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おばあちゃんをみて作られた私の死生観



わたしは現在、本業は実家の家業で事務をメインに働きながら、副業でオンライン秘書をしています。

今日は少し思考を変えて、お仕事の話ではなく、死生観について書いてみます。

おばあちゃんが亡くなって一年



わたしが生まれたときから一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなって、もうすぐ一年になります。


大学から実家を離れていたし、亡くなる数年前からはおばあちゃんが施設に入っていたので、一緒に暮らしていたのは18年間。近い親族が亡くなるのは初めての経験だったので、色んな思いが巡った出来事でした。


去年の今頃は、ちょうどコロナが落ち着いていて、普通にお通夜とお葬式を行い、仕事の関係も含めて両日合わせて200名近くの参列。


愛されていたおばあちゃんだったのだと、誇らしくもありました。



とにかく旅行や美味しいご飯が好き



お通夜やお葬式で集まった、親族やおばあちゃんの友人は、口を揃えて「好きなことをやりきったね」と言いました。


旅行と美味しいごはんが大好きで、遠慮など無く我を通すひとだったので、子供ながらに嫌だなと思ったことも正直あります。
一緒に食卓を囲っていても、おばあちゃんは、自分の嫌いなものは残します。子供への教育とか、悪影響などは考えません。むしろ、わたしたち孫が最後に食べようと思って取っておいた好きなものを「食べないならもらうよ」と横から盗んでいったこともあるそうです。(もちろん母は激怒したそう・・・泣)


四国のお遍路さんを廻るのが好きで、元気なころは兄弟や親族・友人などと連れ添ってよく行っていました。そして、決まって、ご当地のキーホルダーを買ってきてくれます。それも、一人に3~4個。。。おかげで子供のころ、キーホルダーだけは不足することがありませんでした。


70歳を過ぎたころから、恐らく足を悪くしていたのでしょう、とにかく歩くことを嫌がりました。送り迎えは当たり前。家族がどうしても捕まらないときは、病院の待合室にいた知り合いに頼んで自宅まで送ってもらったり、ひどいときは買い物に行った先で重くて持ってあるけないからとその辺のひとを捕まえて送ってもらってりしていました。
もちろん父や母は呆れていましたし、わたしも「勝手なひとだなぁ」と思っていました。



それでも愛される所以



そんなおばあちゃんですが、亡くなったあとに周りの方々が話す思い出が、美しくて、楽しそうなことばかり。


突拍子もないことをした出来事も、わがままを言いまくっていたあの日も、全て笑い話になっているのです。



その様子をみたとき、これがおばあちゃんの生き方だったのだと思い知らされました。



今でも昔からの知り合いは、おばあちゃんの思い出を楽しそうに話してくれます。そして、「あなたのおばあちゃんは凄いひとだったのよ」と褒めてくれます。


これは、我を通したおばあちゃんの勝ち!というわけではなく、それでも愛される所以があった、ということなのかもしれません。



「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」



江戸時代の曹洞宗の僧侶・良寛さんが呟いた言葉だと言われています。


もみじというのは、散るときに、スッと真っすぐ落ちることはない。裏を見せたり、表を見せたり、ひらひらと舞いながら散るから風情があります。

人生というのも、良いことばかりではない。良いことも、悪いことも、全てを受け止め、飾らずに全てを見せてこそ、行き切ることができるのだ、という意味だそうです。



この句を、昔からおばあちゃんと深く付き合いのあった方から教えていただきました。まさに、この句のような人生だったね、と。



わたしたち孫がみたおばあちゃんは、確かに好きなことだけをしていたおばあちゃんでしたが、50代で旦那さん(わたしのおじいちゃん)を急遽病気で亡くし、そこから息子(わたしの父)が後を継いでなんとか家業を続けてきています。それは苦労もあったのだろうと思います。


そういう過去があってこそ、好きなことができていた。そして、我が儘も許してもらえるほどに人に尽くし、人に愛される振る舞いをしていたからこそ、みんなから【大往生】だったと言ってもらえたのですね。



死ぬときは周りが笑っていてほしい



そんなおばあちゃんの生き方や、周りにいるたくさんの方々が教えてくれたことを受けて、わたしはわたしの人生を精一杯生きようと決めました。



わたしの理想の働き方は
「時間や場所に縛られず、遊ぶように働くこと」です。
そのためにオンライン秘書の拡大を目指しています。



明日命が尽きても、後悔しないよう、今できることを最大限やる。人によく見られようと飾るのではなく、わたしが「これだ!」と思う選択をする。


人生楽しいことばかりではないのだから、しんどいときもそれが大事だと逃げずに向き合う。

何より、わたし自身が毎日笑って生きる!

こんなに深く自分の死生観について考えたことは無かったので、おばあちゃんに感謝しています。


そして、わたしが死ぬときは、周りのみんなが笑って話してくれる人になれたらゴールです。

そのためにこれからも頑張っていきます!

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