく今日と変わらない。服装は冬なのに、気持ちと暦だけが春に向かって走り出す。

ちょっと話が逸れる。季節の変わり目に、寒い日と暖かい日が交互にくる時があるじゃない。その時に、街の人が気温の変化についていけなくて、暖かいのにダウンコートを着ていたりするのが、わたしの彼氏はなんとなく好きらしい。「季節に置いてかれているような感じがする」なんだって。この言葉が心に残っているから、ちょっと紹介してみた。

わたしは四季の中で冬が一番好きだけど、3ヶ月も寒い日々が続けば、さすがに参ってくる。メロンパンが大好きだからと言って、毎食食べ続けていたら飽きるのと同じだ。だからわたしは、春を地味に待ち侘びていた。

これもね、彼氏が面白いことを言っていた。「冬と夏の長さは、お互いを恋しく思うにはちょうど良い長さになっている」というもの。すぐに過ぎ去ってしまう春と秋とは違って、夏と冬は長い。夏の真っ只中にいる時は暑さにうんざりしてきて、早く冬が来ないかなあと思い、反対に真冬には、うだるような夏の暑さが恋しくなる。彼氏はそういうことを言っているのだと思う。

わたしも知性に溢れた美しい言葉を紡げる人になりたいけど、たぶん難しいのだろうな。正直、子ども時代からの読書量も語彙量もわたしの方があるけれど、ただ知っているだけではそういう言葉を描けないから。わたしにはきっと、鋭い視点とそれに結びつく語彙を探す能力が欠けている。関係ないけど、多分彼氏は村上春樹と相性が良い(わたしは悪い)。

脱線した話をもとに戻そう。

わたしは季節の変わり目の、この冬から春に移ろうとする時の、色々と一致しない感覚が好きなのだ。カレンダーは春で、街の色にピンクが増えて、ひなまつりがあって、春の歌がサブスクのプレイリストに現れ始めて。だけど首にはまだマフラーを巻いて、満員電車にダウンコートで乗り込んで、手にはハンドクリームを塗りたくって。わたしたちの外で定められたことも、町の雰囲気も、わたしたちの行動も、気持ちも、すべてがバラバラだ。

だけど間違いなく春。だって春ってそういう曖昧な季節だから。ある日暖かくなって、春だねって思った次の日に寒くなったって、冬になるわけじゃないのだ。曖昧で、定まらなくて、でも浮き足立つようなこの気持ちを味わせてくれるのが、この季節だと思う。きっと今年の春も、トンネルを潜り抜けるように一瞬で終わってしまって、気づけばわたしたちは夏の入り口に立っているのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?